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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第九章 18歳、秋(全43回:高校最後の事件、SF編)
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8 懊悩


 武藤家の応接間は、静かな修羅場と化していた。

 テーブルの上には、美岬が持ち帰った資料の紙。

 「アメリカで解析したら、お婆ちゃんもお母さんも私だって。私は、どうして生まれてきたの?

 私が生きていることに意味はあるの?

 ずっと、同じ組織で同じように人生を捧げて、これって、なんの呪いなの?」

 その美岬の問いに、自分自身も全く同じ疑問を抱いた母親が答えられるはずもない。

 それどころか、自分の肩を抱き、ソファにうずくまってしまっている。

 

 美岬は、詳しいことを何一つ聞いてきたわけではない。

 でも、この女系の家系について、今まで巡り合わせなどとして納得してきたこと、そのすべてが改めて突きつけられていた。

 視覚のことだけではない。自らの人生と、代々の類似に至るまで説明がつけられるのだ。

 よくよく考えれば、十代もの連綿たる体質の継承など、通常であれば生物学的にありえない。


 しかも、この事実を「つはものとねり」のなかで共有して良いかも判らない。その判断をすべきである、美岬の母親である武藤佐が混乱の極みにある。

 坪内佐あたりに助言を求めれば、グレッグの、ひいてはアメリカの思惑まで含めて謎解きは可能だろうが、それが武藤家のプライベートに後々どういう影響を及ぼすかの分析がさっぱり先に進まないので、それもできずにいる。

 想定外だからと言えばそれまでだが、去年の超能力などという与太話とは想定外のレベルが異なった。

 生物学上の大発見かもしれなくても、それが自分自身のことでは対応などすぐに思いつけるものではない。


 「おばあちゃんの血液型は?」

 「だめ。

 うちの一家、A型とO型しかいない。父はA型だけど先生はO型。美岬も私もO型で、なんの証明にもならない」

 美岬は知っている。母が父のことを先生と呼ぶときは、普通の状態ではないときだということを。

 「おばあちゃんに連絡すれば、ひいばあちゃんの血液型とかも判るかも……」

 「ダメ。

 まだ、母に説明するのは早すぎる。勘と察しは良いのに、生物学の知識はないのよ、あの人。そんなの聞いたら、せっかく身を隠しているのに、追求しないと気が済まなくて出てきちゃうわ。

 もう少し事態が解って、方針が出せてからのほうがいい」

 ソファにうずくまったままの母親と、涙で瞼を赤く腫らした美岬は、そんな堂々巡りだけを続けている。


 加えて……。

 さらに混乱に輪をかけたのが、双海真の姉からの連絡だった。

 双海真、菊池慧思、ともに行方不明。

 それぞれの携帯は、GPSであっけなく双海家から見つかった。菊池慧思の分に至っては、財布まで一緒だ。


 事情を一番良く知っているのは、グレッグだろう。

 だが、グレッグに事情を聞けるはずもない。

 自分の組織の構成員の居場所が判らないなんてことは、諜報機関に属する者として、口が裂けても言えるはずがないのだ。



 不意に応接間のドアがノックされた。

 三回を二回繰り返す。

 鍵が掛かっているので、そのまま入ることはできないのだ。

 わざわざ鍵がかかっているのには理由がある。

 この家は、安全確認のために、武藤佐と美岬の生存情報が常に「つはものとねり」に発信される仕様になっている。だが、それではプライバシーが保てないので、内緒話をするときは、擬似的な生存情報を流すモードに切り替えることができるようになっているのだ。

 このシステムは、「つはものとねり」にも内密に武藤佐が組んだもので、そのモード切替は、屋内の照明と部屋の施錠の組み合わせによる。

 これは、操作手順を他者に見破られないためだ。

 そして、この応接間は簡易とはいえ、CIC(Combat Information Center)に相当する機能を備えており、昨年の夏には外界監視から通信制御まで、実際にそのように使われた。


 美岬が鍵を開け、父親を部屋に入れる。

 三回を二回繰り返すノックは、家族のものである。

 その後、鍵が再び掛かるのを待って、バリトンの深い声が響いた。

 「混乱の極みみたいだけれど、事情を聞いても構わないかな?

