9. 王の渡り
「ご無沙汰しております。サーリアさまには快適にお過ごしいただいておりまして?」
ある日、笑顔でやってきたのは侍女頭のベスタだった。
ベスタは椅子に腰掛けるサーリアの傍に近寄ると、少し声をひそめて話し始めた。
「申し訳ありません、少々、確認したいことがございまして」
「確認?」
「私は王付きの侍女が本職でありますから、恥ずかしながら、城のすべての侍女になかなか目が行き届きません。侍女たちになにか不都合がありましたら、主人であるサーリアさまからお叱りいただいてもよろしいのですよ?」
「いえ……。彼女たちにはずっと良くしていただいています」
たとえどう思われていようとも、侍女たちが完璧に仕事をこなしていることは事実だ。
「でしたらよろしいのですが。私、少し気になって」
「気になる?」
「不躾ながら申し上げます。侍女たちにはサーリアさまの身の回りの世話をさせておりますが、同時に、逐一の報告もさせておりますの」
「……そうですか」
「お気を悪くなさらないでくださいませ。すべては快適にお過ごしいただくための配慮です」
「ええ……」
わかってはいるものの、あまり気分のいい話ではない。
しかしベスタは続けた。
「その中で……笑顔を見ることがない、と」
それは以前、侍女たちが噂し合っていたことと合致した。そしてサーリア自身、自覚していることだった。
「もちろん、サーリアさまが大きな哀しみを抱えていらっしゃることは存じ上げております。けれどもあまりに頑なと聞き及びましたので、行き届かない点でもあるかと心配しましたの」
大きな哀しみ。故郷を失ったこと、そして父を失ったこと。
本当に知っているのだろうか、と思う。
今、思い出しても寒気がする。転がる首の見開かれた目。その死を喜ぶ人間たち。城中に飛び散った、エルフィの兵たちの真っ赤な血。
泣き叫ばなかった分、その光景はサーリアの脳裏に焼きついた。
侍女たちが悪いのではない。彼女たちは軍人じゃない。けれど、どうして彼女たちに対して微笑むことができるだろう?
「……侍女たちには本当に良くしていただいております」
サーリアはそれだけを口にする。
ベスタもそれ以上は問い詰めてこなかった。
「それはさておき」
そう話を打ち切って、彼女は控えていた侍女を呼んだ。侍女が二人の傍にやってくると、ベスタは密やかに告げる。
「今夜、国王陛下が渡られます。お前たちも粗相のないよう」
「かしこまりました」
侍女たちが一礼して去っていく。その姿を見送ると、ベスタはサーリアのほうに向き直り口元に笑みを浮かべた。
「いろいろと立て込んでおりまして、遅くなりましたけれど」
一生来なくても構わないのに。そう、思った。
◇
「これは姫、本日もお美しく」
部屋に入るなり、そんな軽口を叩かれた。
サーリアはレーヴィスの姿が見えると、これみよがしにため息をついてみせる。
その態度に、侍女たちの間に一瞬、緊張したような空気が流れた。
しかし当の本人は気にもしていないようだ。芝居がかった口調で言葉を紡ぐ。
「久々の逢瀬というのに姫はなにかに憂いているご様子。その憂いは私には消せないものだろうか?」
「さあ。どうでしょうか」
私に消せるか、と訊かれても。当人に憂いを消すことなど不可能だろう。
一人の侍女がサーリアの傍に寄り、耳元で囁いた。
「サーリアさま、陛下を寝所にご案内差し上げてくださいな。私どもは寝所の外に控えておりますから、なにかありましたらお呼びくださいませ」
その言葉にますます憂鬱になった。
しかし、これは契約の一環。逃げるわけにはいかない。国民が安寧に暮らせるために必要な儀式なのだ。
渋々ながら立ち上がり、能天気に微笑んでいる男を寝所に招き入れる。
侍女たちは言葉通り、寝所の外に控えているようだった。
中に入って扉を閉めると、サーリアはその場に立ちつくす。これから、どうすればいいのだろう?
レーヴィスは、といえば、悠然と部屋の中を横切りベッドの端に座る。
「そんなところに立っていないで」
言いながら、自分のすぐ横をぽんぽんと叩いた。
「……ええ」
けれど実際のところ、身体が動かなかった。気恥ずかしさもあった。
これから行われる行為が具体的にどういうものなのかわからなかったし、すぐそこで侍女が控えている状態で、公然と行われるということが理解を超えていた。
しばらく固まっているサーリアを見て、レーヴィスは苦笑しながら立ち上がる。
「仕方ないな」
「え?」
言うが早いか、レーヴィスはサーリアの傍まで歩み寄ると、彼女の身体を横抱きに抱き上げた。
「ちょっ……!」
「待った、はなしだ」
短く告げると、サーリアを抱き上げたままベッドまで歩き、彼女を放り投げるように横たわらせる。
サーリアが慌てて起き上がろうとするのを、強引に身体でねじ伏せてきた。
「力づくで女性を抱くのは趣味ではないが」
「だったら放しなさい!」
意外にも、サーリアの言葉に彼は素直に従った。
そして元いた通りベッドの端に腰掛けると、くつくつと喉の奥で笑う。
「あまり世話を焼かせないで欲しいな」
「世話、って」
そんなことを言われても。アダルベラスの女性たちは、はいどうぞ、と身を投げ出すものなのだろうか。それとも相手が国王だから、それが当然なのだろうか。
なんにしろ、彼女にはすべてが初めての経験なのだ。どうしていいかわからないのなんて、当たり前に決まっている。
「よし、わかった」
「え?」
なにが、と問う間もなく、半身を起こすサーリアの横に彼は横たわった。そして片肘をついて、彼女のほうに視線を寄越す。
「少し、話をしよう」
「話?」
「ま、意にそぐわぬことだろうし。私もできれば、少し緊張を解いていただきたい」
「……わかりました」
緊張している、と指摘され、頬が染まるのが自分でわかった。
それすらレーヴィスは楽しんでいるかのように見えた。