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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第七章 18歳、夏(全31回:渡米編)
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28 継承1


 ここんちのソファは、なんで、こう、いつも俺に緊張を強いるのだろう。

 この部屋に、美岬の父親と二人きり。

 正面から向き合うと、背の高さだけではない。横幅、奥行きとも、俺の倍はあるような気がする。


 「真気水鋩流だよ」

 深いバリトンの声が、聞こえてきた。

 頭の中で、それがようやく意味のある単語になる。現代まで細々と伝えられ、遠藤大尉と美岬の父親だけが使えるという古流武道かも。

 「君に伝えておきたい流派の名前だ。そういうものがあるということだけは君に話したと、美岬から聞いた」

 「はい」

 美岬の父親は、おもむろに立ち上がった。つられて立ち上がろうとする俺を、「いいから」と片手で制する。

 そして、上半身、裸になった。


 濃い体毛越しに、左肩から胸、腹にかけて、数発分の銃創があった。

 弾の摘出手術らしい跡が走っているので、ケンシ□ウの胸の傷みたいに穴の跡だけではない。ただ、傷口の大きさからして、二十二口径じゃないだろう。

 しかも、脇腹にはぎざぎざにケロイド化した傷口があり、それに沿って、縫い跡が無数に走っている。たぶん、刺され、えぐられたんじゃないだろうか。そして、内臓まで縫合するために、その周りを大きく切開したのだ。内臓の幾つかも失っているって聞いたよな。


 よく生きのびたなぁ、この人。

 感嘆しかない。

 俺の驚いた顔を見て、ふたたび服を着て、座る。


 「僕たちの特殊な事情があるから、話しておきたかった。

 今の僕は、美岬の父親ではない。美桜のパートナーとしての僕だ。

 君が、美桜の血筋の女と付き合う覚悟があるならば、聞いておいた方がいいことを話すために呼んだ。真気水鋩流についても、だ」

 「はい」

 「君から見ての美岬は、僕から見た美桜と変わらないと思う。

 美桜も十六歳にして、すでに組織が絡むトラブルは避けられなかった。

 僕が十九歳のときだったよ、そのころの美桜に会ったのは。

 年相応の……、そうだな、美桜と美岬は容姿だけでなく、基本の性格も似ている。

 同じハードに、教育や育った環境という、異なるソフトを入れただけだ。

 だから、美岬をもう少し自由に育て、活発で、親に隠れて化粧の一つもしてみるような、そんなのを想像してくれればいい。

 そうだな、もっと思い切って言ってしまえば、綺麗で優秀で、他の女子高生と変わらず屈託なく、それなのに、一生の間に背負わなければならない重荷だけは決まっている娘をだ」

 うん、なんかすごく解るような気がする。


 「僕は家庭教師で、美桜に数学を教えていた。

 そして、その関係で美桜の自宅に行ったとき、朝倉家を襲った工作員とやりあって、この傷を受けた。

 昏睡から覚めたとき、美桜は死んだと聞かされた。

 僕が見た最後の美桜は、全身血まみれだった。

 新聞記事や報道でも、そういう報道だった。

 ただ、ICUで昏睡している僕に、美桜は別れを告げに来ていた。このまま一緒にいると、僕が死ぬと言ってね。昏睡状態だっだけど、なぜかその記憶がおぼろに残っていた」


 当時の武藤佐の気持ちもよく解る。愛する人を死なせてしまうより、遠くから想う方がマシと思ってしまったんだ。

 そして、瀕死の重傷を負わせたのも自分のせいと、自分を責め続けたのだろう。


 「半年近く入院し、その後、十年探したよ。

 親には、相当泣かれた。

 でもね、組織が隠した人間を、個人が追うのは不可能に近い。

 防衛関係の官公庁のある駅で、一年間ダンボール生活をしながら、改札を通る通行人をチェックし続けたこともある。チンピラに袋叩きにされたり、もう、最悪の十年だった。

 それだけのことをしても、結局、自力だけでは見つけることができなかった。

 組織としてのガードが高いとね、素人の個人ができることなんか、そのガードの足元にも辿り着けないのさ。公用車で敷地内まで入る、そうされていただけで、僕の駅での一年は無意味なものになっている。

