4 昼食のカレーの前に
ようやく、昼食休憩。
「ふっくらブラジャー、愛のあと!」
「ふっくらブラジャー、愛のあと!」
ハロゲン、周期表17族まで叫んだところでランニングは終了し、解散となった。
鬼は、大学受験の用語を、防大に入る時にでも覚えたのだろうか?
寮にしている建物の前の冷たい地面に、ようやく寝転がった慧思の顔色は、すでに青白さを通り越して緑がかった土気色に見える。運動と大食は、やはり両立し得ないものらしい。
もしかして、こいつ、口には出さないけれど、今朝の俺たちのやり取りから、やはり美岬の怪我を疑ってる。そして、その原因を自分の昨日の「五点接地ってのは本当に有効なんですか?」という質問のせいと責任を感じているんじゃないだろうか?
それが、慧思をここまで無言で耐えさせているんじゃあ……。
そうだとしたら、俺もなおのこと、口に出しては何も言えない。その男気に応えるために、寝転がった慧思の肩にぐっと手を置くのみで、寮の建物に入り昼食にかかる。慧思は食えないだろう。
反して、俺と美岬は空腹。
午後も訓練は続く。
とはいえ、基礎体力というより、潜入、武器使用、格闘技等のより実戦を模した訓練になるので、走り続けるよりは体力的に楽。各行動には説明も入るし、消化の間はある。
今までの訓練合宿は学業の方が時間的に多かったのだけれど、俺が夏休み前に負傷して、身体的訓練ができない期間がちょっと長かったのだ。で、つじつま合わせにこうなっている。
とはいえ、それでも、夜から深夜までは大学受験科目の講師が来る。
充実した毎日というより、いじめられているような気すらするよ。
作り置きのカレーのためにスプーンを握り、朝の話を蒸し返す。
「なぁ、手、見せたくないならいいけれど、どうして見せたくないのかは話してもらえないかな?」
「見せたくない。ただそれだけ」
美岬は、そっけなく答える。
俺と同じくスプーンを握っている手は、驚くほど小さい。そして、その動作に不自然さは全く伺えない。
「心配しているんだ」とは言いたくない。
押し付けがましいのは嫌いだ。
逆に、美岬が聞いてきた。
「やっぱり私……、可愛くないよね?」
……同級生の女子に同じ質問をされたことがあるけど、そういう誘い受けの質問をするときの女性って、生理活性が上がっているんだよね。
「そんなことないよ」っていう返事を期待して。
「そんなことないよ」って、ほぼ確実に褒めてもらえる喜びに、ちょっと体温を上昇させて、フェロモン出して。
でも、これは誘い受けじゃない。
朝のこともあるし、俺の嗅覚は、そういう変化を認めていない。だから、絶望的に口から出てしまった言葉と俺は解した。
俺、午前中、叫びながら走りながら、ずっと何が起きているのかを考えていたんだよね。
「ああ、可愛くない」
追い打ちの死刑宣告をする。
「そか……」
目に見えて、美岬がどんよりする。
「いいかい?
もっとこう、上目使いにほっぺた膨らませながら、俺に擦り寄りながら聞くんだ。『私、可愛くないよね?』って。こんな感じで……」
言いながらやってみせる。
どんよりした雰囲気を救うためだ。
「えっ、えっ!?」
「そしたら可愛いんじゃないかな?」
「そんなの……」
「できないよな、きっと。
美岬は、そういう種類の生き物じゃない」
呆然としている隙をついて、美岬の手をとる。
ほんの一瞬、抵抗の気配を見せたけど、美岬は凍ったように動かなかった。半年前には、美岬の意に反して手に触れ、手首から肩まで腕全ての関節を極められている。怖くないと言ったら嘘になる。
多分、美岬も怖いだろう。遠藤大尉に、作品として扱われるほど高度に訓練され、自らの意思とは関係なく反射的に技を決めてしまう自分自身が。
「美岬、そういう種類の女子を、羨ましいと思うこともあるだろうけど……。俺もそういう女子を、可愛いと思っちゃうこと、確かにあるけどさ……」
赤外線までを可視領域とする美岬に、嘘は通用しない。この能力のために、美岬はこの世界でしか生きることができないのだ。
だから、俺は、美岬には、常に全てを本音で話す。全てを本音で話しながら、身も蓋もない言い方にならないようにする。
それが、俺にできる、最低限の誠意なのだ。
手に取った美岬の手を観察し、腫れなどがないことを確認する。
その上で、自分の両手で大きく包み込む。成り行き上、スプーンごと。
「訓練で固くなっちゃった手を、隠さなくていい。
いいんだ。
匍匐前進を続けて、冬の地面で荒れた手が可愛くないからといって、ますます普通の女子と違ってしまったとがっかりする必要もない。俺は、この手と、この手ができることが大好きだから」
美岬には、俺の顔も耳も温度が上がっているのが見えているんだろうな。
「私、身につけた技術で、どうしてなんだろう、真しか傷つけていないよね。
敵も傷つけていないのに、なんでなんだろう、一番傷つけたくない真ばかりを……。
そして、こんな荒れた手になっちゃって、今も、更に誰かを傷つける訓練をしているんだよ。
また、真を傷つけてしまったらどうしよう……」
ああ、PTSDかな?
ただ、傷ついた方ではなく傷つけた方がなるってのが、美岬らしいかもな。
「それでも、やめるつもりは無いんだろ?」
俺は、返ってくる答えが判っている質問をする。
「……うん」
ちょっとだけ、手を握っている力を強くする。
「俺ばかりをって、いいんじゃないかな?
美岬の手はこれからも決して汚させないって、俺、決めてる。
俺は、美岬に、敵も含めて他人を傷つけさせることは絶対にさせない。
そして、俺と美岬は二人で一つだ。だから、俺は他人じゃないから、ノーカウントでいいっしょ」
ちょっとばかり、我ながら歯の浮くような台詞を言う。
でも、本音で本心なんだ。
「でも……」
「美岬が美岬自身を傷つけるのと、たいして変わらないよ。料理中に包丁でうっかり怪我をして、誰かを責めたり、不必要にまで自分を責める必要はないだろう?」
「でも……」
「デモデモダッテはダメだ。これで納得しろ。
『はい』と言え」
あえて強く出る。
「はい」
よし。
素直でよろしい。
次回、これも青春?
次回で、この章終わりです。
お付き合い、ありがとうございました。
次は、アメリカ編、、、かな。ちょっと長めです。
また、、よろしくお願いいたします。




