前編
全2話完結です。
新一年生のコイケ君が僕たちの通学班に入ってきた。僕が四年生になった春のことだ。
コイケ君はみんなとは少し違う。母に聞いた話では、赤ちゃんの時に重い病気にかかったせいなのだそうだ。話をするとどもってしまうことが多いし、歩く時は右足の足の裏を地面につけることが出来なくて、つま先を引きずって歩く。
だから、僕たちの通学班は今までより少し早めに集まって、コイケ君が遅れないようにゆっくり歩くことにした。コイケ君は遅れまいと一生懸命に僕たちについて来た。苦しそうな時もあったけど
「大丈夫?」
と聞くといつもニコニコして
「だ、だいじょ、じょうぶだよ」
と言って、弱音を聞いたことは一度もなかった。5月の連休の頃にはコイケ君が遅れてしまうようなことはほとんどなくなって、学校に早く着くようになった。コイケ君の歩くスピードはどんどん速くなって、6月の梅雨が始まる頃には僕たちの集合時間は、コイケ君の入学前の時間に戻っていた。
一学期が終わって夏休みが来た。僕たちは夏休み明けに行われる秋の運動会にひそかな野望を持っていた。僕が入学してからの三年間、毎年予選落ちの地区対抗リレーだったが、今年はちょっと事情が違う。何と言っても去年転校してきた吾妻君がいる。体力測定の五十メートル走で、いきなり5年生の歴代ナンバーワンの記録で走ったのは校内でも有名な話だった。そしてもう一人、毎年体育係が忙しくてリレーに出られなかった陸上部キャプテンの中山さんが
「今年が最後だから」
と出場してくれることになったのだ。この二人は強力だ。
「これってもしかしたら予選突破出来るんじゃない」
とか「いやもっと凄いことになるかもね」
と僕たちの中のワクワクが、ドンドン盛り上がっていたんだ。
僕は四年男子の代表を小木津君と競う。一、二年の時は小木津君、三年の時は僕が代表だった。今年も絶対に負けられない。早起きして練習して来た成果を見せなくちゃ、と気合を入れて練習に出た。巻き返しをはかろうと初めの内は練習に来ていた小木津君だったが、途中から顔を見せなくなった。どうやら諦めたみたいだ。よしこれで四年の代表は僕がゲットだって、ガッツポーズをしたんだけど、中山さんはあんまり喜んでいないみたいだった。なあんだ。僕はちょっと面白くなかった。
一年男子の選手は勝野君で決まっていた。一年男子はコイケ君と二人しかいないのでこれは仕方がない。だけど勝野君はあまり練習が好きじゃないみたいだった。中山さんや吾妻君が家まで呼びに行ってやっと出てくるというのが定番で、その内あまり顔を見せなくなった。
「まあ、バトン練習が始まってからでもいいか」
と中山さんも諦めていたみたいだ。
一方のコイケ君は人一倍練習熱心だった。歩くのは普通のスピードになったけど、走るのはまだまだ難ししい。何しろ右足のつま先を引きずってしまうので、一歩ごとにブレーキがかかる。土のグランドでは砂煙がモウモウと上がるので、コイケ君が練習しているのは遠くからでも良く分かった。十メートルも走ると立ち止まり、無理をすると転んでしまう。
「選手じゃないんだから無理しなくていいんだよ」
と中山さんに言われても、コイケ君はいつもニコニコして、また何事もなかったように同じように走った。穴だらけのトレパンの下の膝小僧にはいつも新しい傷が出来ていた。ズックもたちまち駄目になった。砂煙はいつだって上がりっぱなしだった。
みんながお墓参りや旅行に出掛けてしまうお盆は、全体練習休みになったのだけど、コイケ君は一人でグランドにいた。時々
「頑張ってるね」
なんて声を掛けにグランドに出ていたのだけど、僕は段々コイケ君に何と声を掛ければいいか分からなくて、グランドに出るのがちょっと億劫になってしまった。
夏休みの最後の日。コイケ君のズックにまた穴が開いた。この夏何足目だろうか。
「あ、あな、また開いちゃった」
とズックを持ってニコニコ笑っているコイケ君を見て、中山さんが
「一年男子はコイケ君に走ってもらおう」
と言った。吾妻君も大きくうなずいた。きっと勝野君の方が速く走れるかも知れないけれど、僕はここ数日何となく落ち着かなかった心がストンと落ち着くのを感じた。後で勝野君のお母さんが中山さんに文句を言いに行ったという話を聞いたけど、中山さんはガンとしてコイケ君の代表を曲げなかったらしい。やっぱり陸上部キャプテンはすごい。中山さんは本当に恰好いい。こうして僕たちの地区対抗リレーの一年男子はコイケ君になった。
(続く)
後編は明日(7/26)の18時に公開予定です。