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8. 後宮

 パメラが王城に勤めるようになって一年が過ぎた。

 この一年、毎日の仕事をこなすことで精一杯だったが、それでも日々おぼつかないながらも励んでいたと思う。


 最初に配属されたのは、後宮の王妃の宮。王妃の侍女として働いた。

 しかし新参者のパメラには、王妃の側に行く許可が出なかった。だから責任ある仕事を回されることはなくて、言われるがまま掃除ばかりしていたような気がする。

 先輩侍女たちからは、そうして少しずつ認められて上に上がったのだと諭されたから、腐らずにやっていた。


 なのに、突然の配置転換を命じられた。王妃からの要望らしい。

 どうして。がんばっていたのに。そもそも王妃の傍に近寄ってもいないのに。


「虫の居所が悪かったのよ」


 と先輩侍女が慰めてくれた。

 そんな馬鹿な、とは思うが、後宮の主は王妃で、その決定は絶対だ。だから異論を口にすることなく、王妃の宮を辞すしかできない。


 異動になった先は、今度は側室の宮だった。側室になるというその女性はまだ宮にいなくて、やっぱりそこでも毎日掃除をするばかりだった。


 けれど腐ってはいけない。懸命にお世話しなければ。国王陛下の御為に、がんばらなければ。

 パメラにとって主人とは、妃たちではなく、国王だった。


 王妃の宮にいた頃、廊下を一生懸命磨いていたら声を掛けられたことがある。

 そのときパメラは下を向いたままだったから、国王がそこにいたことに気付いていなかった。


「パメラ、そこをお退きなさい」


 ふいに侍女頭の声がして驚き顔を上げると、侍女頭を侍らせて、そこに国王が立っていた。

 慌ててぱっと飛び退いて、焦りながら「申し訳ありません!」と腰を折る。


 国王の行く道を塞ぐなんて。なんという失態だ、と冷や汗がどっと出てきた。

 しかし、国王は朗らかな声を出す。


「集中していたから気付かなかったのだろう? ならばいい。これからも精進するがいい」


 そう慰めの言葉を掛けてくると、にっこりとパメラに向かって笑みを浮かべた。

 国王陛下直々に! 私などに!

