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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第一章 16歳、入学式〜夏休み明け(全42回:推理編)
19/232

19 尋問開始


 俺、かなり焦っている。


 判断しなければならないことはたくさんあるのに、俺の武器となる嗅覚が利かない。

 そもそも、母親のにおい、まったくない。というか……、ないわけではないのだろうけれど、今嗅いでいるにおいを解釈できない。どのにおいに似ているとかのイメージングができない。再度嗅ぐ機会があるとして、識別できる自信がない。


 この家自体もそうだ。家は、そこの家庭の匂いがあるはずなんだ。

 相手は能力をフル活動させて俺を観察しているのに、俺は自分の能力が無効化されている。

 なんなんだ、これ。

 多分、犬を撒くための、消臭スプレーみたいなものがあるんじゃないだろうか。嗅ぎ続けていれば後を追えるけど、一度、臭跡を切られたら追えなくなる。

 俺対策、万全だな、こんちくしょー!


 「娘が、どう生きるにせよ、豊かに生きるということが私の望みなんだって?」

 と言われて、三秒経過。もう回答を引き延ばせない。

 「違ったんですか?」

 口調は平然と。今度も声が震えなくて良かった。

 でも、俺の顔色、蒼白。それは自覚できている。

 「違わないわ。違わないけど、娘の人生初のデートの相手に、その場でいきなり言われりゃ、見透かされたみたいで面白くはないわね」

 「しょうがないです。見透かしたのではなく、嗅ぎ分けたんですから堪忍してください」

 「犬のくせに、思っていたより良い根性しているわ」

 自覚はしているけれど、初対面でのいきなりの犬扱いは初めてだ。

 「あら、怒った?」

 挑発だ。それに気がついて、座り直しながら、それでできた数秒で心を立て直す。


 「今の状態は、美岬さんが可哀相です。改善してください」

 こっちから売り返してみる。何を改善するのかはあえて言わない。


 美岬さんの母親は、前屈みになって俺の顔を下からのぞき上げるように見た。分別されるゴミを見る目ではなく、真摯な眼だった。

 区切るように言う、その口調が強い。

 「私が、今の自分の、家族の状況を、解っていないとでも思っているの、君は?」

 「済みません」

 最低だ。

 喧嘩を売って、白旗上げて謝ってりゃ世話はない。

 相手の目が、さらに底があったのかと思うほど、もう一段階冷たくなった気がした。


 不用意に打ったジャブに、ストレートをカウンターで合わせられた気分だ。こんなに正面から答えるか、この人は。「なにを改善するのか」と聞き返してくるのが俺の想定だった。そうすれば時間も稼げるし、千日手に持ち込めたかもしれないのに。

 でも、もう一回だけなら、ジャブを撃てるだろう。でも、これを撃ち損なったら、たぶん、話は終了、ぼこぼこにされる。

 んと、……神様、ぼこぼこで済みますように。


 一つ前に話題を戻す。

 「でも、見透かさない、見透かせないという選択肢もなかったんですよね」

 「そこが問題だから、出てきたのよ」

 「では、こうなる可能性を考えて、娘を盗聴していたと」

 「盗聴とか、エゲツない単語であえてしゃべってみせるわけね。私の立場ってのを知っている上で、どうしても売りたいのかな?」

 にっこり、と。

 怖い。

 どうやら、ここがラインだ。

 顔は笑っているんだけど、目が氷点下だ。陳腐な表現だけど、他に表現のしようがねぇ。

 このラインを越えたら、お終いだ。


 ルールは相手が決める。

 こちらは、その相手の良識に期待して喧嘩を売っている。

 今日は、綱渡りの連続だな。おまけに、だんだん綱が細くなりやがる。

 後ろの二人も完全に気配を殺しているし、俺じゃなきゃ、どこにいるか判らないぞ。


 とにかく、丁寧にしゃべるモードにチェンジしてと……。

 ラインのこちら側に戻らないと、だからね。

 「いいえ。この状況ですから、売るというよりはこちらとそちらに線を引くためです。

 私は、嗅覚が利く以外は、普通の高校生に過ぎません。

 おそらくは、徹底的に脅されて、忘れるという約束をさせられて、這々(ほうほう)の体で逃げ出すよう仕向けられるのが、今からの俺の可能性としちゃ一番高いんじゃないですか? 

