表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第一章 16歳、入学式〜夏休み明け(全42回:推理編)
17/232

17 不可逆点通過


 美岬さんは、逃げがちな俺の視線を正面から見返して言った。

 「双海くん、双海くんの中に、さっきの話に出た合理化がないのは判った。双海くんが、双海くんの全部をぶつけてきてくれていることも解った。だから、私も話します。

 お願いだから、レコーダーを止めてくれないかな。五分でいいから。

 お願いします」

 一瞬、悩んだ。


 半ばヤケクソだ。姉よ、サトシよ、近藤さん、みんなごめんな。もうここまで話したら、そして自分の気持ちも話しちまったら、乗りかかった船は降りられないよ。


 不可逆点を越えることを自覚しながら、俺はスイッチを切った。心情的には、俺の手が自動的にスイッチを切るのを他人事のように見ていた、が正しい。

 ……本当のオフレコだ。

 さあ、殺せ。

 覚悟はできている。一対一、地獄までも付き合っちゃる。



 「……私は、双海くんがうらやましい」

 予想外の言葉に俺は虚をつかれて、なにも言えないまま美岬さんを見返した。

 「私の能力はね、代々、女に遺伝して来たの。代々遺伝して来たから、これを利用した仕事があって、私もそれを受け継がなければならない。また、その仕事があるから、このことは秘密になっている」

 「どんな仕事?」

 「言えるわけ、ないでしょう?」

 「そりゃそうだ」

 まったくそのとおりだ。きな臭い話、ktkr。我ながら、古い。


 「その仕事のことがあるから、仲間はずれにされても、それはそれで仕方ないと思えた」

 「あんな仕打ちにも耐えられるほど、誇りを持てる仕事なんだね」

 「ええ。私に害意を持っている人であっても、守る、守れるのよ」

 「深くは聞かない。でも、美岬さんのお母さんも同じ仕事を、だよね。今の話だと」

 「はい」

 美岬さんの返答は、短い。


 しかし、すぐに話しだした。

 「母は、仕事でほとんどいないの。私が、母から受け継げたのは、この能力といくつかの料理のレシピだけ。

 能力は正直言って、無くてもいいと思っている。辛いことの方が多いし。それに、仕事は、自分にできるのかとか不安がないといえば嘘になるし。

 でも、レシピはね、私にとって母そのものなの。月に一回なんて帰れないけど、帰ってくると、一つお料理を教えてくれる。私が、それを作れるようになる頃には、もういない。それだけが母とのつながりなの」

 俺は、もう、涙目モード。親と過ごしている日数、俺より確実に少ないよな。

 それでも、同じ感覚を共有できる家族がいるってのは、自分の能力との葛藤は少なくて済むのか。

 俺は、たとえ問われても、どちらも選べはしないけれど、普通が良かったとは思う。親とある程度の日数が共有でき、普通でいいからその感覚を共有できる。やっぱり、普通が良いよな……。


 「そんな……、そんないろいろなものが込められているだし巻きだったのか……。本当に、貰っちゃって良かったものだったのかな?」

 「それは、かまわないの。

 だって、だし巻きじゃなくて、そのレシピに、母との繋がりがあるんだから。

 でね、それを『羨ましい』と言ってもらって、本当に、本当に嬉しかった。だから、双海くんに、味を見てもらいたかった。クラスであれだけ怖がられていると、食べてもらえないかもと思ったけど。でも、双海くんならば、大丈夫かもっても思ったんだよ。

 そしたら……、そしたらね、双海くん、母までまともだと言ってくれた……」

 「な、泣くなって。つか、思いっきり泣かせてあげたいけど、場所的にな、あの……」

 狼狽して、自分で自分が何を言っているのか、よく判らない。

 美岬さんが、ここまで感情が豊かだなんて。さっきまでの乾いた声の感じは、もうない。それが良いことなのか、そうでないのかも今の俺には判らない。


 「うん、ごめんね。でも、でもね、嬉しかったの。事件の度に父親も母親もいない。どんな家庭だって言われてきた」

 「父親も、母親並みにいないの?」

 思わず聞いてしまった。

 「もっといないよ。今はトルコにいるしね。前回、家族が揃ったのは、二年前の一日だけ」

 「じゃ、事件の度に、一人でなんとかしてきたの?」

 「弁護士さんが、間に入ることが多かったけれど。でもね、タイミングも悪くて、帰っては来られなかった」

 あまりのことに、なんとも言いようがない。

 「それって、どんな仕事だよ? 酷すぎないか?」

 疑問が口から出てから、しまったと思った。

 仕事のことは、言うべきじゃなかった。


 美岬さんは答えなかった。間を置いて言ったのは、別のこと。

 「今回、いろいろ見抜かれたのは、私の失態です。見抜かれたことを母の仕事の関係者に知られたら、双海くんがいろいろな意味で危ないです。ごめんなさい。なにかあったら、すぐ連絡をください。私の責任だから、なんとかお願いしてみます」