 最終的には、論理で割り出して石田さんにたどり着いた。

 組織予算が、防衛機密費なり表に出ない予算で賄われていたら、絶対見つけられなかったけどね。

 美桜から断片的に聞いていた情報から、マネーゲームが起きているところを徹底的にマークし、そこにいるめぼしい百人ぐらいの人の収支を記録し続けた。五年くらいは続けたかな。

 このときも、暴力団から、フロント企業の調査をしていると疑われて、袋叩きっていうか、拷問されて歯を何本か失ったよ。

 まぁ、とにかく、石田さんは膨大な黒字を出しているのに、法人課税額が少な過ぎる。かといって、贅沢もしていないし、脱税してどこかに貯めこんでいる風もない。ヤクザのフロント企業にも見えなかったしね。

 そしてね、時折、出所不明の破格の品物、それについた破格の値段での売り買いが目立つ。オークションとかは、外部からでも金額が伺える貴重な機会だったな。

 そういう品物は、博物館に行くものもあるんで、結構記録写真とかも残るんだ。そこに、結構な確率で、石田さんがいるんだよ。

 僕は、石田さんを徹底的にマークした。

 そしたら、拉致されてね。

 縛り上げられて、尋問されて、そこに現れた石田さんに事情を話した。

 もう、本当に賭けだった。その場でベットできるのは、僕自身の命しかなかったからね。違ったら死ぬのもやむなしという覚悟をして、椅子に縛りつけられたまま石田さんを脅したんだよ。このまま僕を殺すか、美桜に会わせるか、解放して、僕がこのまま石田さんのストーカーとして一生付きまとうことを容認するかしかないぞってね」


 ……対応を選べって、それ、俺もやったな。

 「私を脅すよりも、これからどうするか選択をする必要があるのは、あなたたちなんじゃないですか?」ってやった覚えがある。


 あれっ、それで二年前、武藤佐は俺を受け入れる選択をしたのかな。

 しっかしなぁ、美岬の血筋、つきあうには本当に難儀だな。

 常に男側にそこまでのものを強いるって、怖い血筋だ。


 ……それにしても、この人は凄い。

 俺の語彙では、もうそれしか言えない。美岬から、父親が戦略的思考のできる人、その才能の現れで碁が強いと聞いていた。

 だけど、そんなレベルじゃない。具体的行動力も併せ持った戦略家だ。しかも、折れないその心の強さは驚嘆に値する。

 控えめに話しているけど、この人がたった一人でやりとげたという事実は枉げようがない。   



 「なんでそんなに探し続け、待ち続けることができたんですか?」

 「君ならば、それが解ると思って話したんだけどな」

 「ああ、そうですね。解ります。

 それ自体は、とてもよく。

 ただ、今の話の中で、十年の間の心の拠り所はあったのかな? と思ったんです」


 毛むくじゃらの顔が、一瞬照れを見せた。

 「ICUでほぼ昏睡状態の僕は、まぶた一つ、指一つ動かせなかったよ。

 その僕の顔に、美桜は、ぽたぽた涙を落としながらキスをして去って行った。『生きていてください。それだけで満足です』って言い残してね。

 そのおぼろげな、声の記憶、涙の感触だけで十分だった。

 僕が聞いている範囲では、君も同じだろう?」


 武藤佐……。

 あの人が、そんなことをねぇ。

 そうか、難儀な血筋なのに、武藤佐も美岬も初めてのキスは、女性側からなんだ。

 確かに、俺も忘れない。

 あの瞬間に殉じるためなら、いつまでも、どこまでも戦える。


 なんか、俺、急に恥ずかしくなってきたので、やや強引に話題を戻す。

 「石田さんは、その賭けにどう反応したんですか?」

 「僕の足を、膝近くまでコンクリートで固めたよ」

 「!?」

 言葉が出ない。あの人、ブラフなのか? それとも、ためらいなく人を殺す決断をしたのか!?


