表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第二章 連理比翼、ハレー彗星の年より(全14回:昭和の純愛編)
46/232

3 静穏な時間


 朝倉美桜は十五歳。女子高としては地元一の進学校に通う高校一年生だ。

 年明け早々には十六歳になる。

 美桜の学業は優秀だった。今まで、どの教科でも上手くいかないと自覚したことはなかった。


 また、美桜の視覚は他の人と異なっていて、可視波長帯域が広く赤外線までが見えた。

 幼い頃は、「光っていないスープは嫌いだ」と言ってしまったことがあった。周りにいた大人たちが怪訝な顔をする中で、母親は「おいで」と美桜に声をかけ、抱っこしながらそのスープを温めなおした。そして、美桜に「それは、誰にも言ってはいけないことなんだよ」と口止めをしたのだった。


 小学生になる頃には、自分が熱を見ているということを理解していた。

 文字どおり、人の顔色が見えるので、人間関係を結ぶのも楽だった。

 美桜は、誰からも認められるほど綺麗だったので、中学生になると男子からのラブレターが大量に届くようになった。それでも、周りの女子たちと上手くやれたのは、この能力によるところが大きい。


 高校は女子校だったため、異性との問題も減ってさらに気楽な毎日を過ごすことができた。

 高校生になったこの年は、入学早々の時期に誰でもが知っているアイドルが飛び降り自殺をして、芸能界に関心の薄い友人たちも一度は話題にした。でも、そんなことも一瞬で、新発売の使い捨てカメラでお互いを撮り合うことの方が楽しくて、いつの間にか友達との写真も大量に増えていた。

 他の人との視覚の違いについても、そう深刻に考えたことはないし、母親の仕事から自分の将来も考えてはいたけれど、それはまだまだ「ずーっと先の未来のこと」としか感じられていなかった。



 そんな気楽な生活の中での、数Ⅰでの軽いつまずきなど、本来つまずきのうちに入らないレベルのことだったかもしれない。でも、それが過大な問題に見えたのは、他のすべてがあまりに順調だったせいなのだろう。

 でも、とにかく、そんなわけで、美桜は親に家庭教師に来てもらうことをお願いしたのだった。



 − − − − −


 もう、街にはクリスマスソングが流れ始めている。

 心が浮き立つ。

 冬がどれほど寒くても、どれほど北風が強くても許せるくらいだ。



 暖かい美桜の部屋。

 考えて答えを出すという方法論を把握してしまえば、あとは早かった。


 美桜の右手の中で、ピンク色のシャーペンがくるくると回っている。

 三十分間、休まずに回っていたそれがピタリと止まると、猛烈な勢いでノートに式が書き殴られる。頭の中をよぎった解答への経路を見失いたくないのだ。

 書かれたものを見直し、ふんっと鼻を一つ鳴らすと、そのページを破ってゴミ箱に叩き込む。


 さらに十分間、シャーペンは回った。

 再度、先ほどと同じことが繰り返される。ただし、結末は違った。

 「先生、できた」

 書き殴られた式を、武藤に見せる。

 「いいね。美しい。でも、こうしてもいいかな?」

 武藤が一言横から声をかけ、計算の行程の一箇所に矢印を引く。武藤の手の中のシャーペンは、何かの冗談のように小さく見えた。その矢印は、さらに伸びて美桜の書いた別の式につながる。

 それだけで、武藤の考えは美桜に伝わった。そして、その式の行程は、倍も美しくなったように美桜には思えた。顔を輝かせて、別のノートに清書する。

 このライブ感は、快感としか言いようがない。


 すでに、美桜は数Ⅰをとっくに終わらせ、基礎解析も終わりに近づいている。学校の授業に対して、かなり先行していた。

 進学校はテストが多く、すぐに努力が反映される。

 美桜の数学の成績は、僅かの間に校内で一位から二位を行ったり来たりするまでになっていた。


 

 武藤がいる間、美桜が解く問題は、武藤が持ってきた三問のみ。それも、ノルマではなく、一問しか解けない日も珍しくはない。

 だが、武藤の持ってくる問題は良問が多かった。

 悩ませられはするが、解いてみれば筋道がきちんとしている。

 そのせいか、頭の中で答えに至るその筋道が浮かんだ瞬間の輝きは、他のどの教科にもないものだった。

 二時間近く悩んだ問題の答えがいきなり頭にくっきり浮かんだときなど、無意識のガッツポーズの流れ弾で武藤の胸のあたりを思い切り殴りつけてしまったほどだ。

 おおげさに胸を押さえながら、右手の親指を立てる武藤に、美桜は必死で謝りながら心が暖かくなるのを感じていた。


 武藤が二時間の間にしゃべるのは、せいぜい二言、三言。それどころか、シャーペンで、美桜の書いた式に線を入れるだけでアドバイスを終わらせることすらあった。

 それなのに、美桜の思考が袋小路に入ると、的確にそのアドバイスが来た。

 武藤に真摯に見守られていることを、静穏の中で美桜は理解していた。


 勉強の前後の他愛もない話、そして、話さなくても理解し合える気がする数学の時間。

 「理解し合える気がする」が、自らの進歩とともに着実に「理解し合えている」に変わっていく実感。

 熊のような大男に包み込まれるような感覚の中で、二人で座っていられる時間が、美桜にとってかけがえのないものになっていった。


次回、クリスマス


この年からバブルって始まったんですよね。

そして、ラピュタ公開の年でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