7. 契約
その様子を眺めていたレーヴィスが苦笑する。
「そう警戒するな。私は無慈悲な人間ではないぞ」
警戒しないわけがない。この男は自身が国王としてなにをしたのか、忘れてしまったのだろうか。
サーリアは返事の代わりにレーヴィスを睨みつける。彼はさして気にする様子もなく、冷笑を浮かべた。
「姫はどうやら不機嫌なご様子。さて、姫のご機嫌をとるにはどうしたらいいものか」
「用があるなら早く仰いなさい」
そう返して目を逸らす。同じ空気を吸っていると思うだけで気分が悪くなりそうだ。
レーヴィスは苦笑しながら傍にあった椅子を引き寄せ、背もたれを前にして座った。その背もたれに肘をついて、興味深げに彼女を見る。
「姫には読心術の心得がおありで? さすがは『神に愛でられし乙女』であることよ」
「……その、馬鹿にするような物言いをお止めなさい」
しかしレーヴィスは小さく息を吐いてから、一転、低く威圧的な声を出してくる。
「先日忠告したことを、ご理解いただけていないようだ」
「……なに」
「口の利き方には気を付けろと警告しただろう」
そして、刺すような視線を向けてきた。
「エルフィのすべてが私の手の中にあることを、よもやお忘れで?」
「戯言は……よろしいですわ」
そんな事実を聞きたいわけではないのだ。
サーリアの心の内を見透かしたかどうか。レーヴィスは鼻で笑うと、話を切り出した。
「これは、これからの処遇の話だが」
「私の?」
「もちろん。簡潔に言う。残念ながら、私にはもう妃がいる」
「それが?」
「だからそなたには私の側室となっていただく」
「え……」
あまりのことに、開いた口が塞がらなかった。
「私があなたの……側室?」
「そう」
「嫌です」
震える声でそう拒否した。産まれたときから彼女の将来は決まっていたはずだった。父の跡を継ぎ、女王として国を統治する。それがサーリアの未来だった。
それが、どうして。しかも、正室というならまだしも、側室。この男の。
考えるだけで鳥肌がたちそうだった。
「嫌、と言われてもな。これは命令だ。それに聡明なサーリア殿にはもうおわかりいただけたと思うが……」
「……エルフィ国民が人質」
「そういうことだ」
呆れたような口調でそう返してくる。
「アダルベラス王が民を盾にするような卑劣な男であったとは、存じ上げませんでした」
精一杯の皮肉を口にしたつもりだったが、当然、彼は動じた様子はない。
「姫が最初からご自分の立場を理解してくださっていたなら、私もわざわざこんなことを言う必要もなかったのだが」
つまらなそうに頬杖をつく。
「あなたに心のない側室をもらって、あなたはそれでも満足ですか」
「残念だが、そういうことになる。私に必要なのは、私を愛してくれる女性よりも、『神に愛でられし乙女』だ」
レーヴィスはきっぱりとそう断言した。
ああ、本当に。本当にこの国は、『神に愛でられし乙女』と噂の王女を手にするために戦を起こしたのだ。
サーリアはきつく瞳を閉じた。
耐えられるだろうか。これから訪れるであろう、屈辱の日々に。そして死の甘やかな誘いを断り続けることに。私は自らを殺さずにいられるだろうか?
そんなことを逡巡して黙り込んでいると、小さく息を吐くのが聞こえた。
「死にたかったか?」
「え?」
ふいに掛けられた問いに、顔を上げる。
「あのとき、そのまま死ねたらよかったと思っているのか? そんな顔だ」
そう言って、こちらをじっと見つめている。まるで心の内を覗き込まれているような気がして、思わず目を逸らした。
構わずレーヴィスは続ける。
「そなたの不幸は、王女であったことだ」
「どういう意味です?」
「死にたがりは戦場の最前線に出すに限る。きっといい働きができただろうに。王女ではそれも叶わない」
どこか呆れたような口調だった。
「その死にたがりに、あなたはなにをして欲しいのですか」
「王子を産んで欲しい」
さらりと告げる、その返事に絶句する。
いや、当たり前か。側室に望まれるということは、そういうことだ。どこか現実感が湧いていなかったことが、にわかに形を見せた気がした。
「どうしても死にたいというのなら、そのあとだ。それまでに死なれたら、私は無駄骨を折ったことになる」
その言葉に深刻な響きはまったくなく、本当にそう考えているのがわかった。
王子を産みさえすれば、そのあとは生きようが死のうが自由にしていいと。
サーリアの人生の中で、こんな人間に初めて出会った。
「ひとつだけ」
「ん?」
「ひとつだけお願いが」
「……一応、聞いておこう」
訝しげに眉根を寄せ、レーヴィスが答える。
サーリアは一度大きく息を吸って、呼吸を整え、口を開いた。
「私が本当に死にたいと願ったときには、殺していただける?」
その願いにレーヴィスは一瞬目を見開き、そして眉をひそめて訊いてきた。
「なんだと?」
「もし私が心から死を願うことがあったら、あなたの手で必ず殺していただける? それだけを守ってくれたなら、私はあなたの側室として生きていきます」
まっすぐに男を見つめて、サーリアはそう告げる。
レーヴィスはその瞳を見て、小さく首を何度も横に振った。
「気が知れないな」
「自分では死ねないかもしれないから」
自分自身に刃を向けたあのとき、サーリアはきっと躊躇したのだ。だから死ねなかった。
死を望んだふりをして、本当は生きたいと切実に願ったのではないか。あれだけの死を目の当たりにしながら、それでも自分だけは助かりたいと思ってしまったのではないか。
自分の存在が原因だというのに。それはなんて傲慢な考えだろう。
レーヴィスは椅子の背もたれに顔を伏せて、ため息交じりにぼそりと零す。
「エルフィ王にはご同情申し上げたい。自分の命を軽んじるこんな人間が王女だったとは」
「生きていくために逃げ道が欲しいのです。エルフィの民のため、必ず私が王子を産みましょう。それはお約束します」
それしかできないというのなら、それだけは果たす。どんな屈辱を受けようと、それで民が救われるなら、サーリアの行く道はひとつだ。
だが耐えるために期限が欲しかった。どうしても。
「わかった」
了承の言葉を口にして、レーヴィスが立ち上がる。そして歩み寄ると、サーリアの細い手をとった。
「これは、契約だ。そなたが王子を産む代わり、心より死を願うことがあれば、私がこの手で一思いに殺してやる。それで、いいな?」
その誓いに、サーリアは安堵の息を吐きながら、首を前に倒した。