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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第一章 16歳、入学式〜夏休み明け(全42回:推理編)
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26 消失? そして姉弟


 自転車をどう漕いだかは、覚えていない。

 美岬さんの家の前に着いていた。

 家の照明は消えていた。門柱灯すらも。

 生活音も漏れてはこない。


 いない。


 外食のために出かけている可能性は、否定できない。

 否定できないけれど。

 外食は、あり得ない気がした。きっと、美岬さんならば、母親から次のレシピを教わる方を選ぶはずだからだ。



 でも……。

 俺を社会的に抹殺する方が早いし、確実なのに……、超法規的な存在だからって、一から新しい環境で人生を作りなおすのだろうか?

 でも、もしも、そうだったらどうしよう? そうだったら、美岬さんの心はどうなるんだ? 

 あまりに可哀相すぎる。今までのすべての過去を失って、母親とともに生きるしかないというのでは、彼女自身の人生がないじゃないか。


 そして、それはすべて俺のせいなのだ。


 真っ暗な中、物音もさせず、彼女の家はただ、静かにそこにあった。

 何も変わったことがなく、ただ暗いというのは、家の大きさと相俟(あいま)って無言の拒絶を感じた。

 この家の玄関で、彼女がペットボトルを渡してくれてから、まだ数日しか経っていない。なのに、それが信じられない。


 体中が熱くなり、そのエネルギーが体から吹きこぼれそうだった。

 俺は、立っていることができなくて、しゃがみ込んだ。

 いろんな感情が渦巻いて、叫びだしそうだった。


 でも……。しゃがんで気がついた。

 美岬さんのにおいだ。家から出て行っている。

 俺には、まだ、この力がある。まだ、会えるかもしれない。

 彼女の母親らしきにおいもある。これは、判別不可能ということで、逆に消去法で想定できる。かなり薄れてきているけど、中年コンビのにおいも残っている。


 美岬さんは、自分のにおいを消して行かなかった。

 消して行かなかったという一点が、俺に救いを与えた。母親と同じ消臭をされたら、もう、どうにもならないところだった。


 美岬さんは、俺がにおいで追って行けることを知っている。彼女は、この臭跡を追って来いと言っているのではないか。


 俺は立ち上がって、跡を追おうとし……。

 次の瞬間、気がついた。俺がにおいで追って行けることを、美岬さんの母親も知っている。あの母親が、娘の臭跡を消さなかったのはなぜか。

 昼間の、あの母親の言葉が生々しく脳裏に浮かぶ。そう、「嗅覚も含めて、すべてを疑いなさい」だった。


 混乱して、頭が爆発しそうだった。だけれど、ここで考えなければ彼女を失ってしまう。

 考えるしかない。頭の中で、サトシが一緒に考えてくれれば、などと甘えが走る。でも、自力で考えるのだ。


 組織がらみであの母娘が姿を消した場合、においは残さないはずだ。美岬さんが、俺に追ってきて欲しいと考えたとしても、母親がにおいを残させない。あの母親が、そんなミスをするような人間であるはずがない。彼女の分だけとはいえ、においが残っているのは、論理的にあり得ない。

 俺に関係なく、組織の関係で母娘揃って家を出るということも考えられない。そうならば、今までと同じように美岬さんは家に残されたはずだ。


 次に、組織が絡んで姿を隠したのではないとすれば、外食か食事のための買い物しかない。でも、もう、食事の材料や日常雑貨を買いに行く時間帯でもない。外食やDVDを借りに出るとか、他にいくつも思いつく可能性も、久しぶりに会う母親で過ごす時間の貴重さを考えると、あまりない。


 となると、いない可能性がない以上、自らの嗅覚の判断に反し、この暗い家にいるのではないか?

 そもそも、美岬さんだけの臭跡がある時点で、嗅覚への罠と取るべきなのだ。


 俺はゆっくりと立ち上がり、門柱の呼び鈴のボタンを確認した。

 手を伸ばす。


 「やめときなさい。悪い事は言わないから」

 後ろから、いきなり声をかけられた。振り返るまでもない。

 姉の声だ。

 「久しぶりに自転車に乗った。高校の時以来。でも、追いついて来れたんだから、良しとしなきゃあね」

 そうは言っても、姉は息を乱した風もない。おそらく、俺の葛藤を、遠くからしばらく見守っていたのだろう。


 「そこが、スカウトされたとか言っていたところかな?

