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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第九章 18歳、秋(全43回:高校最後の事件、SF編)
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15 先祖返り


 俺、武藤佐の過去の作戦の報告書、かなり読ませてもらっている。徹底して容赦ないものが多かったけれど……。

 でもね、今回の話を聞いていて、だ。

 敵を「害虫」扱いしたものは一つもなかったんだよ。痛みを与えるのも、苛烈に叩きのめすのでも、相手を「人間」扱いしていた。それが諜報機関同士の紙より薄い信義ってやつにせよ、その対象がのちの人生で子供を作れないようにとか、その対象が属している、家族や地縁とかの集団までを対象にすることはなかった。


 今回のグレッグの伝えてきたことが、武藤さんの考えのとおりだとしたら、それはすでに冷徹とかではないよね。俺たちだって、ゴキブリやハエを叩き潰すときに、冷徹なんていう感情は持っていない。

 人が人を殺すときの感情なんて、相手のことを人と認識していて、殺すという行為の認識もしていて、そこから生じるものだ。

 そのどちらかが欠ければ、単なるドライな行為として、「駆除」という感情を伴わないものになる。

 武藤佐は、どんな意味でも「人間」で、他の人のことも「害虫」とは考えられないんだと思う。


 でもね、相手が、「害虫」であれば、不確実な遺伝子操作をしても構わないし、手法が未熟で発癌化してもむしろ歓迎というスタンスになる。完成された成人への遺伝子組込み技術なんかそもそも必要ない。


 そして、もう一つ、俺、解っちまった。

 これは、おそらく……。

 武藤さん、武藤佐の冷徹さが仮面に過ぎないことを、明確な事実として本人にも突きつける気だ。そして、将来の退職に繋げる気なんだ。

 美岬が武藤さんの血を引いていないかもしれない、その可能性によって平常心を失ってしまっている武藤佐の心を救えるのも自分だけだと思っていて、この事件後の将来まで見ているのだろう。



− − − −


 アメリカは、自分たちの群外への殺人という行為に対し、忌避感を持たない歴史が長かった。

 そもそもの始まりとして、アメリカ大陸のネイティブの人たちへの扱いは酷かった。

 人としての尊厳もなに一つ残されず、すべてを奪われ、皆殺しにされ、殺された死体は損壊までされる。そういう行為が繰り返されながら、フロンティア西に西にと進み、太平洋に到達してしまった。

 そして、そこに留まらなかった。

 海を渡って、ハワイの原住民は大虐殺され、女王も逮捕・幽閉された。


 次は日本だ。

 それを知っていたから、日本人は特攻までして抵抗した。それでも、俺たちの父祖は駆除のように殺された。そして、殺された頭蓋骨や大腿骨、切り取って干した耳や指なんかもトロフィー、コレクションの一部として持ち帰られた。そして、民間人も駆除のように空から焼き殺された。

 それでも抵抗し、多数のアメリカ人を殺し返すことで、彼らに殺される側の痛みを伝えた。

 俺たちの父祖は、歴史上、最も多くアメリカ人を殺しているのだ。


 アメリカ人そのものが残虐だとは必ずしも言えない。

 それより、そういう価値観で、敵に対してそういう獣性をむき出しにするのが男らしいと評価される風潮があったということだ。殺されるにしては堪ったもんじゃないけれど、殺人は男らしさを誇示するための道具にしか過ぎない。

 そして、人種差別がそれに輪をかけたのだ。

 現代だって、それは変わらない。


 その証拠に、冷静に筋道を立てて考え、人種差別から比較的距離をおいた人たちの判断は異なっていた。

 生麦事件の際に横浜にいた若いアメリカ人の女性宣教師マーガレット・バラは、自らの日記に日本刀で斬り殺されたイギリス人の方を非難する文章を残している。また、アメリカ人商人のユージン・ヴァン・リードは、礼を持って同じ島津公の大名行列をやり過ごしていたし、バラと同じくイギリス人の方を非難している。

 当時のアメリカ人も、日本人もイギリス人も同じ人間だと認識していれば、相手の文化を尊重し、現代と変わらない判断をしていたのだ。

 アメリカに行って以来、俺はそんな古い個人の日記なんかも読むようになっていた。


 そしてもう一つ、もうなんとなくイッチョマエの歴史家の慧思から言われていることがある。

 現代の価値観で、過去を裁いてはならない、と。

 日本人だって、刀で斬り合う戦さをした。その戦場の有り様は、手足や首の転がる凄まじいものだったろう。

 それなのに、その戦さは美化されて伝わっている。

 それはなぜなのか。


 過去を見るときは、その時代の価値観に立って見なければ、行動の動機は理解できない。その上で、その価値観はどう現代に繋がっていくかを観察せねばならない。

 今の価値観で過去を裁くことは、いつだって簡単なのだ。

 でも、それをしていたら過去の行為の動機は理解できなくなる。そして、同じような問題への対策は、非生産的で見当外れなものになる。

 俺たちは、それこそは避けねばならない立場であることを忘れない方がいいよなって、スタバのコーヒーの香りの中で慧思は言ったのだ。


 そして、この慧思の考えは、人間とは賢くなっていく生き物だという前提がある。今日より明日のほうがちょっとだけ良い。それを信じている。

 今回の件が、武藤さんの読みどおりであれば、その考えが真っ向から否定される事態となる。

 だから、先祖返りは許せない。

 俺だって、明日を信じている。

 だからこそ、許せない。


次回、機密保持不可能、の予定です。

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