2 そんな話、なぜ俺に?
翌朝。
いつものように姉の出勤を見送り、学校に行くために家を出て自転車に跨った俺の横に、真っ赤なスポーツカーが横付けされた。
シボレーのコルベットだっけ、これ。
外車なんて知らない俺が、トランザムとこれだけは見分けがつく。だって、それぞれ映画とドラマで見たからだ。
アイドリングの音からして勇ましい。
訝しい表情になる俺に向かって、車の窓が開いた。
「話があるんですが、時間をもらえませんか?
君と君のガールフレンドについて、良い提案を持ってきました。話を聞いてもらったあとは、サウスの人たちに相談してくださいね」
アナウンサーが話すようなきれいなイントネーションだ。
グレッグ!?
アメリカのどこかの諜報機関に属している男だ。喰えないことでは、慧思に勝るとも劣らない。
夏休み、石田佐の紹介で、アメリカで会ったのだ。
アメリカから何しに来たんだろう?
俺たちに、直接のコンタクトはしない約束のはずなのに。
俺は、無言で自転車をうちの敷地内に戻し、グレッグの運転するスポーツカーの助手席に身を滑り込ませる。
本来ならば、こんな誘いに乗るべきでないことは解っている。
でも、進路の問題で悩んでいるところに、別の選択肢の提示があるかもと、うかうかと誘いに乗ってしまったのだ。
もう一つ、話を聞いたあとに、武藤佐なりに相談できると大っぴらに言われたのが効いた。
さすがに、誰に対しても内緒で話がしたいなどと言われたら、俺に話せることなんかない。
すげーな、こんな仰向けに寝そべるような感覚の車のシートって初めてだぜ。相当に車高が低いのだろう。
「シートベルトをしてください。ドライブしながら話しましょう。
君と君のガールフレンドの未来についてです。石田さんとの約束にも反しないものです」
グレッグは言うと、静かに車を発進させた。
静かだったのは、高速道路に乗るまでだった。
エンジン音を猛々しいって感じたのは、生まれて初めてだ。
新潟に向け、緩やかな上りが続く道を、たぶん時速200キロは越えているスピードで駆け上がる。一度は覆面パトカーらしい車がサイレンを鳴らしたけど、それすら定かでないほど一瞬で後ろに置き去っていく。
それなのに、怖いと感じさせられないほどの安定感があるのは、車の性能か、グレッグの技術なのか、免許も持っていない俺には判らない。
「今の私は外交官としてこの国にいるから、日本の法律には縛られませんよ。でも、サウスの諜報は舐められないから、こういう手段で盗聴や干渉を防ぎます」
グレッグが話しだした。
なるほどね。
この車自体がクリーンになっていたら、確かに日本側はどうしようもない。そして、ついでに俺、体のいい人質にもなっているわけだ。
って、そもそも論だけど、こんなのレンタカーじゃないよな。それとも、外交官ナンバーだったか?
まさか、横田あたりの米軍基地から乗り出してきたんじゃないだろうな?
となると、この人、通関もしないで日本にいるのかも。
頭の中で、思考がせめぎ合う。
なんか、怖いぜ……。
「まずは、この資料を見てください」
グレッグに差し出されたフォルダに挟まれた書類を確認する。
資料っても、紙が一枚だけじゃねーか。
紙の表題はNo.19と記されていた。そして、そこには無数の点で構成される、モザイク模様の帯が3種類印刷されている。
それぞれの帯には、M1からM3までの番号が振ってあった。
そして、その3つの帯の横線が描くモザイク模様に、ちょっと見では、まったく違いは見つけられない。
「これがなにか?」
俺は聞く。
だって、これ、生物の参考書で似たようなのを見たような気はするけど、なんだか解らないからね、これ。
そういうときは、素直に聞くのに限る。
「M1が美繰、M2が美桜、M3が美岬を意味します。
その三人の19番目の染色体の遺伝子発現差異解析図ですよ。
当然、発現していないものも含めて、19番目の染色体の遺伝子の塩基配列はほぼ読み終えていますが、やはり、と言うか当然と言うか、これも三人で一致していましたね」
こともなげにグレッグは言う。
「つはものとねり」から派遣されてきた、受験対策の生物の講師が話してくれたことが頭の中で結びつく。
セントラルドグマにより、DNAの二重らせんの情報は、mRNAに翻訳され、リボソームでたんぱく質が作られるんだったよね。だから、細胞内には機能している遺伝子のRNAがあるわけだから、すでに機能の解析が終わっている塩基配列を釣り針として相補的に結合させれば、働いている遺伝子がなにかを突き止めることができる。これが、遺伝子発現差異解析だ。
で、エンジンの吹き上がる音の中で、俺の心の中は動揺しまくっていた。
なぜその話、俺にぶつける?
今回は、生物学ー。




