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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第九章 18歳、秋(全43回:高校最後の事件、SF編)
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5 泣き寝入り


 うちに帰りついて、まだお昼前だった。

 結局、いまさら学校に行く気にはどうしてもなれない。

 ふて寝と言いたければ言え。

 そのまま居間の畳の上でごろっと横になって、座布団を枕にする。2階の自分の部屋に行くために、階段を登る気力もない。


 データは持って行けと言われて、M1からM3までの印刷データはそのままここにある。

 グレッグが、俺にピンポイントで話を持ちかけたのは正解だと思う。慧思ならば、俺ほど悩まないだろう。

 労力対効果という意味で、最良の選択だよな。


 俺が落ち込み気味、いやマジに落ち込むほど悩むのは……。

 俺は、美岬が好きだという、俺にとっての真実さえ疑わざるをえないからだ。

 俺のこの想いは、美岬の生理反応に呼応した単なるオスの生理反応なのだろうか?

 オスの蛾が、羽をボロボロにしてまでメスの周りを飛び続ける、そんなことに過ぎないのだろうか?


 俺だけじゃない。武藤さんのあの、十年をかけた再会のための戦いさえ、生理反応に支配された帰結に過ぎないのだろうか?

 いや、物質があって、それに反応したなんていえば、それは単なる化学だよ。

 感情じゃない。


 昔、「恋愛は化学に始まり物理で終わる」って笑い話を聞いたことがあった。

 でも、現実に、その化学とやらを突きつけられると、これっぽっちも笑えない。

 そうだとしたら、そこに人間としての愛だの恋だの、果ては人生の真実なんてないんじゃないのか?


 考えれば考えるほどわからない。

 俺にとっては、美岬への想い、それが根本だ。

 それが揺らぐと、もう、すべてがあやふやになってしまう。今までの自分の決断のすべてが、誤りだったような気さえする。

 俺は、いい気になっていたのだ。

 それだけは確実に言える気がした。



 − − − − − − −


 泣き寝入りというのでもないけれど、いつの間にかうとうとしたようだ。

 ま、逃避だな。自分で判っている。

 判っていたって、どうしようもない。

 逆に、判ったからって陽気になれる奴がいるのならば、是非とも会ってみたいものだ。


 玄関が開く気配で目が覚めた。

 足音が軽やかに近づいてくる。

 「母から連絡があったから、すぐに来たよ。高速のスマートインターのカメラに、グレッグと一緒に写っていたって。

 なにを話したの?」

 美岬だ。


 美岬がいるのに、心が沈む。

 こんなこと、初めてだ。

 美岬が横にいるのに、そちらを見ることができない。

 俺、今朝まで、美岬に対して何一つ(やま)しいことはなかった。

 なのに、今は顔すら見られない。

 俺の想いが、美岬の匂いに操作された生理的な反応に過ぎないものだとしたら? 俺の中の純なるものと信じていたものが、幻想に過ぎないとしたら?

 俺は美岬を愛したのではなく、汚しただけなのだろうか?

 その考えが、その恐怖がどうしても頭から離れない。

 嗅覚が働かないように、反射的に息すら止めてしまう。


 「真!?」

 悲鳴に近い美岬の声。

 俺の心の迷いをその目で見たんだろう。


 「ねぇ、こっちを向いてよ!」

 「ごめん」

 喉元にこみ上げてくるかたまりを飲み下し、かろうじて声を出す。

 美岬の声が半泣きなのが解っていても、それでも、これ以上は無理。

 美岬を泣かせているのは、俺の想いが嘘だったせいだ。


 そう、すべて俺のせいだ。

 情けないことに、俺にはどうやったら自分を、自分の心の中を信じられるのかが全く分からないんだ。


 美岬の手が、俺の横にあったグレッグの資料を手に取る。

 それを止めようとも思わなかった。

 科学的真実ならば、隠したっていつか分かることだからだ。


 「これ、遺伝子のなにかの図だよね。なんの……!!」

 美岬の驚愕が伝わってくる。

 香りの変化から、一瞬で全身の毛穴が締まるほどの衝撃を受けているのが判る。顔を上げて見れば、きっと総毛立った蒼白な顔が見られただろう。

 美岬は図の意味を理解したのだ。

 美岬ほど勘が良ければ、M1からM3という表記だけですべてを察したはずだ。


 「遺伝子の発現が同じってことだけで、ここまでのことは起きないよね。

 まさか、そのものも一緒ってこと!?」

 半ば、悲鳴のような青ざめた声。こんな声、今まで聞いたことがなかった。

 それなのに、俺、ただ頷くしかできなかった。

 無視もできなかったし、そもそも美岬に対して嘘は無意味だ。


 美岬が、すっと立ち上がる。

 そして、濃厚に涙のにおい。

 「ごめんね。本当にごめんね」

 「謝るのは俺の方だ。

 俺の想いは、俺の中から生まれたものじゃないんだって……」

 でも、「美岬の生理反応に呼応しただけかも」とは、どうしても口に出せなかった。

 それを言ったら、美岬が壊れてしまうような気がした。


 口から出たのは……。

 ただ、これだけ。

 「ごめん」


 「私、モンスターだったんだね。

 ごめん……」

 美岬は、俺の家から出ていった。

 そう、逃げ出すように。

 そして、それを引き止める気が、どうやっても俺の内に起きてこなかった。


次回、家出、失踪

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