 僕は、基本的に君たちの世界には踏み込まないって決めているけれど、どうやらうちの家族としての領域に踏み込んでいる話のような気がするんだ……」

 母娘は、揃ってヒグマのような大男を見上げる。


 母娘揃って、応接のテーブルの上の紙に手を伸ばす。

 母親の手はおずおずと、娘の手は素早く。

 結果として、美岬が父親に紙を差し出した。

 それを受け取り、一瞥して父親は言う。

 「僕の推測が正しければ、M1からM3は、お義母さんから美岬までの3代で、その発現が一緒ということだね。まぁ、容姿も体質も似ているから、驚くことじゃないけど……。

 それだけ深刻な顔をしているということは、その三人がクローンってことかな? それ以外で、このデータからここまでの修羅場にはならないような気がするよ」

 美岬が頷く。

 だが、その母親はソファの上でうずくまり、自分の肩を抱いて俯いているだけだ。おそらくは、退行すら起こしかねないほどのショックを受けている。

 それを、その理由まで含めてきちんと理解しているのは、夫である美岬の父親だけだ。


 「で、これがなにか?」

 「なにか? じゃないよ。もう、どうしていいか判らないんだよ」

 怒りに絶望、悲しみに無力感、それらすべてが混じり合った表情で美岬が力なく言う。

 「もう一度聞くよ。で、これのなにが問題?

 具体的に答えて」

 「私、お父さんの子供じゃないかもしれないじゃない?」

 「だからさ、それの何が問題なの? 生物学的な発見ということ以外で」

 さらに聞き返す父親に、美岬は苛立った。


 「私たち、十六歳で自分を守ってくれる男の人に会うって、言われている。

 お父さんもそうだったよね。

 それって、単なる遺伝子のプログラムで、私たちがなんらかの誘惑物質を出しているのかも知れない。

 それって、私たちの体質は、男ならば誰でもいいってことなの?

 それに、それは男の人を操る酷いことだと思う。

 しかも、ずっと、子々孫々まで同じ人間で、同じ生き方で、そんなの、意味ないじゃない!?」

 思わず涙目で言い募る。


 その感情の矛先をはぐらかすように、父親は妻に問う。

 「美桜、君もそう思っているのかい?」

 美岬の母親は、視線を避けるようにうずくまりながら無言で頷いた。その目からは、ついに涙が溢れ出している。

 「私、あなたを裏切ってしまった……」


 父親は大きなため息をついた。

 身体が大きいためか、そちらから風が吹いてくるような錯覚を感じるほどだ。

 「あえて言う。

 君たちは動転して、思考が本来のものからかけ離れているよ。

 僕の考えを言おう。

 それがどうした? だ」


 「ちょっと待ってよ。そんなんで片付けないでよ。

 もっと真面目に考えてよ」

 そういう美岬の目を、真正面から父親は見返した。

 「僕の十年は軽くはないよ。

 美桜を探し続けた十年の中で、どれだけのことについて考えたと思う?

 その上で話しているんだ」

 部屋に、沈黙が澱のように淀んだ。


 再び、美岬の父親は、もう一度大きなため息をついた。

 「仕方ないな。

 本来、君たちが悩むようなことではないんだけれど。

 順番に話そう。

 美桜、お茶かなんか、お願いしてもいいかな?」


 「はい」

 ようやく、美岬の母親がソファから身を起こす。

 おそらくは、そうでも言われなければ、ますます小さくうずくまっていただろう。それが解っているからこその、「お茶を」との言葉だった。

 話をする前に、すこしでも心を落ち込んだ底から浮かび上がらせたいと思ったのだ。

 美岬も一緒に台所に行き、二人でお湯を沸かし、父親のトルコ土産の茶葉でチャイを淹れる。角砂糖を添え、応接間に戻ると同時に玄関の呼び鈴が鳴った。

 反射的に壁掛けディスプレイを見ると、双海真と菊池慧思の姿が映し出されていた。


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