12 推理、その3
サトシが口を開く。
「お前の言っていることは全て推測だ。それが全て正しいとして、彼女の能力とは何だと思う?」
「わかることだ」
「ん?」
怪訝そうだ。
「よく考えてくれ。彼女が俺にシンパシーを感じるとすれば、嗅覚で他の人にわからないことが分ると言うことだ。それ以外、俺に取り立てての目立つ項というか、個性はない」
「ん?」
いつになく、サトシが鈍い。無理もない。自分に対して、そういう想定すらしたことがないだろうからな。
「例えばだけど、俺がサヴァン症候群で、何年何月何日と言われればそれが何曜日と反射的に判る。そのかわり、他の生活能力はないとしよう。
その場合、彼女はその能力に、シンパシーを感じるだろうか? 少なくとも、俺はその能力を凄いとは思わない。カレンダーを見れば判る事なのに、失うものが多すぎる。
でも、嗅覚で他の人のプライベートがわかる。これは、使い方によっては神の力と誤認させられる、危険かつ誘惑的な力だ。ここにシンパシーを感じる事ならあるだろうな」
サトシは理解したらしい。
「よく解った。神の力を持っていて、同じく神の力を持つ者に対して、ということだな。……謎、解けてね?」
「また一足飛びだな」
サトシの頭がフル回転しているのが見ていて分かる。
「神が、逆鱗に触るものをどう処分するか、だ。俺は、お前と付き合って長いからな、お前がバカな犬だってことを知っている」
「余計なお世話だ」
憮然とする俺を無視して、サトシは続ける。
「バカだから、神じゃなくて犬の仲間の延長として普通に付き合えるが、な。
最悪の可能性を言うけど、これが賢くて、美しくて、嗅覚じゃなくてもっと凄い何かだったら、自己認識も神じゃん。そうなれば、自分を否定してくる人間はとことん殺すんじゃないか? そこに躊躇いや自省があるとは思えない」
うっ、となった。
俺は、嗅覚だから良かったのだ。少なくとも、自分で自分の能力を神のようだとは考えにくい。鼻が利く神ってのは、ありがたみがなさ過ぎる。どれほどよく見繕っても、大口の神、すなわち狼ぐらいがせいぜいだ。
「じゃ、もしかして、本当に眼が青く光っていたのか?」
サトシは、水でも掛けられたような顔になった。
「話の論理が飛び過ぎてたな。馬車の前に馬をつないでいる。かといって、論理が飛んでいないというならば、神かサイコパスかを、犬の嗅覚に頼って確認しなきゃならん羽目になるな……」
「その確認に、嗅覚は必要ない」
サトシは、はっとしたようにこちらを見た。
「そういう能力に対して、能力で解析する必要はない。お前に取っちゃ特別でも、俺にとって、俺の嗅覚は当たり前で、他の感覚と差はない」
そう俺は、断言した。
「具体的には、何が言いたい?」
サトシが聞いて来た。
「まず、武藤さんが何かをわかるとしよう。何がわかるかというのは、消去法で簡単に推定できる」
「ほー?」
「味覚とかはあり得ないだろ。誰かを舐めたりしてはいないしさ。触っていないから触覚でもない」
サトシが考え方を理解したようだ。
「空気の流れを、触覚で感じるというのはなし?」
「ないな。完全に否定はできないけれど、得られる情報量が少なすぎるだろ。気配って奴に分類されるんだろうけど、情報確度が低すぎないかな。気配を感じただけで、その相手を追い込むに値するかという判断は難しいぜ。
殺気を感じたから殺していいって話は、さすがにそりゃないよ」
「そうだな。となると、嗅覚は既に否定されているから、必然的に聴覚、視覚のどちらかだな」
なんとなく、だが、サトシとブレーンストーミングしている間に自分なりに答えが出てしまった。
少し迷ったが、答えを伝えてしまう。
「俺は視覚だと思う。
聴覚だと、声の調子で相手が嘘をついているとか、相手の感情は本当はこうだとか、そういうことは判ると思う。でも、逆をいえば、相手が嘘をついているとか、怒っているとかしか判らないし、それだけの情報で、相手を廃人になるまで追い詰められるもんだろうか?」
「それだけって、それでもう十分って気もするけどな。視覚だとどう想定できるんだ? それ以上の事が解るのか? 細かい表情を見抜くとかか?」
