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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第一章 16歳、入学式〜夏休み明け(全42回:推理編)
22/232

22 雇用条件


 「少し、頭を整理したいのですが、回答は今でなければダメなんでしょうか?」

 「そうね、一年以内に決めて欲しいわね。

 もしも、話を受けてくれるのであれば、すぐにでも教育と訓練を始めたいの。

 教育には、有名どころの予備校講師による大学受験対策も含むわ。社会人として不自然でないカバーを得るためにも、良い大学を卒業しておく必要がある。

 美岬も、そういう教育を幼い時から受けているし、ね」

 「ではなぜ、もっと良い進学校に行かせなかったのですか? 美岬さんの実力ならば簡単だったでしょうに」

 「時間が勿体ないからよ。美岬には既に終了している受験勉強で追いまくられるのは、文字どおり時間の無駄。だから、そこそこで自由な校風のところの方がね。

 時間が自由になれば、受験のプロによる高密度な講義と、私たちの組織に必要とされる教育、どちらも得られる。なまじの進学校だと、そこそこでしかない受験対策に時間を取られて、その他の時間が得られないわ」

 「美岬さんは、自分でそれを選択したのですか?」

 「ええ。私から答えるより、美岬に直接聞きなさい」

 そう言って、美岬さんに視線を向ける。


 彼女は軽く、しかし、明確に頷いて言った。

 「私の選択よ。十歳の誕生日に。

 他の選択も考えないわけじゃなかった。でも、私は母の跡を継ぎたかった。私が、この力を隠さずに生きられる場所がある。この力を、きちんとした目的に使える場所がある。そう思ったのよ」

 俺は嗅覚だったから良かったと、再び思う。

 能力がバレても、犬と呼ばれ、笑いの種で済む。


 「命の危険とかも、あるのでしょうか?」

 「なくはないわね。

 なくはないけれど、通常の危険率よ。営業に出て、交通事故に遭うのとそうは変わらない。通常の自衛官の方がよっぽど危険でしょうね」

 「それって、ないってことですか?」

 「そこまでは言えないわ。未来のことは誰にも判らないから。

 少なくとも戦後、病死以外の在職中の死亡はないわ。病死率も、通常の会社の死亡率と変わらない。でも、まぁ、それでも病気に見せかけた暗殺が混じっていないかと問われれば、完全な否定は難しいわね。

 少なくとも、危険は無いわけじゃないし、そのための教育と訓練だし、それによって事故率を下げているという事実はあるわ」

 「なるほど」

 と言いはしたが、よく解らない。

 危険なのか危険でないのかの答えも、うまくはぐらかされたような気さえする。


 「途中で嫌になったら?」

 「仕方ないわね。

 教育費やら研修費とか、返せとは言わないわ。

 防衛大学校と同じよ。任官拒否をしたからといって、社会的に抹殺されることもないし、よりよく生きてくれるなら仕方ないわね。

 ただ、守秘義務は守ってもらうわよ。教育中も給料は出るんですからね」

 「『組織の秘密』とかの表現でないあたり、妙に公務員っぽいですね」

 「ああ、そうか。

 一番基本的なことを言ってなかったわね。私たちは一応国家公務員よ。表の顔も、裏の顔も、共にね。

 どこかに潜入する必要に応じて、会計監査員になったり、税務職員になったりもするけれど。更には、出向制度を活かして市職員だったり、県の職員だったり。

 民間への出向もアリだから。

 スカウトだから売り文句を言えば、女性は育休中は裏の顔は免除されるし、福祉は充実しているわよ」

 なんか、いきなり見えた気がした。


 「裏の顔は、職務専念義務免除と?」

 「ええ、そういうこともあるわね」

 今日は、聞いたことがあるだけだったり、小耳に挟んで知っていただけの単語を使うのが多い日だな。組織への理解はできても、正直、知らない単語が多くて、だんだん付いて行けなくなっている。

 やはり、高校生の世界じゃないよな。


 「もしも、今、お話を受けたら、夏休みは自衛隊かどこかでひたすらハードな訓練、夜はひたすら勉強となるわけですね?」

 「違うわ。もっと厳しい。自衛隊の候補生以上ね。夜通しの訓練だってあるし、それに加えて、不自然でないようにお姉さんのところに帰ったり、菊池くんと遊んだりもしてもらわないとね。これも全部任務の内よ。

 期間中は、座って食事ができるとは思わないことね。また、横になってベッドで寝ることも期待しないほうがいいわ」

 マジかよ。

 死なないかな、俺。


 「保証が欲しいです。今までの話が真実だという……」

 「結構。

 食いつかない辺り、中二病に罹ってないわね」

 そう言うと、自分の身分証明書を取り出した。

 あんた、財務省かよっ!?