 あ、仕事に身を捧げるモードになっちまった。


 で、俺はなんか……、カチンときた。

 「それって、逆だよね?」

 「えっ?」

 「俺が、美岬さんを守りたいのに、守られるんじゃ逆だよね」

 「でも……」

 そう、俺は、美岬さん個人と話をしているんだ。

 「でも、じゃなくて。俺は逃げないよ。

 きっと、もう、その人達は、ここで俺たちが話していることに気がついていると思うよ。美岬さんの言うような仕事があるなら、その人達のガードはとても高いはずだ。

 放課後に会うというメールだって、もう見られているんじゃないかな。

 そうなると、こうして話ができるのも最後かもしれない。

 いろんな可能性の中で確実なのは、多分、美岬さんのことを忘れない限り、許してはもらえないだろうってことだ。

 で、俺は、美岬さんを忘れたふりで生きて行くのは、絶対に嫌なんだ。それを選んだら、俺は俺を許せないよ。能力は犬と同じでも、犬なりに人として生きているんだ」

 美岬さんの顔色が、蒼白になった。


 「そうだよね。なんで私、いくら動転したからって、双海くんに会っちゃう判断をしたんだろう。巻き込んじゃった……」

 俺は、怒りが込み上げてくるのを感じた。

 「俺は逃げないよ。それに、俺は巻き込まれたんじゃない。自分の選択でここにいる。俺の意思だ。

 ねぇ、なんで、仕事のための道具として生きなきゃならないんだよ。美岬さんも一人の人間なのにいつも自分の心を隠して生きていて、動揺するようなことが起きたら、いつもと違う判断をしちゃったとまた自分を責める。それでいいんかよ?」

 俺の論理は、美岬さんから見たらおバカかもしれない。でも言わずにいられなかったんだ。


 美岬さんは、蒼白のまま真摯な顔つきで話を続ける。

 「逃げる、逃げないじゃないの。

 私の両親の仕事はハードだけど、本当にたくさんの人がそれで助かっていると信じています。ハードだけど、意味のある仕事だとも思っています。だから、私も将来、その仕事に就くことに誇りを持っています」

 俺は、自分を落ち着かせるために少し間を取った。


 「美岬さんが、成績が良すぎるのにうちの高校に来ている事情とか、きっとカムフラージュなんだろうなと思う。ご両親のことを考えても、多分、情報とか諜報とかの世界で、大きな組織が絡んでいるのかなとも思う。大変だ、とも思う。

 でも、美岬さん、独りで戦えるのか、戦い続けられるのかと。

 美岬さん、堅いものは脆い。

 悪いけど、今の美岬さんじゃ、その仕事に就いたらきっと折れちゃうよ」

 「どうしてですか?」

 少し依怙地になっている声で、聞き返してくる。

 でも、表情は必死で涙をこらえている。


 俺は、こんな話をするために会ったのだろうか。まぁ、ある意味においてはそうなんだろうけどさ。

 女の子と初めてのデート。それはもっと、甘い話をする場なんじゃないのだろうか。たとえ恋人未満であっても。


 でも……。

 会えているうちに、すべてを話そう。嫌われたって仕方ない。もしかしたら、もう、二度と会えないかもしれないから……。

 「俺はさ、鼻が効くだけのバカだ。それでも、美岬さんが普通の人じゃないと判った。嗅覚だけでなく、観察と組み合わせて判ったんだ。美岬さんの目指している世界では、もっと簡単に判られちゃうだろうな。

 無理し過ぎなんだよ。

 もっと笑ってよ。

 もっと泣いてよ。

 使命感だけで生きるんじゃなく、人を好きになったり、嫌いになったり、もっと普通の人間としての経験を積まなきゃ行き詰まっちまう。

 だいたい、自分を仲間はずれにして来た人間を、心の底から救おうと自発的に思えるのかな。心の底から思えないのに守ろうとしていたら、美岬さんが折れちゃうよ」

 「私は折れない」

 強く、言い返してくる。でも、見た目、動揺しまくりじゃんかよ。


 「それが脆いんだってば。

 好きな人を守るのと嫌いな人を守るのをまったく同じ心の動きでできたら、美岬さんは感覚だけでなく、心まで本当に神の領域だと思うよ。

 でも、それは無理じゃないか?

 だって、神じゃないもの。

 まずは、身近な好きな人を守る、からじゃないのかな?