 思わず、ぽーっとその御顔に見惚れてしまって、ただその背中を見送るしかできなかった。


 これはがんばらなければと今まで以上に精を出していたのに、その数日後、王妃の宮を辞すことが決まったのだ。

 がっくりと肩を落とすパメラに、侍女頭のベスタは困り顔で言い聞かせてくる。


「場所が変わるだけですよ。むしろこちらでの努力が認められたと思いなさい。そちらでの働きを期待しています」


 でも、正室の侍女から側室の侍女に、ということは降格ではないだろうか。自分では気付かなかっただけで、なにか粗相をしたのではないのだろうか。

 それともやはり、国王陛下はああ仰ってくださったけれど、あれがまずかったのだろうか。


「あ、あの、先日、陛下の道を塞いだ……そのことでしょうか」


 王妃からの配置転換の要望とはいうが、実際は国王からの苦情を受けたものではないのか。

 侍女頭にそう確認すると、彼女は眉尻を下げた。


「そのこと自体は問題ではありません。よくがんばっているとお褒めの言葉もありました」

「では、どうしてでしょうか。私、王妃殿下になにかしてしまったのでしょうか」


 そう侍女頭に訊いても、あなたが悪いのではない、と繰り返すだけだ。

 だからパメラもそういうものなのだと納得することにした。誰も教えてくれないのなら、考えていても仕方ない。新しくやってくる側室に懸命に仕えるしかない。


 そしてある日、側室となる女性が入宮することが決まったと伝えられた。

 今度は気に入られるようにがんばろう、などと思いながら、彼女が入ってくるのを待った。


 初めてその女性を見たときの衝撃は、言葉には言い表せない。

 輝く銀の髪が、彼女が歩くたびに揺れた。深い海の色の瞳は、見る者すべてを魅了するのではないかと思った。

 こんなにも美しい人間が存在するのか、と愕然とする。

 もしかしたら天使というものは、こんな姿をしているのかもしれない、と思った。


   ◇


 サーリアの胸についた傷はおそらく一生消えることはないが、時が過ぎるにつれ、痛みとともに記憶が薄れていく。

 忘れてはならないことがたくさんあるのに、辛い記憶は少しずつ形を変え、彼女の心を癒そうとしているかのようだった。


 彼女は王の側室として後宮に部屋を与えられた。そこでなにをするでもなく、日を過ごす。

 部屋の外に出るのは後宮の庭を散歩するときくらいだ。だがどんな短い時間でも、必ず侍女が一人はついてくる。一人になれる時間などない。

 しかも足を踏み入れられる場所は限られている。対極の位置にある正室の宮のほうには決して近付かないように、と言い含められた。


 完璧に教育された侍女たちが、彼女のすべてを管理していた。やろうと思えば指一本動かすことなく生きていけるだろう。

 なんのために生きているのかしら、とため息が漏れる。


 ある日、散歩をしていて自室の裏手に回ったときのことだった。そのときは、パメラという侍女がついていた。

 ふと、自室の窓から侍女たちの声が聞こえて、足を止める。


「サーリアさまが陛下に失礼な態度をとっていらしたから、愛想を尽かされたのでは?」


 レーヴィスは、あれから姿を見せない。王の側室としてここに存在しているはずなのに、王の渡りがない。

 侍女たちは、そのことを心配しているようだった。


「私、サーリアさまが貴賓室にいらっしゃるときからお世話しているのだけれど、それはもう酷い態度で。睨みつけたり、ため息をついたり」

「まあ!」

「それではお渡りがなくても仕方ないわねえ」


 なにをどうすればそういう考えに及ぶのかは知らないが、とにかく仕えた主人が寵愛を受ければ、彼女たちの身にもなるのだろう。このままでは城の奥で埋もれていくだけ。彼女たちの人生も掛かっているのだ。


 ここは、平和だ。王の寵愛を受けるとか受けないとか、そんなことが人生を支配する。


「サーリアさまの笑顔を見たことがあって?」

「お美しくていらっしゃるのは認めますけれど、あれでは完璧な彫像のようですわ」

「側室とはいえアダルベラス王にご加護をいただいたのに、なにがご不満なのかしら」

「エルフィなど、アダルベラスに比べれば村も同然。そんな弱小国の王女でいるよりも、今のお立場のほうがよほどいいでしょうに」


 サーリアの心を理解しろ、というのが無理な話なのだと、そのとき彼女は思い知った。

 振り返ると、パメラがあたふたとうろたえている様子だ。


「あ、あの……」


 サーリアはため息をつくと、その場を離れるためにゆっくりと歩き出した。パメラも慌てて付いてくる。

 部屋の窓からずいぶん離れてから、パメラはおずおずと背後から話し掛けてきた。


「サーリアさま、あの」

「私はなにも聞いていないわ。あなたも聞いていない。それでいいわね?」

「あ、はい……」


 弁明は諦めたのか、パメラはただサーリアのあとをついてくるだけだった。

 しかししばらくしてからまた、こちらに呼び掛けてくる。


「でも、あの、サーリアさま」

「なに?」

「陛下は……素敵な人ですよ……?」


 その言葉に足を止める。パメラも足を止めた。

 振り返ると、彼女はびくりと身体を震わせた。


 この子も思っているのだ、渡りがないのはサーリアの態度が悪いせいだと。そしてそれを諫めようとしている。サーリアさえ態度を改めれば、侍女たちの妃への扱いもまた変わるだろうとでも思っているのかもしれない。

 ご立派なことだ。


「あなたには素敵な人に見えるのね。私にはとてもそうは見えないけれど」


 そう吐き棄てると、パメラは身を縮こまらせて頭を下げた。


「出過ぎたことを申しました、申し訳ありません」

「本当に、ここは平和だわ」


 その返事に、パメラは首を傾げた。

 サーリアが略奪されたということを、まさか知らないなどということはないだろう。少なくとも敗戦国の王女だった、ということは知っている。

 それでも侍女たちから出てくる感想は、あれなのだ。

 敗戦国の人間の気持ちなど、彼女らには想像もつかないのだろう。


「女はいつだっていくさの蚊帳の外ね」

「え?」


 レーヴィスや、将軍であるゲイツのほうが、まだわかってくれる気がする。彼らは血の匂いを知っている。その匂いに付随する、憎しみや悲しみを知っている。


 迂闊にもそんな話を聞かれたのだとは知らない侍女たちは、今日もサーリアに尽くしてくれる。侍女たちは悪くないのだろう。彼女たちは生粋のアダルベラス国民だ。

 彼女らが敬うのは、アダルベラス王、唯一人。


 彼女たちの仕事に対して、ありがとうと笑顔で返せたらいい。

 でも今のサーリアには、凍り付いた表情を変えることはできなかった。

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