 いろいろあったみたいだけど、やめときなよ」

 姉は一転して声を低めた。

 「夢にしといた方がいい。帰ろうよ」

 そう重ねて言うと、俺の手を取った。


 だけど……。

 俺は、自分の論理で導いた答えを確認しなければ帰れない。俺の思考は論理で、夢想とは相容れないものだ。そう信じたい。


 「うん、これだけしたら帰る」

 そう言って、姉に笑みかける。

 姉は、無言で目をそらした。


 姉の考えていることは、痛いほどよく解った。

 でも。俺は俺の判断を優先させて生きたいし、それが解っているから姉は目をそらしたのだ。


 俺は、呼び鈴のボタンを押す。

 遠くで、りんこんりんこんと、チャイムの音が響くのがうっすらと聞こえる。

 間。

 闇。

 間。

 間。

 そして闇。


 ふう。

 いい夢を見たと思うしかないんだろうな。

 美岬さん、俺は君が好きだ。だけど、俺の服にまだ色濃く残っている君の香りは、もう何の慰めにもならない。

 怯えていた可能性、取り返しがつかないことをしてしまった可能性が、急激に高まりつつある。


 「帰ろうか?」

 姉に言う。

 いつになく、姉が辛そうに見えた。姉自身が裏切られたわけではないのに。

 二人きりの姉弟だからな……。やはり、姉のためには、呼び鈴のボタンは押すべきではなかったのかもしれない。


 姉と、美岬さんの家に背を向けた。



 次の瞬間、二人の影が長く道路に伸びたのが見えた。これは、彼女の家から照らされたことを意味する。

 振り返ると、玄関のドアが開き、美岬さんが顔を出したところだった。

 「こんばんは。

 母と、真くんは絶対来るって言っていたんだよ」

 どことなく真面目くさった口調で言う。姉がいるからだろうか。

 びっくりして、ちょっと言葉が出なかった。


 立ち直りは、姉の方が早かった。

 「初めまして。双海真の姉です。遅くに押し掛けた形になってしまい、申し訳ありません」

 そう挨拶する。

 こういうのがそつなく出るのを、年の功って言うんだろうな。


 「いないかと思った」

 思わず、ぽろっと口から出た。

 答えたのは、美岬さんの後ろから顔を出した母親さんだった。

 「いない? それは、双海くんの論理的帰結だったのかな?」

 はは、予想通り、突っ込みキビシいぜ。俺もアレ(・・)って呼びたくなる気持ちが解るよ。

 「いいえ、そうではなかったので、呼び鈴を鳴らさせて頂きました」

 「うん、来てくれて良かった」

 美岬さんが答える。なんか……、やけにうれしそうに見える。あ、いかん、また耳が熱くなってきた。この母娘の前で赤くなるのは、やたらと悔しい。


 「遅いですし、立ち話もなんですので、お上がりください」

 母親さんが姉に言う。

 「とんでもない、遅くに押し掛けてしまったのですから、お暇(いとま)させて頂くのが筋ですので……」

 と姉が言うのに構わず、母親さんは言葉を重ねた。

 「来たということは、いろいろとご心配なことがあるからだとお察しします。また、その原因を作った者として、説明の義務があります。日を改めてご説明しても良いのですが、もう、ここまで来ていらっしゃるのですから、どうぞ」

 そこまで言われて、姉も腹をくくったらしい。

 「では、失礼して、お邪魔させて頂きます」

 姉は、そう言うと美岬さんの家の敷地に足を踏み入れた。押し隠してはいたけど、いつになく不安そうに見えた。

 アドレナリンが出て、においがするまでは行かないにしても、だ。


 昼間の応接に入る。

 改めて気がつく。全体は見渡せないけど、この家の間取り、外界と隔絶できるようになっている。照明の光が外に漏れないはずだ。

 壁の厚さも、30センチくらいはあるかもしれない。

 もしかして要塞? 核シェルター?


 家の中には、薄く夕食の香りが残っている。どうやら肉じゃがみたいだけど、ベーコンで作るとは珍しい。しかも、本当に煙を当てているやつを使っている。それで、ナスが入ってるってのはイレギュラーだよな。人んちの夕食の分析している場合じゃないんだけど……。

 とにかく、薫りが素晴らしく良い。ま、今度作ってみよう。


 美岬さんは、台所の方向に消えた。お茶を用意してくれるらしい。

 奥に美岬さんと彼女の母親、部屋の入り口側に俺と姉が並んで座るという席配置だ。今日、このソファに座って緊張するのは二度目。


 ったく、今日という一日は、途方もなく長く、いつ終わるんだか想像もつかない……。



次回、保護者対決。


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