5 これも青春?
そして、もう一つ、美岬に伝えねばならない。
「それとさ、武藤佐を見てみ。可愛いかな?」
「私は、母みたいにはなれない……、から。だから、せめて、もう少し可愛くなりたかった」
途切れ途切れに言う。
「誰に対して?」
「あ……」
「手が荒れてというならば、きちんとメンテナンスはしようね。可愛いとかの話とは別に。でも、俺は、今の美岬が好きだよ。それを、美岬は知っていると思っていたけど」
正面から美岬の目を覗き込む。
自らの意思を見せるためにした行為なのに、逆に美岬の大きな目に吸い込まれそうな気になる。
どうして、こんなに綺麗なのだろう?
美岬は、俺の視線を外して俯いた。
「訓練が厳しくなって、私が真を巻き込まなければ良かったんじゃないかって、どうしても考えちゃって。そうしたら、どんどん不安になって、真の辛さの原因はみんな私だし、それが辛くて……」
「それって、もしかして俺が、訓練に挫けると思ってる?」
美岬は、下を向いたまま首を振った。
「それとこれは別。きっと真は耐える。
だからこそ、その辛さは増えて、それは私のせいで……」
美岬に、問いかける。
「今日、ランニング中の掛け声に『水兵リーベ、僕の船……』は無かったよね?」
「なんの話?」
「『二次方程式の解の公式』もなかったろ」
「なかったけど、どういうこと?」
美岬が目をみはる。
「もしも、ランニング中の掛け声で、その二つみたいのがあったら慧思は吐いていただろうな。あれは、息を止めて長く叫ばないといけないから。
遠藤さん、俺たちの体力の底を徹底して見切って、精密としか言いようがない訓練メニューを組み立てている。
中学の時から訓練している美岬は、俺たちより余裕あるからかえって気がつけないかもだけど、ダウンする寸前を完全に見切られているぜ。
つまり、俺と慧思は、息つく暇さえないけれど、挫折もさせてもらえないんだ」
「そうだね、あの人は、そういう意味でもいつも容赦なく鬼だよね」
ようやく、美岬の声が少しだけ笑みを含む。
「だから、俺も慧思も、潰れないように大切に育ててもらっているという自覚があるんだ。今の段階では、『つはもののとねり』を辞める自由もあるって言われていることも合わせると、ありがたさの方が大きくなるよね。だから、美岬と一緒にいる代償に、辛い訓練に耐えさせられているというような意識はないんだ。
たぶん、いや、間違いなく慧思も、『妹との生活を保証するためには、どんな辛い訓練も耐えなくてはならない』なんていう悲壮な意識はないと思うよ」
美岬は、俺の胸に顔を埋めた。
「……なんか、馬鹿だね、私。空回りして」
「いやいや、彼女がより綺麗な方が嬉しいのは真実でして……」
「もう……」
俺も、美岬の背に腕を回す。
不安になる。俺、汗臭くないかな?
腕に、そっと力を込めながら考える。
美岬のことを、汗臭いとは思わないのは何故なんだろう?
− − − − −
突然、声が掛かる。
「ばっかやろー、美岬ちゃんの、怪我じゃなかったのかよ!」
焦って、美岬と飛び離れる。
部屋の入り口に、かなり顔色がましになった慧思がいた。安静にできて、消化さえ始まってしまえば、割りとすぐに楽にはなったのだろう。
いつからいたのだろう、こいつは?
「俺はなんのために、耐えていたんだよぅ?」
あ、だいぶ前からそこに居たんだ……。
「自分の不用意な一言の責任をとるために、じゃないかな?」
慧思はその場に崩れ落ちて、orzという体勢になった。
「お前らの方が、遠藤さんよりよっぽど鬼じゃんか」
「ごめんなさい」
美岬が言う。
「美岬ちゃんに謝られても、なぜかちっとも救われた感じがしないー」
「問題自体が、『お前自身の自業自得だから』じゃないかな?」
本日、二回目の死刑宣告を下す俺。
「双海ー! お前という奴はー!」
慧思が掴みかかってくる。それを躱し、逃げる俺。
そして、笑う美岬。
あと一日。
あと一日で、この訓練も終わってしまう。
あまりの辛さに、決して続いて欲しいとは思えないのに、かけがえのないと思える日々が。
おそらくは、他の高校生より辛さも甘さも五割増しの、愛しい日々が。
きっと、歳をとってから振り返った時に、あの時こうしておけばよかったなどとは決して後悔しない日々が。
この世に、いや、俺たちの世界に、神なんかいない。
でも、俺は祈る。
人というものは、ひとりでに何者かになったりはしない。
そして、何者になろうとも、最後には死というものに全てを奪われる。
そんな儚く虚しいものだからこそ……、せめて愛する人から、そして本当の友から、信頼されるに足る者になれますように、と。
そして、信頼されるに足る者としての日々が、少しでも長く続きますように、と祈るのだ。
これで、この章終わりです。
お付き合い、ありがとうございました。
次章では、18歳でアメリカに行ってきてもらいます。
ちょっとは報われる? かも。
引き続き、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




