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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第一章 16歳、入学式〜夏休み明け(全42回:推理編)
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40 STF?(Stepover Toehold With Facelock)


 むせかえるような植物の青い匂い。紫陽花という植物は大きい。三株も集まれば、ちょっとしたドームシェルターのようになる。花はもうないけど葉が大きいので、どの角度からも外からは見えにくい。

 そして、いざという時は、墓石と違って、かき分けながら走ることもできるだろう。


 もっとも、あいつらが走らせてくれないのは承知の上だ。

 見つかったら……、そして撃たれたら……、覚悟は決まっている。美岬さんを走らせ、俺の身体で弾を止める。意識がある間は、どこまでも立ちふさがって邪魔してやる。そして、脳髄の破片であっても、それが生きている間は意識を失わない。

 そう決めた。

 俺が俺に対して、そう決めた。

 美岬さんが自分の全てを俺に賭けてくれた対価として、それくらいのことができなくてどうするよ。


 息を殺して、嗅覚を含めたすべての感覚で状況を確認する。

 山門に近いここでは、かすかに車のエンジン音が聞こえる。一定したその響きから、停車してアイドリング状態なのが判る。遠くでヘリコプターの音。街の生活音、生活臭も届いてくる。


 おそらく、山門外には、車に乗ったままのもう一つのチームが待機しているのだ。墓地奥の通用門に鍵がかかっていて奴らが引き返してきた場合、挟み撃ちにできるからだ。また、寺の本堂なり、庫裡の建物に入ろうとしたら、山門越しに丸見えだ。


 そうか、その安心感で、墓地内に入ってきた方のバディの探索が甘くなったのだなと思う。奥に到達してから、念入りに追い出すほうが確実と踏んでいるのだ。袋の鼠を捕まえるのは、難しいことじゃない。


 あと、六分を耐えれば、助けが来る。


 やはり、奴らは戻ってきた。予想より早い。やはり、通用門から外へ逃げたというシナリオは成立しなかったらしい。小刻みに視線を移動させ、墓地の死角を無くすように努めながら戻ってくる。銃は手に持っていない。すでにホルスターに納めたのだろう。

 だけど、二人のバディとして連携のとれた動きが、そして、その動きが鬼遠藤たちに似ていることから、西側の国の機関なのではと、俺は疑いを抱いた。


 紫陽花の葉の陰から観察する。

 平凡な顔をしている。人混みにまぎれられたら、再発見は難しいかもしれない。この世界では、平凡な顔って才能のうちなんだろうね。

 スマホを見る。

 あきれるほど分の数字が積み重なって行かない。やっと、あと五分。

 きっと、どこか別の世界に、進む時間を盗まれているに違いないよ。


 奴らのにおいが強くなり、距離が遠くなるのに従って薄くなって行く。

 奴らは慎重に目を配りながら、門から出て行った。


 車の走り去る音。


 膝から力が抜けるような安堵感。

 全身、蚊に刺されていることを自覚して、むず痒さを自覚するけれど、掻く気も起きない。


 俺は紫陽花の影から這い出そうとして、美岬さんの手が後ろから首に掛かるのを感じた。そのまま、くっと顎を上げられ、声も出せないままに首の下に美岬さんの肘が入り込んだ。そして、段ボールの箱をつぶして折り畳むような簡単さで、俺の左足は美岬さんの両足に折り畳まれて、背中に体重がかけられて、全身が動けなくなった。息すらできない。同時に左足は、膝から切断されたのではないかというほどの痛みが湧き上がる。

 蛇に襲われて巻き付かれたら、こんな感じなのかも。自由になる手で必死にタップをして、無理に視線をまわして放してくれと訴える。

 左足の痛みは不意に引いたけど、美岬さんが俺の背中から体を下ろす気配はない。首も固められたままで声も出せない。


 今更ながらに美岬さんの体重を背中に、吐息の体温と長い髪をうなじから頬に感じる。

 そして気がついた。

 美岬さんの表情に、余裕はまったく見てとれない。必死に向けた視界の隅で、唇だけの動きで、「まだ」と言うのが見えた。それを見て俺も、藻掻くのを止めてそのままフリーズした。

 美岬さんは、二人が門から出て行った、エンジン音が去って行った、それ自体が罠だと考えているのだ。

 確かに、この状況で、二人揃って振り返りもせずに出ていくということは、ありえない気がした。

 美岬さんが心配したとおり、あいつらの失望の顔色が偽りであるとしたら、戻ってくるのは確実だ。


 戻って来るか、来ないか。

 いや、きっと来る。

 焦燥感という言葉どおりに、体が炙られ、焦げるような感覚の中で、美岬さんを背中に乗せたまま、ただ、待つ。


 二十秒後、唐突に、奴らが踏み込んできた。

 片腕は、スーツの内側に差し込まれている。素早く境内を見回すと、未練なく出て行った。

 それを見て、緊張感が解けることはなかった、と言えば嘘になる。でも、俺は学習していた。まだ動かない。じっとしていたって助けは来る。焦る必要はないのだ。蚊に刺される回数は増えるけど。


 フェイントが一回きりという決まりなんか、ない。

 だから、きっと、また来る。

 ここまで死角が多い場所では、相手にはそれしか手がないとも言えるのだ。

 落ち着くと、体感の時計もいつもどおりに動き出した。

 嗅覚以外の感覚も戻ってくると、背中で感じている美岬さんの体が、急に生々しさを増したように感じられた。別の意味で、動悸が高まってしまう。でも、こんな、関節技で背後から固定されるハグがあるかよ、とも思う。


 ほら、来た。

 なんか、がっかりして見えるぞ。

 「出し抜いてやった」が確定したかな? エンジン音が再び聞こえてくる。襲撃失敗、ピックアップという流れだろう。

 首を回して美岬さんを見やると、俺と同じ高揚感に満ちているのが分かる。視線だけで語り合う。


 山門から、奴らは出て行った。エンジン音が再び去っていく。

 あと四分。

 美岬さんが、紫陽花の葉を揺らさぬように、技を外して背中から降りる。


 それからさらに一分。複数の自動車のドアの、開け閉めの音が立て続けにした。鬼遠藤を先頭に、バディシステムの見本という動きで小田さんが続く。

 あいつらもすごかったけど、やはり、鬼遠藤と小田さんの動きは別格。


 本当に安心した。

 安心と一緒に、怖さも戻ってきた。

 立ち上がろうとして、再び美岬さんに手首を摑まれた。

 美岬さんの手が、弾がかすめた耳にかかり、そのまま抱きしめられる。

 人生で二回目のキスも、再び俺が奪われる立場になった。


 俺からも、そっと肩を抱く。

 美岬さんは俺の肩に顔を埋め、一つ大きく息をついた。

 そして……。一気に緊張が解け、小刻みに震える美岬さんに、涙のにおいが混じっていることに気がついた。


 俺は、美岬さんが息を吐き切るのを待ってから、誤射を避けるために大きく声を上げ、立ち上がって無事を告げた。



 あ、撃たれた耳が痛えや。


40 事態の終結


42回で第一章終わりです。もう少しお付き合いをよろしくお願いいたします。

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