38 撃たれる
必死で頭を回転させ……、ふと、隆光寺という古い寺が近くにあるのを思い出した。そこならば時間を稼げるかもしれない。橋の手前までの道を、一本変えるだけで不自然さはないし。
頭の中で検討したけど、考えれば考えるほど良い案という気がしてきた。
墓地ならば、墓石で視界も閉ざされるし、よほどの大口径弾だとしても銃弾に対して十分な防御になる。加えて、城下町の歴史を語るような古い墓地なので、立地自体が整地とは無縁の迷路だ。そして、その規模も相当に大きい。
もっとも、失敗して墓地で死ぬんじゃ、いろいろ先走り過ぎてたまらんけどな。
初夏に山門からちらっと見えた紫陽花が綺麗で、サトシと一度入った事がある。その時期がまた巡ってきたら姉も誘って、もう一度来たいとは思っていた。
意志の力で、後ろを振り向きたいという気持ちをねじ伏せて、隆光寺を目指し、山門の通りに入る。
美岬さんに説明する余裕もないけど、顔色も変えずに付いてきてくれている。
寺が近づいてきた。
尾行に気がつかず、のんびりと自転車を押して歩く擬態を、必死で続ける。
「銃弾を避けられるかも」と考えた瞬間から早足になりたがる足を、意志の力で押さえつける。
背後から、こちらに急速に近づく、大型車のエンジン音。
においの伝わる速さより、音の伝わる速さの方が早い。当たり前のこと。やはり、バックアップチームがいる。
でも、拉致される経験は二回目。
美岬さんの母親から拉致られた時は、即応ユニット数は5、バックアップ2の7ユニットだったと聞いた。今回の、敵のユニット数は2、現場にいないチームを合わせても3程度。練度も「とねり」でトップの鬼遠藤と小田さんのバディほど高くないだろうし、俺自身もあの時ほど無力ではない。
自分の自転車を車道の真ん中に放り出し、美岬さんの手を引いて一気に走る。
急ブレーキ音。自転車による車止め成功。
そして、それとは別に、二人分の走る足音。
敵のユニット数がもう一つ余計にあって、車で挟み撃ちされたら逃げられなかった。
山門をくぐる。
死角に入った。
美岬さんの手を引いて、すぐ左に折れ、塀の内側に沿って走り、墓地に向かう。美岬さんは俺の行動を、信じてくれている。繫いでいる手は、俺の進む方向に同じく自らの意思で走っていることを伝えてくる。
相手がこちらを追って門をくぐるまでの間に、墓地に、墓石の陰にたどり着けさえすれば、無事に帰れるオッズが大幅にあがる。
一番端の墓石の影に飛び込むのと、スーツ姿の二人連れが門を入るのがほぼ同時だった。しかし、その一瞬でこちらの位置を摑んだらしい。やはり、訓練された人間のハンパない動体視力だ。おまけに、行動に躊躇ためらいがない。そのまま走りよってくる。
一瞬、視界に、消音器付きの拳銃が見えた。
自動拳銃だ。リボルバーより弾数が多い分、こちらの不利が確定。
頭を下げて、走る。走る。走る。
耳元を、何かが高速で通り過ぎて行った。頬に叩かれたような衝撃が走る。
弾は、近くの墓石に当たって、鋭い音を立てる。
硝煙の臭い、灼けて潰れた弾の金属臭。そして、墓石から飛び散った石の粉のにおい。
遅れて、耳に鈍い痛み。触ってみると血が滲んでいる。弾がかすめたか、墓石の破片が当たったか。
改めて、恐怖にすくみそうになる。
牽制ではなく、当てようとしていると思った。
鬼遠藤から教えられた。
拳銃とは、有効射程は案外短いし、肩と手の二点で支えるライフルと異なり、支点が手のみの一点で狙いがぶれやすいなど、あてにならない武器だと。
そんな知識はあっても、実際に狙われれば心臓が口から出そうな恐怖がある。鬼が訓練の合間に話し、叫ばされたことだけを頼りに、諦めないという気持ちを必死で繋ぎ止める。
俺は美岬さんの手を引いたまま、姿勢を低くし、足音を立てないように走った。樒と紫陽花、墓石が視線を遮ってくれるはずだ。おまけにこちらは制服、黒と白を基調としているから墓石の中では見えにくいはずだ。墓地内で走る方向は当然風下、迷いはない。
夏休み中の訓練は、無駄ではなかった。
俺は走れる。この状況下でも走れる。夏休み前ならば、きっと、走れなかった。
もう一弾撃たれたようだけど、どこかの墓石に当たったのだろう、なんともいえない強烈な音。先のものほど至近弾ではない。
削れた鉛の臭い。
酸味の混じった焦げ臭さ。
石の粉のにおい。
そのすべてが俺を追い立てる。
三発目は来なかった。
一旦は、敵の視界から逃げることができたらしい。
パニックになりそうな心を、二つの発見が救った。
一つ目は、やはり緊張で冷たくなった、美岬さんの手。しっかりと俺の手を握っている。俺は、独りではない。
二つ目は、敵二人の持つ銃が異なるもので、それが俺には判るということ。僅かな硝煙のにおいの違いが、意識の中に届いた。俺は、対抗できる銃を持っていない。でも、嗅覚という武器を持っている。改めて、それに気がついた。俺は無力ではない。
追い立てられていることが解ってしまう以外にだって、嗅覚を活用できる。
墓石を背に、少しだけ落ち着く。
弾が墓石に当たった音も違った。後から撃たれた銃の方が、口径が大きいかもしれない。
考える余裕が生まれてきた。
深呼吸。
そして美岬さんの顔を見る。
緊張でやはり青ざめているけど、まっすぐに俺の視線を受け止めている。
「無事に帰るぞ」
そう、囁く。
美岬さんが頷いた。それを見て、さらに落ち着きが戻ってくる。
そう……、ここは、俺の世界だ。視野の閉ざされた、死角の多いフィールド。俺はここならば、文字どおり墓石の裏側まで、風上にあるものすべてを把握できる。
美岬さんの手を引き、一転してゆっくりと墓地の区画を移動する。
再度、美岬さんと視線を合わせる。極度の集中と緊張のためだろう、いつもより更に目が大きく見える。走って、少し髪が乱れた美岬さんは、神属性を備えたように綺麗だった。
俺は、美岬さんに無理やり笑顔を作って頷いてみせると、手近な墓石の根元に屈み込んだ。
もう一回、深呼吸する。相手の位置は手に取るように判った。風が運んできてくれる。奴らの位置情報を。
今になって、植物の出すにおい、線香の燃えかすのにおい、供えられた花の匂い、枯れた花や長く放置された供物の腐敗臭を把握する。テントウムシの臭い、複数の野良猫のテリトリーの範囲、そして、二種類の硝煙。
奴らは発砲した。一人一発ずつ。ありがたくてお礼を言いたいくらいだ。
おかげで、明確に、においの発生源の位置と、それぞれの識別ができる。
スタバから距離を保って付いて来られていたので、今までどちらがどちらか判らなかった。
頭の中に、敵の位置がプロットされた、正確な墓地の配置図が描かれる。野良猫のテリトリー付きで、だ。
一回でも来たことがあってよかった。
次回、中央突破
逃げ切れるのか?




