40 キューピッド役が勤まらない
姉、帰宅。
夕食、鶏団子鍋。
たまにちゃんこ感覚の夏鍋で、そうめんとかに偏りがちな献立から栄養バランスを補正する。きちんとミネラル取らないと夏バテするからだ。とはいえ、さすがに一夏に数えるほどの回数だけどね。
鶏団子鍋の歌を口ずさみながら作る。気分はヴ○ンプ将軍。
夏なので、白菜の代わりにキャベツ。煮上げた鍋を食卓で食べるだけで、煮ながら食べるという冬のスタイルは取らない。それはさすがに暑すぎるからね。
モツ鍋でもいいかもだけど、姉にモツを出すと引くんだよね。
柚子胡椒って、美味いよなー。
鶏の案外癖のある香りが、みごとに良い香りに化けるもん。
で、鍋越しに話を振ってみる。
「お姉。
今回さ、遠藤さんに徒手格闘で出し抜くって、凄すぎだよね。
俺、手も足も出ないよ。いつも完全に遊ばれてる。
どうやったん?」
「遠藤さんが来るなんて思っていなかったからさ、どこかの組織の白人だと思っていたし、つい四教で固めちゃってさ」
「それにしても、よくも、あの人相手に技が出せたね」
「だって、私がいくら練習したって、体も小さいし、男の人を自在に制圧できるほど強くなれるわけないじゃん。
それなのに、去年も実戦で使わざるを得なかったし、これからもなにが起きるかわからないし。
だいたいね、道場で先生と私だけなんだよ、実戦で使った経験あるの。
技だってまだ幾つもできないっていうのに……」
それは……、なんか申し訳ない気がする。
もしかしなくても、俺のせいじゃん。
「でも、悔しいし、実戦で使えるようになんとかしたいって先生に言ったら、相手にされなかった。合気道はそういうもんじゃないって。それより、逃げろってさ。
けど、あの基地司令が、一言事情を言ってくれてね。いつも、逃げられない状況で、マジな話だって。
そしたら、基本の技のいくつかだけでいいから、毎日毎日、三百回は繰り返せって。
三百回ならば一時間もかからずできるって。
で、同じ技でも、ちょこっと腕の角度とか違うようなのを教えてくれた。
そのちょこっとを変えるだけで、逃げられない、倍も動けない、そんなふうに同じ技が変わるんだよ。
なので、その方法で、四教までを毎日、ずっとずっと繰り返してた。
そしたら、今回、なんか手が自動的に伸びて、技も自動的に出ていたんだよね」
それってもう、稽古中から、仮想の相手が見えていたんじゃないかな。
習い事を二年前からいくつも徹底してやっていて、マジだマジたとは思っていたけど、やっぱりマジじゃないか。もう、自分の中で感想が日本語になってないし、ため息しかでない。
一念で岩を通したんだな。
「で、それがなにか?」
と姉。
そう来ると思ってましたよ。
でも、もう一つ確認してからだな。
姉の質問を黙殺して、もう一度話を振る。
「で、遠藤さんにやり返された、と」
「うん、全くなにが起きたか解らなかった。
一瞬で、気がついたら立場が逆になってた。次に道場行ったときに、先生に聞いてはみるけど、こうじゃないかってのを教えて貰っても、それが正解かどうか判らないほど速かった。
すごいよね、あの人」
「そうだよね、すごいよね。
全面的に頼れるって感じだよね」
姉のこちらを見る目が小さく窄まった。
けど、その奥の目は光っている。
「真、なにが言いたい?」
解っているよ。
俺は嘘が下手で、取り繕うのも下手で、かてて加えて婉曲な話をするのも下手なのは。
でもいいや、遠藤さんも婉曲なことは嫌いだから。
姉に振られるならそれはそれで良くはないだろうけど、ぐだぐだするよかいいじゃん。
あんな緻密な計画、くそくらえ、だ。どうせ、遠藤さんには似合わない。
「遠藤さんが、お姉をきちんと紹介しろって。
実戦の場で技を決められて、ぞっこんみたいだよ」
「……」
俺、姉が「まさか」って笑うと思っていた。
まさか、こんな重い沈黙が帰ってくるとは思ってなかった。
エアコンの冷気に吹き流される鍋の湯気だけが、雰囲気を埋めている。
俺は無言で鶏団子を食べる。こんなときでも、柚子胡椒は美味い。
とにかく、食ってでもいなきゃ、間が保たん。
「真、私の分まで団子食べてる。野菜も食べなさい」
「あ、ごめん」
それを機に、箸を持ったまま、姉はぽつぽつと話しだした。
「いいとは思うよ。
でも……。
たぶんね、二年前のあの事件に巻き込まれたとき、私ね、諦めたんだ」
「なにを?」
「私が女だからかは自分でも判らないけど、好きになったら、相手に期待しちゃう。頼っちゃう。
