テレビを買う前に、テレビを廃棄する話
2018年のある夏の日、我が家のテレビがついに壊れてしまった。
数週間前から、スイッチを入れてから点くまでに無視しがたい間があるようになり、そのうち3分くらい余裕を持たないと、見たい番組の最初を逃すことが出てきた。
最後の数日間は10分近くかかるようになり、忘れたころに点いて「今日も大丈夫だったか」と家族全員で確認するくらいになっていた。
天気予報を見たかったのに、すっかり終わっていたりするのが当然の日々を過ごしていた。
そして、とうとう点かない日がやってきた。
「しょうがないねぇ、買い替えないと」
今頃言っている場合ではないのだが、旦那も私も最近の電化製品の進化についていけず、腰が重かったのだ。とはいっても、買うのは全く問題ない。
面倒に思うのは、点かなくなったテレビの廃棄、の方である。
壊れたのは、2001年製ブラウン管テレビである。
自治体の粗大ごみでは、全く扱ってもらえない。「買ったお店にご相談ください」とのこと。
転勤などで何度か引っ越しをしているので、そもそも買ったお店がどこだかよく覚えていない。その場合、簡単に持って行ってもらえそうなところはあるのだろうか。
何しろ、このブラウン管テレビ、40キロぐらいある代物なのだ。
つい、そのまま数日が過ぎてしまいそうだったが、夏休み中のことで、子どもも家にいるし、外は激暑。とりあえず、家にいてテレビを廃棄することを考えるとうんざりするので、視点を変えることにした。
家電量販店へテレビを見に行くのだ。
早速、旦那と子どもとの三人で、家から近いA電気店に行ってみた。
我が家は、近年では冷蔵庫、オーブントースターを買い替えている。しかし、そのときに電気店のテレビ周辺は、あまり意識していなかったと思う。
久しぶりに見たテレビコーナーは、やはり昔とは違う。
当然だが、ブラウン管テレビに似たものは存在しない。そして、映画感覚の大画面が当たり前のようにある。大きすぎて、子どもが吸い込まれそうなくらいだ。
そんな親の心配をよそに、子どもは「でかい。すごい」と巨大画面の前で大はしゃぎだ。慌てて「部屋が狭いから、うちは小さいのを買うよ」とくぎを刺しておいた。
一方旦那は「広い部屋のソファーで寝そべって、あんな大画面で映画を観られたらいいな。ポテチなんか食べながら」と完全にダラダラ生活を夢見ていた。
ともかく、二人を現実に速攻で帰らせ、画面の大きさ、予算の範囲をだいたい決める。
近くに店員さんがやってきたので、話をする。
話すと言っても、テレビを買うのではなく、どちらかというとテレビを廃棄する方の話をしたいのだが。さすがにいきなりそんな話をするわけにはいかない。まずは、こう聞いてみた。
「こういうテレビを買うのって、配送料とかどうなるんでしょうか」
「え? そうですねぇ……大体のお客様は、手でお持ち帰りになるのですが」
「あっ、そ、そうですよね。すみません」
大失敗である。
今のテレビは軽いんだった。
試しに近くにあるテレビの入った箱を持ち上げてみるけど、思った以上に軽かった。我が家にある40キロとは違い、同程度の画面サイズでは梱包してあってもせいぜい8キロ程度だという。本体だけだと、たったの5キロ。
何と八分の一。月に持って行ったって、そんなに軽くはならない。
家庭用テレビは、今やお持ち帰り製品なのか。どうやら、時代はすっかり変わっているようだった。
仕方がないので、何の作戦もなくストレートに聞いた。
「実は、今はブラウン管テレビで、新しく買い替える予定なんです。新しいテレビを買うときに、古いブラウン管テレビを持っていってほしいのですが、その、持っていってもらう費用とか、廃棄料金というのは、どのくらいかかるものなんでしょうか」
店員さんは、大きさや条件などによると言いつつも、うちのテレビの場合だとおよそ8000円になる、と答えてくれた。
はあ、8000円。思ったよりも高い……。
けれど、いろいろ調べてみると、そんなものだということが分かってきた。
ついでに、A電気店は新規に購入の場合に引き取ってくれるという話だったが、こういったブラウン管テレビの廃棄は取り扱っていない電気店も多かった。そのうち、近隣のB電気店が廃棄のみでも取り扱っていることが分かり、問い合わせしてみると6000円程度、とのこと。
インターネットで、新しいテレビについても一通り調べた。旦那が今よりひと回り画面が大きいサイズで、安く売り出されているものを見つけた。
「新しいのは、これにしたらいいんじゃないかな。廃棄は廃棄で別にしても、この値段ならそんなに高くならずに済むよ」
「でも、そうすると新しいテレビは送られてくるんでしょ。そっちの送料は?」
「無料のところだよ。保証書をつけるから、全部の値段はもう少しかかるけど」
というわけで、新しいテレビの方は簡単に買えそうなことが分かった。
やはり問題は、事前にブラウン管テレビを廃棄しなければならないこと。
残念ながら、我が家は小さいので新旧二つのテレビを置いておくスペースは存在しない。とにかく、安く廃棄できるところをもっと探した方が、と思いつつも何日も何日もテレビがないのもなかなか不便だった。
外は猛烈に暑いし……。
結局、耐えられなくなった旦那が、自らB電気店に引取りの電話をしてくれた。
その際に「あの、40キロくらいありますから。ブラウン管テレビで持ちづらいこともありますし、一人で持てるかどうか分からないですので」と付け加えていた。