 武藤美桜という名が記された、写真入りの身分証明書。

 「あなた達も見せてあげたら?」

 顔の両脇に、左右の耳をかすめるようにして、後ろからそれぞれの身分証明書が突き出された。

 自衛官に、警察かよ。こっちは、そんなに予想から遠くないか。

 名前こそ指で隠してるけど、顔写真と身分は明らかだ。


 少し安心した。

 硝煙の臭いも、自衛官ならば、訓練で射撃をしてきたということもあるかもしれないからだ。

 「ちなみに、公務員になるのは当然、その年齢にならないとね。今、仲間になったとしても、給料はうちの組織から直接という形。でもね、それは御今上の財産から直接ということよ。直接生活費込みの奨学金を貰えるんだから、感謝してもらわないとね」

 こくこくと頷く。だって、あまりに想像を超えている事を言われ続けると、そんな反応しかできなくなる。


 「最後にもう一つだけ、いいでしょうか?」

 「なにかな?」

 「美岬さんは、あなたから受け継いだのは、いくつかのレシピだけと言ってました。家族が揃ったのは二年も前のことだと。それほどハードで、子供の危機にも弁護士に代理をしてもらうしかない仕事なんでしょうか?」

 「一番痛いところを突いてきたわね。

 さっき言ったとおり、常に状況は把握している。組織として、構成員の親族の身は守っている。

 本当は、私が一緒にいられる時間を増やすべきなのは、解っているんだけど。

 この娘の父親は、外国にいるしね」

 と、ここで一旦言葉を切った。


 そして、次に話しだしたことは、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

 「でもね、逆に考えてくれないかな。

 私は忙しい。でもね、美岬のことを忘れた事はないし、幸せにもなって欲しい。

 そして、今、私が忙しいことで、将来の美岬が、美岬の娘と暮らす時間をきちんと取れるようにしておいてあげたい。

 多分、私もそうだったし、美岬もそう、そして、美岬の娘もなかなか普通の学校生活を送ることはできないだろうと思う。だからこそ、今、私が頑張らないと、ね」

 それも、また、問題の先送りで、ちょっと違うんじゃないかと思わなかったわけではない。


 でも……。

 それを言うのは、俺には無理だった。

 この人に、それ以外の選択肢があるなら、とうの昔にそれを選んでいるということは痛いほど分かった。

 それに……、組織を通してかもしれないけど、娘を常に心配しているということに偽りは感じられなかったし、娘に異常があればすぐに駆けつけることもしている。


 って、あれ? 

 「今回、ここまでの事をしたのは、なぜなんですか? 

 私がどこかの組織の人間ではないことは判っているんでしょうし、こんなに急いで、高々、一高校生に、車五台、人員十名と、ここまでの対応をしなくても良いでしょう?」

 「見えていないバックアップ、情報管制と今も動いている調査担当が更にいるから、もう一回り大掛かりよ。

 判らないかな?

 双海君、君が美岬を守るなんて言いださなかったら、ここまでのことはしないわよ。

 美岬は、辛抱強く耐えてきた。

 君の言うとおり、堅いものは折れる。

 美岬は、君の守るという宣言によって折れてしまった。そして組織のことを話してしまった。スイッチを切ってみせたICレコーダーにしても、もう一つバックアップを持っている可能性だってあるのに、そこに考えが及ばないほど、折れ切ってしまった。

 結果として、『つはものとねり』の一画を預かる身としては、美岬は君に取り込まれたのに等しいと判断せざるを得ない。

 だから、このまま君という人間の正体が判らない状態で好きなようにさせていたら、美岬を通じて、美岬自身も、組織も、そして守るべき血筋までもが取り返しがつかないほど傷つく可能性があった。