でも、あんな犯罪のときは、彼の力ではどうにもならなかった。
仕方ないのは解ってる。
自分の力でどうにもならなくて、彼でもどうにもならなくて。
で、絶望した。
守ってもらえることなんか、もうないってね。
たぶんね、美岬ちゃんは違うよ。
あの娘は、そこには絶望しない。真の力が及ばない相手でも、最後まで自力で戦うよ。
でも私は、そうにはなれない。
そうなりたいと、ずっと足掻いてきたけど、やっぱりなれないと思う。
持っている強さが、ぜんぜん違うのよ。
今回のことで、痛いほど判った。
私ならば、医療チームに囲まれてならまだしも、人質となった敵中で致死率の高い仮死薬なんて怖くて飲めない。
恐怖に恐怖を重ねるなんて、絶対無理。
確かに、私も二年前に比べれば強いかもだけど、美岬ちゃんはさらにその遥か上をいくのよ。
遠藤さん、あの人はとても強いよね。
あの人に釣り合うのは、そういうクラスの強い女性。
そうでないと、たぶん一緒にはいられないよ……」
姉が言うことは、確かに同意せざるをえない点があるとは思う。
そう、独りになっても戦う、俺は美岬のそこに惹かれたんだ。
だからこそ、守りたいって。
ま、もっとも、姉も本人の知らないところで大概な評価を受けてはいる。
一人で、アメリカの諜報機関の一つのブランチを潰した女だからね。
で、その方法が呑み潰したということだから、呆れてだけど、どこももう手を出すことはない。
そりゃそうだ、民間人を間違って拐ったら、数日で全予算を呑まれたなんて、話としても鬼門にすぎる。
でもね、ちょっとだけ光明も感じた。
姉は遠藤さんを「嫌い」とか、「やだ」とかは言わなかったんだ。
そして、遠藤さんは俺ではない。
あの人の過剰な強さは、姉を守るだろう。ただ、守られることで自らの歩みを止める女性は、遠藤さんでもどうしようもない。
そして、きっと姉は歩みを止めない。
「お姉、お姉は、この先、どう生きていくつもりなの?」
鶏団子を咀嚼しながら、姉の人生に踏み込む。
「どうって……、どういう意味?」
「『つはものとねり』に就職するつもりでもあるの?」
「なんでまた?
そんなつもり、あるわけないじゃん」
「遠藤さんが、武藤佐に命令されて作戦を実行するように、お姉にも命令されたくて、それでつきあいたいと言ったのかな」
「真の言いたいことは解るよ。
でもね、遠藤さんが必要なのは強いひとよ」
姉はつっかえつっかえ、自分の心を覗き込んでいるように話す。
「違うと思う。
遠藤さんに必要なのは、強い女性かも知れない。
でも、遠藤さんが欲しいのは、強い女性じゃない。
そうだったら、一瞬で技を掛け返される相手を口説こうとはしないと思う。
欲しいのは、強くありたいと思っている女性だと思うよ」
「そうかな?」
「それに、『軽く後悔させるぐらいがイイ女の証だ』って言っていたよ、あの人」
ホント、俺には絶対言えないセリフだ。
きっと、俺にはそこまでの包容力はないんじゃないかな。そんな自覚はある。
沈黙。
鶏団子、美味し。
ようやく、姉が話し出す。
「でも、たとえそうでも、遠藤さん、いついなくなるか分らない仕事じゃない?
その人と一緒にいて、いなくなったときに泣かないなんてできないよ」
「はあっ?
なにそれ?
美岬だって、俺がいなくなれば泣くよ。それとこれは話が違うじゃん」
「違わないよ。
いなくなる覚悟をいつもしていなきゃならない、それを言いたいのよ。
さっきから言ってるけど、それにずーっと耐えていけるほど、私は強くないの」
「いなくならないよ、遠藤さんは。
俺、お姉にこの話をする代償として、遠藤さんにお姉が八十まで生きるならば百まで生きることを約束させた。
年齢差を超えて、お姉を看取るまで死なないってこと。
たぶん、あの人、撃たれたって、がんにかかったって、死なないと決めたら死なないよ」
「頭とか吹き飛ばされたら、やっぱり死んで欲しいんだけど……」
「そういうとこだぞ、お姉」
「うるさいっ!
鶏団子、全部喰っちまいやがって!
ラーメンかなにか奢れっ!!」
「うちの食卓が戦場ルールなのは、いつものことじゃん。
分かったよ、鶏チャーシューの乗ったのを奢るよぉ」
とりあえず、遠藤さんには、前向きな報告をしておこう。
押せばなんとかなるかも、ってね。
それ以上は、今の状況で今の俺が責任を取れるようなことをするのは限界があるよ。
次回、終幕その1、学校にて、の予定です。