 でも……、美岬さんが、学校で『死ねば良いのに』とまで言われるような状況の中で、その結末だったら、私も傍観者と同じになってしまいます。

 だから、私じゃどうにもならないことなんか判っていますけれど、それでも抵抗できるところまでは抵抗しますよ。

 聞いていたんでしょう? 

 私の告白と、守るって言ったのを……」

 「まぁ、あれについては、聞いた方が悪かったと思っているわ。ごめんね」

 ちょっと驚いた。目がマジだ。皮肉じゃない。……そこ、盗聴しておいて、謝るか?

 つか、この人、最初からジャブを撃つ気がないのと違うか? すべて、事象も感情も言葉どおりのストレートのフルスイングなんじゃ……。


 目つきが変わる。冷たかったり、真摯になったり、案外表情豊かだ。

 でも、その眼が逸らされることはない。

 でも、恐怖もあって、俺は、その眼を見返し続けることができない。


 「娘も、最後まで肝心なところは言わなかったし、それはそれでいいことにしても良いのよ。ただね……」

 「組織のことですか?」

 「だけじゃないわ。

 美岬が、組織のことを部外者に話した。これは、事故。

 君が言っていたように、対応マニュアルだってちゃんとある。しかるべき方法、しかるべき処分で解決よ。ただね、事故の起き方が問題なの」

 横で美岬さんが「処分」という言葉で、びくっとしたのが分かった。

 ……美岬さん。

 最後に伝えられるかな。

 もしも「処分」されるにしても、それは君のせいじゃない、って。せめて、その機会は欲しいな。



 「事故の起き方?」

 とりあえず、オウム返しに聞き返す。

 「君よ」

 やっぱり俺なんだ。

 「美岬はね、君のいうとおり無理をしているし、私も母親なのに、その無理に甘えているところがある。それは認めましょう。

 でもね、たとえそうだとしても、あなたが美岬に言ったことは、一つ大きく間違っているところがある。

 双海くんは、こういうことを言っていたわね。『鼻が利くだけで賢くはない。それでも、普通の人ではないと、観察と組み合わせて判った』と。

 私に言わせれば逆よ。

 嗅覚があったから、論理が利くための材料が集まった。推論だけでは、材料が少な過ぎて、この結論には達しない。

 すなわち、問題は君よ。

 嗅覚によらない観察で判ったと誘導し、守ると言って娘から情報を引き出した」


 ……順当な判断だな。

 娘をかばって、俺をなんらかの形で処分して、組織内では何もなかったことにする。

 俺は終わりということだ。

 わけがわからないまま拉致されたときよりも、今の方が遥かに怖い。膝が笑い出しそうだ。


 「言っとくけど、娘をかばうために、君にすべての責任を負わせてしまうなんてことは考えていないわよ」

 今、なんと言った? もう嫌だ、こちらの考えを読み切ってやがるのか?

 だいだい、そんな言葉を言われたって、うかうか信じられるかよっ!?

 嬲るのもいい加減にしてくれ。

 それとも、嬲って嬲りぬいて、心を折り尽くして命だけは助けたと恩を着せるのだろうか。


 美岬さんに破滅させられた男たちの、生々しい恐怖を追体験させられている。

 サトリってのは、まあ、大した妖怪じゃないってされている。でも、それが現実にいて、こちらの心をトレースしてきて、しかもここまでに美しいサトリが、決して目を逸らさずに追い込んでくる。

 もう、神の言葉と同じだ。言っている言葉が、すべて絶対的に正しく聞こえちまう。

 こりゃあ、やられた方は再起不能になるわけだ。


 俺が恐怖の黒い沼に首まで浸かっていても、沈みきらなかった理由は二つ。

 俺は、他の破滅させられた男たちとは違う。俺の動機は下劣なものではない。それだけは自分を信じられる。

 それから俺は嗅覚という力を持っていて、こういう手段は自分が実行する側で想定したことがある。

 その二つがなきゃ、折れてた。


 でも……。なんか、ここまで来たら、取り繕うようなことのすべてが、どうでも良くなっちゃったんだよね。

 ……もういいや、読まれていてもかまわない。

 どうなるにせよ、枝葉の議論じゃ勝負にならない。幹にこだわるしかない。

 俺にとっての幹は、美岬さんのことが好きで守りたいことだ。

 ガードなし、全弾ストレートの論理で殴り合う。

 正面から殴り合う以上、覚悟はしなきゃな。負けたら東京湾に水死体が浮くか沈むか、かもだけど、それをしないまま終われない。終わりたくはない。


次回、反撃。

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