 この正体というのは、君のカバーが完璧などこかの組織の構成員かということもあるし、君の人間性への判断もある。

 軽率なバカってのは怖いのよ。行動に予想がつかないから。

 だから、君をこのまま泳がせるという選択は取らず、拙速でも現状の確認を取ったのよ」


 そうか。

 問題が最小ならば、俺がチャラ男で口先で美岬さんをものにしようとしているのでは? だし、最大ならば、俺は「つはものとねり」に対抗する別の組織の手先、それも背景の割れてこない者では? となる。その場合、ICレコーダーの二台持ちなんて、初歩なんだろうな。

 電波のジャミングで、データ送信を阻止できれば、あとはICレコーダーの回収が必要になるわけだ。


 どちらにせよ、最大の被害者は美岬さんとなる。今も未来も、全て壊されてしまうかもしれない。

 だから、最大の対策をしたのだ。

 俺に対して、組織としての実力の誇示をして見せたのも、この一環だったのだろうし、誇示では済まさず、ICレコーダーと一緒に処理(・・)をされる可能性も十分にあったのだ。


 俺が、美岬さんを守るという自分の原点にこだわったことで、結果として切り抜けることができた。

 姉のいうとおり、近藤さんとか、味方を増やしておいたのも効いているに違いない。きっと、メールだってみんな確認されているんだろうから。


 思わず、横の美岬さんを見る。

 涙が止まっていない。小さな手も、俺の前腕を掴んだままだ。

 俺は、その手に自分の手を重ねた。

 涙で濡れた手の冷たさが、身に沁みた。

 「良かった、美岬さん。君は、君の家族といつも一緒だったじゃないか」

 彼女は頷いた。頷きながらも、涙は止まらない。


 「私たちは、席を外します」

 頭上から、声が降ってきた。

 そのまま気配も足音もさせずに、二人とも部屋を出て行く。気を使ってくれているらしい。それとも、あまりのことに照れくさくて、居られなくなったか? 

 美岬さんの母親が、部屋を出る二人の後ろ姿に向かって、丁寧に頭を下げたのが印象に残った。


 「あの二人がね、双海くんと美岬の話の内容を聞いて、すぐにこれだけのお膳立てを整えてくれたのよ。

 そうでもなければ、ここに来れなかった」

 なるほど、そういうことですか。


 「話を戻すけれど。

 私たちが忙しいのは、十年後から二十年後のためよ。逆をいえば、未来が平和で安定している時代であれば、私たちの仕事は一転して情報分析のみになる。

 詳しくは話せないけど、今、この国は曲がり角を迎えている。十年前に予想されたとおり世代交代が進み、予想されたとおり事態が動いている。

 これのキリが付けば、少しは時間が取れるようになるの。あと五年、五年なのよ」

 俺に、もう、言えることは無かった。


 「分かりました。学校では、みんなと、美岬さんと、高校生活を充実させていきますので、よろしくお願いします」

 美岬さんの母親は、ふと真顔になった。

 怖さがまったくなくなって、ただ、ただ、真摯な真顔で。

 美岬さんと同じ表情。この人の、本当の顔はこれなんじゃないか、なんて思った。

 「スカウトの件、考えておいて。

 あと……。

 美岬のことを、よろしくお願いします」

 俺は……、何度目かに驚いた。

 そして、美岬さんは、ついに顔を伏せて泣き出した。

 中学から引き続いて、高校でもずっと耐えてきたのに……。


 彼女の母親に言う。

 「こちらに、美岬さんの横に来てあげてください」

 「そうさせてもらうわ」

 そう言って、母親は立ち上がった。

 あ、この人、身長が美岬さんと同じぐらいしかない。あまりに大きく見えていて、気がつかなかった。


 そっと、美岬さんが握りしめていた前腕を取り戻す。

 「お茶を入れてきますね。ちょっと台所、探検しちゃいますけど」

 母親は、娘の肩を抱くと、こちらに小さく頷いて見せた。

 俺は、そっと部屋を出た。


次回は、お買い物します。

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