家は、エレベーターの設置されていないマンションの、上の方の階なのだ。
一人で引き取りに来られて、ブラウン管テレビを持ったまま階段で立ち往生してもらっては大変である。近所の人に見られて「あの家、まだあんなテレビを……」と言われるのも正直恥ずかしいし。
スムーズに持ち帰ってもらうためには、念のため、二人くらいで来てもらえるよう言っておいた方がいいと、私も思っていた。
旦那は、暑い日にもかかわらず、押し入れから厚手の布団を引っ張り出し、居間のテレビ台の上から、もう点かなくなったテレビを落とし込むように乗せた。そのまま玄関までずるりずるりと運んでいった。
「準備完了」
息を切らしながら、旦那は宣言した。三日分くらい体力を消耗したように見えた。
そのあと、私と子どもがこっそり玄関で、ブラウン管テレビをデジカメで記念撮影していたのはよもや知るまい。
実は、この40キロあるブラウン管テレビは、一度だけ人の手を借りずに動いたことがある。忘れもしない、東日本大震災の時のことだ。
当時、私たち家族は、福島県に隣接する県内に住んでいた。海岸から離れていたので津波の被害はなかったものの、震度6強の地震に遭ってしまった。
子どもと二人で家にいたところを、小さな細かい振動がしばらく続いたかと思った途端、激しい揺れに襲われた。揺れはなかなか収まらず、まだ小さかった子どもが泣き叫ぶのでずっと抱きかかえているしかなかった。
そのとき、突然変なゴトゴトという地の底から湧き上がるような異常音が始まり、見てしまった。
このブラウン管テレビが地震の揺れに連動して、動くところを……!
それはまるで踊っているかのようだった。
数年後、子どもは震災のことを全く覚えていなかった。幼児期にトラウマにならなくてよかったと、ほっとした。
だが、私の方は、震災で様々なものが落ちたり音を立てたりする激動と同時に、テレビの踊る姿が目に焼き付いて、未だに忘れられないのである。
そんなテレビが、いよいよ我が家から去る。
「あれっ、おんなじ日になってた」
私の感傷を破ったのは、旦那の素っ頓狂な声だった。
ネットで、新しいテレビの配送と古いテレビの引取りを予約してくれたのはいいが、よくよく考えてみると同じ日に、購入したテレビが我が家に届き、廃棄するテレビが我が家から引き取られることになっていたという。
古いテレビは、すでに玄関にあって動かせない。
「これ、どっちが先になるんだろう。どっちも日曜日の午後になってる」
「ええっ、もしかして、玄関にブラウン管テレビがあるうちに、新しいテレビが届いちゃったりするの?」
「うん、二分の一の確率で」
「うーん。まあ、いいけど」
まあいいけど、と答えたものの、配送業者の人の心理を考えてしまう。この家、ブラウン管テレビ、今まで使っていたのか、と。
まあいいんだけど、やっぱり二分の一の確率で、新しいテレビが後の方がいいなと思った。
日曜日当日。
それまでの二日あまり、外出時に玄関に来るたびに「えっ、またこれ乗り越えるの」「うわっ、通りづらい」「もうっ、靴がなかなか履けない」と叫んで出入りしていたが、それもやっと終わりだ。
午前中に買い物などしておいて、業者さんがやってくるのに備える。
一体どっちが先なんだ。
ピンポーン。
来た。
「B電気です」
「やった、引取りの方だ」
責任を感じていたのか、旦那が真っ先に玄関に出てくれた。こちらは、子どもと見守るしかない。しばらくやり取りがあってから、急に人の声が途絶えた。
玄関を見ると、もうブラウン管テレビはなかった。
「もう持って行ったんだ」
思わず言うと。
「それがさ、二人で来たんだけど、一人の人が書類を書いているうちに、もう一人の人が持って行っちゃったんだよね。一人で」
「え、そうなんだ。一人で……」
もっと大変な感じを想像していた。
旦那の話では、それなりの体格の人だったらしいが、すっと持って行っちゃったそうだ。にわかには、信じられなかった。何だかあっけない幕切れだ。
何にしても廃棄は、終わったのだ。
夕方になって、無事に新しいテレビが届いた。
電気店で同じ型の物を見ていても、やはり我が家に来るとイメージが少々違う。ダンボール箱から取り出して設置してみると、前のテレビと比べてしまい、しばらくは違和感が拭えなかった。
何しろ厚みが妙に、ペラペラだ。画面を見るためのものなのに、何度も何度も後ろを確認して、厚さを測ったりする始末だ。
ブラウン管テレビと一番別物だと思うのは、この薄さにあるが、随分と意味のない行動であった。
その他、パソコンっぽい、だの、部屋の空間に明らかに黒い部分が増えだだの(別にブラックホールじゃないんだからいいんだろうけど)、最初のうちは文句をつけていた。が、それも夏の暑さが少しずつ緩和すると同時に慣れていった。
しかしながら、古いテレビの廃棄に6000円もかかってしまったという事実は、理不尽だとか悔しいとかいう感情も相まって、なかなか忘れることができないのだった。
今では、新しいテレビはすっかり我が家のものとなった。
このテレビが何年我が家の居間に鎮座するのか、それは全く分からない。十年、いや二十年経ってもあるのかもしれない。でも、もしも次に買い替えるときがやってきたら。
「すべてリサイクルできます。すべて無料で持っていきます」
そうなっていることを、私は心から願っている。