「そのレベルなら、女子はみんなやっているぜ。俺が考えつくのは、赤外線まで見えているんじゃないかということだ」
「きゃー」
サトシが、裏声で悲鳴を上げてみせた。
「お前、えっちなこと想像してるだろ。盗撮とかのサイト見たな、まったくもう……。でも、図星だ。彼女には、服は透けて見えているし、下半身が元気だったりしたら一発で見破られるぞ」
「んーと、冗談抜きで、どこまで分かると想定できる?」
「どうせもう、中二病ぽいからその設定でいくけど、武器を持っていたら分かるだろうな。ポケットに温度差があるものが入ってれば、当然判るだろうからな。
体表の血流から、緊張してるとか、感情の動きもかなり判るだろう。飯を食ったかとか、運動したかとか、屁をこいたとか、前の晩寝ていないとかの健康状態もかなり精密に判るだろうな。ある意味、全てお見通しだ」
改めて考えると凄い力だよな。
サトシが目を泳がせながら言う。
「……それより、既存の五感に拘らないで、まんま超能力とかの可能性は?」
抜け目のないわりに、案外無邪気だったんだな、こいつ。
「想定したきゃ、想定してくれ。だが、そこまでのファンタジーを持ち出さなくても説明はできそうだと言っておく。人類の遺伝子に、視覚も嗅覚も設計図があるけど、超能力の設計図なんてあるのか? 生物のローズ田島は、二つの可能性がある場合、単純に説明できる方が正しいと言っているじゃないか」
バラの育種を趣味でやっている生物の先生なもんで、来年には定年のお爺さん先生なのに、このアダ名だよ。校内のばら園にも、品種名「ローズ田島」は植わっているそうな。
「『オッカムの剃刀』か。うらやましいな。
こっちのクラスは、先生違うから、そういうことは言ってくれないやな。で、確認はできるのか?」
「ああ、簡単だ。赤外線のトリックで話は済む。言葉は悪いが、引っ掛けることができそうだ。なんせ、今の段階だと、武藤さんも引っ掛けられることを、全く想定していないだろうからな」
作戦は、すでに頭の中にいくつか浮かんでいた。
サトシは空のカップを弄びながら、根本的なことを聞いて来た。
「方法は聞かないでおくよ。だが、一度、根本に戻りたい。
なぜ、双海は武藤さんの謎を突き止める? 突き止めてどうするつもりだ?」
俺は、三十秒ぐらい考えた。
いじめの解決など、取り繕うようなことは、何を言っても嘘になる。
俺は……。
「やはり、彼女を助けたい。彼女は泣いている。俺にしか、彼女を真に理解することはできないと思う」
「その想い、それ自体が幻想かもしれないんだぞ。人が人を真に理解することができるってのを、お前さんは信じていないはずだ」
「頼みがあるんだが……」
「なんだ、人の話の腰を折って」
「ホント頼むから、大人なのかガキなのか、キャラを統一してくれ。長い付き合いだが、特に近頃、戸惑うことが多い」
サトシは、こいつにこんな顔ができたのかという感じで、ひっそりと笑った。
「無理を言うな、俺だって、俺自身を制御し切れていないんだ」
「まぁ、同じ歳だからな、解らないでもない」
俺は、空のカップを指先で弾く。
「聞いてくれ。
人が人を理解しきれるわけがないと、俺は思うよ。けれどもな、他の人と違う感性を持って産まれてしまったことへの理解は、他の誰よりもできる、できるはずだ。
俺は、その点だけでいい。その点だけで良いから、彼女を助けたい」
「武藤さんを好きだしな、などと皮肉を言うつもりはない。ただ、その線が線だ。それを越えたら戻れないことは解っているな? 藪には蛇がいるもんだし、彼女を引っ掛けてその能力を証明したら、きっといろいろと戻れないぞ」
さすがに、一瞬、返答に間を置かざるを得なかった。
どこから戻れなくなるのかは判らないけれど、どこかにその閾値があることは本能的に理解していた。
「ああ、解ってる」
心理的には、渾身の力を振り搾って頷く。
その時、メールの着信音。
近藤さんからだ。
「おい、月曜の放課後、詳しい話を聞きたいとさ。何かが見える話は抜きで、皆んなには今日の事件を話す。一緒に来い」
「あ、ああ、行く、行きます」
声がうわずっているって。
人はこんなにも、一足飛びに天国へ行けるものなんだな。
次回、作戦開始。双海真、動きます。