 身近な好きな人を守ると、その人の大切な人も守りたくなる。そうやって輪が広がるんだと思う。人類や人民や縁なき衆生までを救うというのは神の視点だけど、美岬さんはやっぱり神じゃないもの」

 あ、そんな死刑判決受けたみたいな顔しないでよ。


 「だからダメなの? 守れないの?」

 「違う違う。ダメなんて言ってない。神が助けるのではなく、人が人を助けるので良いじゃんかと言っているつもり。

 さっき話したけれど、俺は姉に守られていた。今でもきっと、守られている。無力感も味わった。でも、おかげで、人として一つ自由になれた。

 自分は強くない。それを知ることで、無理に自分を律することを止めることができた。何が何でもと頑張って、できないからと更に自分を責める、そういうことはない。

 美岬さん、美岬さんには少しも心の自由がないじゃないか。自由がなくて、逃げ場もなければ、神でない以上、何かの失敗がきっかけで自分で自分を砕くことになるよ。

 俺は、それを心配しているんだ」


 多分、自覚していなかったであろう頑なさを指摘されて、動揺し、混乱している。

 うん、美岬さんが、頭がいいことは知っているけど。

 でも、俺は親が死んで、能力も覚悟も姉に劣ること、自分に力がないことを目の当たりにさせられて……。その動揺の半年の中で掴んだのが、今の答えなんだ。一瞬でそれを理解されたら、のたうち回った俺の方が馬鹿みたいだよな。


 「俺は、酷なことを言っているね。ごめんね。

 でも……、でもだよ。

 あのだし巻きを教えてくれる人が、娘を神や戦闘マシーンにしたい人だとは思えない。豊かな人生を彩るにふさわしいパーツを、教えてくれていると思うんだ。

 美岬さんが、どう生きるにせよ、豊かに生きるということが望みのはずだよ」

 「でも、双海くんの安全のことも……」

 「俺は大丈夫。まさか、嗅覚の届かない遠距離から、いきなり狙撃でヘッドショットとかカマシてくることもないだろ。

 というのは冗談にしてもさ、守るのが仕事なのに、敵でもない、おそらくは俺だって広い意味じゃ守る相手だろうし、それを問答無用で殺しゃしないだろ。

 だいたい、美岬さんのいうような組織があり、秘密を守っている場合、リスク管理マニュアルはあるはずだし、そこに書かれている対処法がすべて殺して口封じなんてあり得ないだろ?」

 「それはそうだけど……」

 「まあ、話ができるかは判らないけれど、一通りのやりとりがあって、それでダメなら身辺整理しなきゃかもだけれど。

 それにさ、美岬さんに比べたら、非力かもだけれど、俺の鼻も捨てたもんじゃないんだぜ、いろいろなことが分るという意味じゃあね」

 そう言って胸を張る。半分以上、虚勢だけれど。


 美岬さん、おそるおそる、という感じが聞いて来る。

 「まだ、もっと分かる事があると?」

 「いいや、鼻以外は普通人だよ。でも、俺だって、社会生活をするためにカムフラージュしている部分がある。嗅覚については、実は周りからは過小評価されているってのはある」

 「もっと鋭いってこと?」

 「そういう意味とは違うんだ。

 嗅覚の世界って豊かなんだよ。悪臭もあるけれど、良い匂いもある。その種類ったらとんでもない。視界の向こう側まで立体的に描かれる、素晴らしい華やかさなんだよ。

 その華やかさを、どこまで嗅覚で解かるかの限界を、普通の人は知らない。だからといって、それを知っているのはチートじゃないよね?

 それを知って、受け入れている、それが俺の武器なんだ」

 そう言って、言葉を切る。


 まぁ、正直言って、彼女を安心させるための言葉だな。

 実際に戦ったら、ゴルゴに出てくる三流スパイにだって、俺は勝てはしないだろう。

 できることは、においに気をつけて逃げ回ることだけだ。それでも本気で注意していれば、逃げるだけならかなりはできるかも、とは思う。


 でもな。

 意地って奴だか、弱いのを承知で逃げない「やせ我慢」だかだとしても。

 たとえ、結果が犬死にあろうとも。


 あ、俺が犬だけに犬死にってか、笑えねーっつーの。


 今までの「美岬さんのために滅んだ男」と、俺の「美岬さんのために滅んだ男」は意味が全然違う。

 俺は、美岬さんが好きだ。そして、彼女は俺の同類だ。

 常人と異なる感覚を持つことの陶酔、コンプレックスを共有している唯一の仲間だ。俺だって、嗅覚について悩みまくった時期がある。美岬さんのことを解るのは、彼女の母親以外では、俺しかいない。


 美岬さんが口を開く。

 「いろいろ、考えさせてください。混乱しています」

 「こちらこそ、ごめんなさい。勝手なことを言い過ぎたよね」

 そう言って、腰を浮かせながら伝票を掴む。

 「あっ、私の分は……」

 「だーめ。もしも、次の機会があるとして……、嫌でなかったら、おごってよ」

 ちょっと、勇気を出して言ってみる。


 その一方で、実はさ、一番肝心なことへの彼女からの回答を引き延ばすのは、このタイミングしかないと思った。

 もう会えないという可能性、皆無じゃない。だから、聞かない方がいい。

 返答まで、一瞬の間があった。その間、さすがにいろいろが頭の中を駆け巡ったけど。

 「持ちたいです。次の機会」

 その言葉を聞いて、いろいろが頭から吹っ飛んじゃったよ。

 希望ってのは、こういうことをいうんだろうな。


 そう、希望。


知る、という川を渡ってしまいました。もう戻れません。


次回、拉致。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