 「あの時は、さすがにあきらめたよ。冬場の溺死は辛いだろうなとしか、もう考えられなかった。完全に感情失禁の状態で、最後には本当に漏らしたよ」

 「それで、どうなったんですか?」

 「おそらく、その間にも僕のことを調べたんだろうね。言っていることが本当か嘘か。

 ただ、あの頃は、石田さんも美桜も組織の中で情報を持っていないんだよ。

 美桜の能力のことも、僕の傷痕が美桜のためだったことも石田さんは知らなかったし、石田さんが僕にストーキングされていることを美桜は知らなかった。

 最終的に石田さんは、観念した僕の顔を見て、『違うな』って言ったんだ」

 「どういうことですか?」

 「尋問に対する訓練を受けている人間って、プロ同士だと、どうやら判るものらしいね。

 まっとうな社会人どころか、大学を卒業した後、アルバイトで食いつなぎながら美桜を探している僕に、そんな経緯があるはずもない。

 石田さんが言うには、僕の話は出来の悪い作り話にしか聞こえなかったし、体の傷跡は銃創というだけで警戒対象だとさ。

 そりゃ、そうかもしれない。

 で、改めて拘束しなおされた僕の前に、組織内で情報がやっと回って、ようやく美桜が現れた。

 僕は痩せすぎて人相も変わって、写真だけでは判別できなかったし、体に傷痕もかなり増えていたんで、条件が一致しなかった。で、確認に来たんだ」



 「それでうまくいったんですか?」

 感動の再会を期待して聞く。そして、あっさりと裏切られた。

 「いくわけがない。

 PTSDがね、美桜を目の前にして全て吹き出してしまったよ。美桜を探す一念だけで生きてきたから、その目的が達成された瞬間、肉体的にも精神的にも限界がきてしまった。美桜を確認して、そのまま気絶したよ。

 そもそも、PTSDへの理解が乏しい時代だったから、まともにカウンセリングも受けてなかったし。

 刺され、撃たれ、振り返ったところには血塗れの美桜がいた。その記憶のフラッシュバックが激しくて、まともに寝ることもできない精神状態が続いているのに、足をコンクリートで固められて海に放り込まれる恐怖がプラスされたからね。

 繰り返すけど、僕は単なる民間人で、高校生の君ほどの訓練も受けていないんだ。

 結果として、治療とリハビリにほぼ一年かかった。さすがに、治療費は出してもらったけどね。

 一民間人の足をコンクリートで固めて精神崩壊させておいて、自力で治せはないからねぇ」

 そこまでトラウマを残させるって、石田佐、マジで殺すつもりだったんだ……。

 昔の話とはいえ、洒落にならん。


 「美桜も、十年の間に、骨と皮ばかりというぐらい痩せ細っていた。

 再会後、初めて見たときは、骨格標本が服を着て歩いているようだった。やっぱり、フラッシュバックに悩まされ、僕を命の危機に晒したという罪悪感に苛まされた十年の帰結だ。生理も止まっていたし、点滴なしでは社会生活もできなくなっていた。

 僕は、美桜を探すという目的に依存できたけど、美桜はそれすらもなかったからね。

 絶望とその理由が自分自身にあると、だから明日死んでもいいと思っている人間が、モラルを失うこともできずにフラッシュバックに責められ続けていると、食事なんかまったく取れなくなってしまう。

 僕も酷いもんだったけど、美桜も、その状態であとどれくらい生きられたのかなとは思う。

 それがね、再会後はみるみるうちに女性らしい、僕の記憶の中の美桜に戻っていった。

 だけど、完全に戻り切れない部分は残った。

 君にこんなことを話したというと、美桜に叱られるけどね。

 あれの本当の顔は、未だに甘えたがりのティーンの女の子なんだよ。

 結局、心を不自然に凍結させたまま十年間が過ぎてしまったせいで、本質はむしろ退行してしまった部分すらある。加えて、餓死寸前まで、自分を責めつづけた後遺症もある。

 たぶん、経験や年相応にごまかす技術を抜いて、本質のみで比較したら美岬の方が美桜より大人だろうね。

 だからね、視覚のことがなければ、美桜を退職させたいんだよ、僕は。

 退職して、組織のプレッシャーから解放されて、始めて本質としての美桜は成長し、歩き出せるだろうと思っている」


 去年、成田空港で見た武藤佐の甘えっぷりを思い出す。

 そうか、あれは、そういうことだったのか……。普段の冷徹さとのギャップ、それに感じていた疑問が氷解する。

 それは辛いなぁ。辛すぎる人生だよなぁ。


次回、継承2

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