25 督
「督の血筋はまだ伏せさせてくれ。カバーは、理容師だ」
「?」
床屋さんってこと?
「都内某一流ホテルの理容室だ。歴代総理は、そこで身なりを整えている。
ここまで言えば、割り出すことも可能だろう」
あ、なるほど、それなら総理大臣に会えるってか、定期的に会いに来るんだ。
来賓に会うから容姿を整えるという理由で、突発的な話も可能なんだろう。
一回あたり、一時間近くの時間も不自然でなく確保できる。
ちょっと、「なるほどなぁ」と思ってしまった。
坪内佐は続ける。
「理容の歴史は知っているな?」
「はい。外科医と理容師は同じでしたよね。
あの、床屋さんの前で白赤青のくるくる回っているのは、包帯と動脈、静脈から来ているって聞きました」
「そうだ。
督は、防衛医大を主席で卒業してから、外科医としての経験を相当に積んでいる。
戦場でメディックの経験もある。南帝の専属医としての仕事もあるから、万一、武藤佐の護衛が失敗した場合、救急救命措置も行うことになる」
「なるほど……」
「それだけではない。
医者というのは、その資格を持ってどこへでも入り込めるものだ。民間企業でも刑務所でも、旅客機の操縦室ですらな」
そうか、その医師としての顔と、一流ホテルの理容師の顔、外国要人までも会うことができてマスコミにも見落とされる存在。
防衛医大ということは、初期の訓練も受けていて、自衛隊にも顔が利く。
まるで、トランプのジョーカーだ。
どこへでも顔をだし、どこでも最強とされる。
それでいて、国の機関に重なって存在している「つはものとねり」なのに、あえてそこから外れている。石田佐に並んで独自の存在だよな。
ってさあ、この組織、上に行くほど異様に忙しくないか? 医者なんて、勉強を続けていないとあっという間に最新医療から取り残される。それなのに、複数の顔を持ち続けねばならないとしたら、絶対に時間が足らない毎日を送っているはずだ。
坪内佐が、悪い顔になった。
「ここまで話したのだから、ついでに、もう一つ話しておこう。
去年のSR71、ブラックバードのことだ」
「はい?」
それについても、まだなんかあるの?
俺たちがあれに救われたという以上の、別の意味があったの?
「あれはな、あのあと、アメリカ国内の複数の組織の中で、相当に問題視されたんだ。
我々に対して便宜を図り過ぎだという声が、向こうの複数機関から出た」
「それは、申し訳ないことです。確か、予算も向こう持っていただいたと聞きましたが……」
美岬が、心底申し訳ないという表情を浮かべて言う。
坪内佐は、黒々と笑った。
シャープなイメージに黒が足されると、これでもし犬歯が長かったらドラキュラ伯爵っていうような表情だ。
「あれはな、わざとなんだよ」
「えっ、ええっ?」
「せっせと不和の種を蒔き続けてきたんだ。
折につけ、機会を逃さず、ね。
今日みたいな事案が起きたとき、一枚岩にさせず、どこかの岩がこちらにコンタクトを取るように、だ。
我々は見方を変えれば、身元のしっかりしたフリーランスの諜報機関だ。
アメリカの官の諜報機関のどれとも、戦ったら良い勝負はできても決して勝てない。君たちのブランチの切り札であるあの二人ですら、米軍基地から持ち出された対物ライフルで2キロ先からの狙撃には為すすべがないな。
だが、どこかと組めば、他の機関を凌駕するだけの実力がある。
そういう意味では、無視もされず、抱え込まれもせず、独自性を保つ最適の規模の組織なんだよ、我々は。
我々の力量は、極めて計算しつくされているんだ。
これも同じく、今日みたいな事案が起きたときのためだ」
一体、何層に考えられていて、その真実はどこにあるのだろう?
言葉も出ないような気にさせられていても、突然落雷のように思考がつながった。
「も、もしかして、石田佐は……」
「そうだ。そのとおりだ。
私がアメリカに散財を強いて、石田佐が利益誘導をする。
そして、それは、常に不公平に見えるように為され、他組織にリークされる。
この不公平感は、是正の圧力を生み、次の案件に繋がる。『向こうにそこまでしたんだから、うちにも同じ利益をよこせ。そのための仕事はこれだ』ということだ。そこまでは、アメリカの各機関も気がついている。
その本質が、不和を目的とすることには気がつかれていないがね。
また、気がついていたとしても、我々に利用価値がある間は見逃すだろう。そこは、組織の論理と、組織に属する甘い汁を吸う個人との使い分けにつけ込むことになる。
石田佐がグレッグに会うことが多いのも、歴史的経緯から基本とする交渉相手だからだ。だが、同時に、リークの対処でもある。
特に今回は、石田佐にもなにか考えがあったようだ。
かなり、狡すっ辛いことをしている自覚はあるが、猫がライオンとトラの間で立ち回るにはやむを得ない」
坪内佐の言葉に、次に繋いでいく言葉が見つからない。
美岬が言う。
「それを母は?」
「不和の種を蒔くことについては全面的に了解している。
が、利益誘導については一部しか知らない。
武藤佐の仕事は対外工作だ。基本的に同盟国が対象となることは極めて少ない。
だから、二年前に君たちがアメリカの組織の構成員に撃たれたとき、その尻拭いは私たちの仕事だったんだ。
作戦実行後、石田佐のフォローが入ることがあるのもそのためだ。
なお、だが、武藤佐も独自に私の領域である国内に保険を掛けているようだな。実態は掴みようもないが。
美岬さん、君の母上は極めて楽しい人だよ」
そうか「楽しい」と言ったかぁ。
仲間だけど、きっと、好敵手でもあるんだよなぁ。
なんか、ため息。
えげつなー、という気は確かにした。狡すっ辛いというのも解る。
でも、それだけじゃない。
それだけのことをして、ようやく、せいぜい互角。
なんて巨大な国なんだろう、アメリカって。
「そこまで話して頂いて良かったのですか?」
そう聞いた俺の眼差しは、きっと、「畏れ」って感情を浮かべていただろう。
「十年以内で美岬さんを引退させるんだろう?
ならば、今、ここで一人前になれ。
全ての裏は話した。
ここから先、思うように私とも石田佐とも意思の疎通はできないだろう。ならば、一人前になって、武藤佐のブランチを動かすだけの思慮を見せてみろ」
ぐうの音も出ない。
「はい」なんて、答えられるわけもない。
でも……。
下は向かなかったよ。
坪内佐は続ける。
「アメリカの意思は、生物学的な手法によるテロリストの駆除だ。
そして、グレッグとその属する組織の意思は、自国をその手法の最初の使用者にさせないことだ。そこまでは真実として設定しよう」
俺はそれを受けて答える。
「『駆除』という意思自体は、阻止できませんね?」
「でも、ハードルを設けることは、きっとできる」
美岬が言う。
「それを作戦の基本ラインとする。
総理の意思は、昼までには伝える。
盗聴に備え、回答は明確化されない」
「了解しました」
二人で、そう答えた。
帰りの車内、運転してくれる警察の人に礼を言い、美岬が人工衛星が上空にない時間から帰宅時間を割り出して伝えた。
そのあと、深夜のサービスエリアで時間調整をするとき以外……。車内で、美岬と俺はお互い前を向いたまま、それでもひたすらに手を握り合っていた。
美岬の小さな手、その手は強固な意志に繋がっている。
この手が汚れないうちに引退させる。
その意思を通すためには、今回のことで、なんとしても勝たねばならないと思う。
それも俺主導で、だ。
次回、作戦会議、最終、の予定です。




