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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第六章 17歳、冬(全5回:合宿編)
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3 あり・をり・はべり・いまそかり!


 訓練合宿の場所自体は、遠藤大尉のコネで、自衛隊の敷地内の独立した建物を寮として借り切っている。基地司令が「つはものとねり」に協力的なのは、天辺に近い天からの声があることと、それなりの予算措置があるかららしい。

 だから、自衛隊の食堂を使うことさえ、紛れ込んでしまえば問題はないのだろう。自衛官候補生も体験入隊も、対象が年齢的に俺たちと重なっているので、食堂には10代の人間も案外たくさんいるのだ。


 でも、俺の特技でもある敏感すぎる嗅覚は、そこの食事を受け付けないだろう。

 あくまで、ここの食堂に落ち度はない。

 大量調理は大量というただそれだけで、システムとして食品以外の匂いを大量に孕んでしまうものなのだ。

 また、女性としての美しさに磨きがかかりつつある美岬は、どんな意味でも目立ちすぎた。俺たちの訓練エリアは、遠藤大尉によって独立したエリアに設定されているし、それならば、そのまま閉じこもって自炊していた方が良いというのが俺たちの判断だった。


 食材は俺の姉が、三日おきに送ってくれている。

 訓練合宿の期間、姉と慧思の妹は一緒に暮らしているので、送られて食材や梱包の中の空気の匂いからその生活が伺えるのも、なんか、安心できていい。

 で、食事は届いた食材を使って、三人で回り持ちで作りあっている。

 今朝の当番は、二番目に料理の上手い美岬だ。一番は俺だけど、美岬との差はほとんどない。残念ながら、三番の慧思は大きく落ちる。


 高一の夏休みの時の訓練合宿の時は、美岬が密かに食事を作ってくれていた。でも、今は俺たちの訓練過程もそれなり進んでいるし、美岬一人に負担はかけたくないので回り持ちで作っては一緒に食べている。


 でも、洗濯は各自。

 さすがに、美岬のパンツを洗うのはどうよ? というのもあるけど、それよか慧思のパンツを洗うのは、ピンセットでつまんででもイヤだ。

 同じ敷地にいる自衛官たちは、アイロンがけまでが義務みたいだけれど、俺たちはそこまではない。


 理由は簡単なこと。

 きっと、自衛官の人達から見たら、アイロンもかかっていない、ユニクロやしまむらを着ている俺たちの立ち振る舞いは、だらしなく見えるのかもしれない。

 でも、俺たちは、自衛隊の人たちのような規律ある生活習慣が染み付きすぎないようにしなければならないのだ。

 俺たち三人は、揃って行進するような訓練は注意深く取り除かれている。日常生活の中で、無意識に歩調を揃えて歩くなんてことは、絶対に避けねばならないからだ。


 だから、衣服に関しても制服などないし、いわゆる普通の服装の範囲中でどこまでの装備を隠し持ち、戦闘できるかが求められる。

 とはいえ、もう一回繰り返すけど、俺と慧思じゃしまむらとユニクロだけど。


 で、実はこれ、極めてよろしくない一面を持っている。

 俺たちが実戦の場に出ても、それは交戦規定のない戦場だ。

 俺たちはジュネーヴ条約の保護の対象にならないし、捕虜になることイコール拷問死ということも理解している。


 それでも、俺は男だからまだいい。

 美岬がそんなことになったら、人として、女として二重に尊厳を奪われた上で殺されることになる。

 現役の高校生なのに、二回も銃弾の飛び交う中を走る経験を積めば、考えが辛くなっても仕方がない。

 それを理解した上で、なお美岬がこの道を行くと決めた以上、俺は美岬を守りたいのだ。


 唯一期待できるのは、諜報機関同士の紙より薄い信義のようなもの、それだけだ。

 もっとも、逆に言えば、その信義のようなものさえ尊重する振りができれば、生きて帰るのにどのような手段を取ろうが制限はないし、正規兵として外見を整えるような考え方もない。逆説的だけれど、だからこそ、各諜報機関は無制限な犠牲者を出さないで済んでいるのだ。



 自衛隊の89式小銃と同じ重さのバラストを抱えて、10kmを走る。ハイポートってやつだ。

 日常と違い、戦闘に関する訓練は、完全に自衛官、それも精鋭中の精鋭である遠藤大尉の方法に無条件に従うこととなる。

 とはいえ、この訓練履歴も残されることはない。だから、俺たちが将来、自衛官になるとしたら、自衛官候補生から今までの訓練を繰り返すことになる。

 でも、そうでもしないと俺たち、きっとまともな敬礼すらできないよな。


 俺は殿(しんがり)

 慧思の顔色が、変。

 無理もない。

 口から三人分もの朝食が逆流しそうなのだ。戦闘に耐えうる食事ということで、そもそも一人分の規定量が多いし。

 慧思の歯をくいしばる音が聞こえそうだ。


 遠藤大尉は、鬼の面目躍如で、容赦がない。最初の柔軟から腕立て、腹筋、かがみ跳躍で、早々に顔色が悪くなった慧思を見て、一度は事情を聞いてくれた。でも、慧思が、「なんでもない、大丈夫です」という回答して以後はまったくもって斟酌がないように見える。


 「き・し・しか!」

 「き・し・しか!」

 とか、

 「あり・をり・はべり・いまそかり!」

 「あり・をり・はべり・いまそかり!」

 とか、遠藤大尉の掛け声に続けて、反復して叫びながらのランニング。受験対策用高校生バージョンなんだろうけれど、外目から見たら異常だよ、これ。しまいにゃ笑い出しちまいそうだ。


 挙句に、

 「凛々しい兄ちゃん、元禄寿司!」

 「カッコよく迫って、張り倒された!」

 って、もしかして地学かいっ!?

 流紋岩、安山岩、玄武岩。

 花崗岩、閃緑岩、斑れい岩だよな。


 俺は、内心遠藤大尉にツッコミを入れつつも、美岬の怪我の疑惑については大尉に言い出す決心がつかず、ただ、前を見据えて走る。

 俺の前を、ポニーテールを正確なテンポで揺らしながら、軽やかに美岬が走っている。


 ふと、たった2m先のポニーテールが掴むことのできない遠くに去ってしまうような気がして、走っているのに膝が砕けて腰から下の感覚がなくなりそうになった。

 ……そうだった。

 美岬は普通の女子ではない。同級生たちとの普通の女子の生活に憧れながら、自らの意思で一生を実戦(・・)の中で過ごすことを選んだ人間なのだ。

 ついて行く、それは最低条件だ。

 ついて行けなければ、守ることすらできないのだ。


次回、昼食のカレーの前に

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