25 姉、帰宅
自宅に着くと、二人はさっさと俺の自転車を下ろして去って行った。
今、気がついた。
「わ」ナンバーじゃねぇか。
あいつら、レンタカーかよ。
だから、無頓着に車にも乗せたし、送ってくれもしたのか。一介の高校生じゃ、ナンバー覚えてレンタカー事務所を突き止めても、借り主のことを教えてくれるはずもないもんな。
ガードを下げて見せていたけど……、さすがだな。
サトシは近藤さんと話したはずだけど、どちらからも報告メールは来ていない。
もしかして、まだ話しているんだろうか? もう、一般家庭なら晩飯の時間だ。飯でも食ったら、こちらからのメールを送るべぇ。
家に入る。
米を研ぎ、冷蔵庫を確認する。めぼしいものがレタスしかない。ここんとこ、まともに買い物もしてないからなぁ。明日は、文化祭実行委員会だけど、食料品を仕入れないと外食になっちまう。
とりあえず、レタス以外の有り合わせの少ししなびた野菜を洗い、刻む。豆豉も刻み、花椒をつぶす。いい香りだ。昔は、この香りは強過ぎて、どうにもダメだった。今は、なんていうのかな、嗅覚がカメラのズームのようにアップにもワイドにもなるんで、普通に料理として楽しめる。
あとは、姉が帰ったら、凍らせてあるストックの挽肉を豆板醤、甜麺醤とともに炒め、豆豉を加え、刻んだ野菜と更に炒め、仕上げに花椒を振る。でもって、それをレタスで包んで食べる。これなら姉の帰宅から、十五分と掛からず食事になる。
シャワーにするか、メールにするか悩んでいるうちに、姉が帰ってきてしまった。
すかさず、下ごしらえを活かして夕食の手順を進めたため、考える時間もなくなってしまった。
ざっと仕上げ、夕食。
中華はもう少し火力があると、もっと旨くなるんだけどな。まぁ、こんなもんだろうな。上を見りゃきりがない。
姉と、口数少なく夕食を済ます。今日のことを報告しなきゃならないのに、なんか、言い出しにくくてさ。
でも。食べ終わって、お茶を飲んで、気持ちも一段落して。
「ありがとう」
こう、切り出したんだ。
「なにが?」
「仲間と情報を共有していて、助かったことがあったんだ。アドバイスのおかげだよ」
「ふん」
姉は鼻を鳴らすと、そのまま立ち上がろうとした。
いかん。
このままだと、シャワーからビール、そしてベッドと一直線だ。
「相談があるんだ」
姉は、振り返ってしばらく俺の顔を見ると、ソファにとぐろを巻いた。飲まないでソファの上に陣取るのは、そう多いことではない。
「あんた、ちょっと雰囲気が変わったね。何があったの?」
姉は、相変わらず鋭い。
「就職のことなんだけど」
「学費はなんとでもするから、大学に行きなさい。以上」
ぶつん。
音を立てて会話が断ち切られる。
俺は食い下がる。
「待って。大学には行く。でも、同時に給料も貰えるんだ」
姉は、一息つくと、うさんくさそうにこちらを見た。
「どういうこと? 防衛大学校? 学生で起業でもするの?」
「いや、今日、スカウトされたんだ」
「スカウト? 馬鹿言ってんじゃないわよ」
話が噛み合ない。
まぁ、しかたない。
「頼むから、馬鹿にしないで聞いてよ。事後報告にしたくないんだ」
「聞くから、眉に唾をつけなくていい話をするのよ」
厳しいよな、姉は。まぁ、シビアでなきゃ生き抜けないのは、俺だって解っているんだけど。
「俺の嗅覚を、買ってくれる場所があったんだ。で、大学も出してくれると。大学受験の予備校補習も面倒を見てくれると。しかるべき学歴をつけた上で、嗅覚をも活かした仕事につくんだ」
「あんたの嗅覚を、そこまで買うってのが信じられないのよ。
それだけの学費を考えれば、七桁の単位よ。それに給料をもらえるといったわね。となれば、学生の使い物になるかならない相手に、八桁の投資を無条件に与えるってことになるわ。
あんた、馬鹿じゃない? そもそも数学どころか算数ができないんじゃ、大学なんて受からないわよ」
俺は混乱した。
姉の言うとおりだからだ。反論の余地がない。
お金は数字だ。稼いでいない俺だって、そのくらいのことは判る。そして、数字とは絶対のものなのだ。
その上で、今日、あの場でされた話にも、嘘も感じられなかった。
予算は潤沢だと。でも、海のものとも山のものともつかない相手に八桁は出さないんじゃ……。
もしかして……。
「つはものとねり」という組織が、俺を含め一市民は抹殺できないと決められているとしたら?
うまい話をして俺を納得させ、あの二人が家まで送って確実に時間を稼ぎ、その間に身を隠す。
美岬さんは、組織のことを話してしまったペナルティとして、有無を言わせずに別のところで別の人生を送らされる。
嗅覚をキャンセルさせられていた俺は、良いように手のひらの上で転がされていて……。
それもまた、あまりにありそうなこと。
否定できない。
俺が、美岬さんにしてしまったことは、最低のことだったのかも知れない。
どうか、間に合ってくれ。
俺は、家を飛び出し、自転車に飛び乗った。
次回、消失? そして姉弟




