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月の微笑 ~略奪された王女と独善の王~  作者: 新道 梨果子


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53. 母性

 そのあと、ふらふらと王室を出て、後宮に向かう。

 途中、幾人かの人間とすれ違ったが、誰もサーリアのほうに目を向けはしなかった。誰にもそんな余裕はないように見えた。


 後宮に入る前、以前ゲイツと話をした中庭の長椅子が目に入り、それにのろのろと腰掛ける。

 空に目を向けると、曇り空ではあった。だがきっと雨は降らないのだろう。


 もうどこにも行きたくない。このまま朽ちてしまいたい。

 そう思いながら、傍にある大木に視線を移す。鳥たちが巣から顔を覗かせて、こちらを見ていた。

 サーリアはいつものように手を伸ばす。だが、鳥はやってこなかった。


「どうしたの?」


 もう一度、手を伸ばしてみるが、鳥たちは彼女を眺めているだけだ。

 ため息をついて、伸ばした手を引いて自分の膝の上に置く。


 神はもう、私を赦してはくださらないかもしれない。そう思う。身勝手な願いが、胸から離れないのだ。

 どこからか、ばたばたと急いでいるような複数名の足音が聞こえてくる。かなりの人数が戦場に向かうのだろう。そしてそのうち、どれくらいの人が、ここに戻ってくるのだろう。

 あの人は、帰って来られるのだろうか?


 オルラーフ軍に加担したエルフィ国民。アダルベラスの勝利は彼らの死を意味する。

 なのに。あの人の無事を願う自分がいる。それは叶ってはいけない願いだ。いつの間に、そこまで愚かしい女になってしまったのか。


 ではもしアダルベラスが敗戦したら、エルフィはどうなるのだろう。

 元のように平和な国に戻る?

 いや。支配者がアダルベラスからオルラーフに代わるだけだ。また地図が変わるだけ。


 そうしたらサーリアはどうなるのだろう。今度こそ、殺されるのだろうか。

 それならそれでも構わないが、また人質としてオルラーフで生きていくことになるのではないか。


 その場合、このお腹の子はどうなるのだろう。

 アダルベラス王の血を引く子。もし男子なら、アダルベラス復興の旗印として担ぎ上げられる可能性のある子。

 ならばオルラーフから見て、これほど邪魔な存在はない。

 生まれる前に流されるのかもしれない。それとも、生まれた瞬間に、その命を散らされるのかもしれない。


 嫌だ。


 サーリアは慌てて自分のお腹に手をやった。

 抱えるように両手でお腹を包んで、身体を前に倒す。

 それだけは、嫌だ。守らなければならない。この子を守れるのは私だけだ。

 私は、母親だ。


 ぱたぱたと目から涙が零れて、サーリアの膝の上に落ちていく。


 ごめんなさい、ごめんなさい。今まで不安だったでしょう。母親がこんなに情けなくて。まったく守ってくれなくて。なにか理由を見つけては逃げるばかりで。

 よくぞここまで無事でいてくれました。とても強い子なのね、ありがとう。


 そのとき初めて、サーリアの中にある母性というものが目覚めたのかもしれなかった。


 急速に、今まで自分が望んできたものの愚かさを、本当の意味で、知る。


『自分の娘が死んでも構わないというセレスと、お腹の中の子と一緒に死のうとするそなたとの違いはなんだ?』


 違わない。同じだ。サーリアには、セレスを責める権利はなかった。

 サーリアも、自分の子どもを殺そうとしたのだ。


『それまでは少しは生きる努力をしてみたらどうだ』


 セレスに殺されそうになったとき、自分はただ立ち尽くしていただけではなかったか。

 侍女たちに守られることを当然のように受け入れていたのではなかったか。

 まずその前に、この子のためにも、自分で助かろうとするべきではなかったか。


『使わなかったのだな』


 本当に、ここから逃げたいと思うのなら。彼が無防備に眠っていたとき、剣を突き立てればよかったのではないのか。

 自分の手だけは汚したくないというのは、卑怯な考え方ではないのか。


『まだアダルベラスを内側から崩そうという気概を見せていただいたほうがよかったかな』


 最初から無理だと決めつけて、なにもしなかった。

 将軍に忠誠を誓わせることだってできたではないか。その力はあるはずなのだ。

 ならばサーリアは、なにか行動を起こすべきではなかったか。


『緘口令でも敷かれたか? エルフィ王はなにも言わなかったのか?』


 エルフィにいた頃、もっと積極的にまつりごとに関わっていれば、親書を見逃すことはなかったのではないのか。

 次期女王であったのに、敬われ、傅かれ、それだけで、なにもしてはいなかった。


『これが本当に『神に愛でられし乙女』のやることなのか?』


 ではサーリアのやるべきことは、いったいなんなのか。

 なにもできはしない、とずっと思っていた。

 彼女はその言葉をもう一度心の中で反芻してみる。

 違う。なにもできないのではない。


「私は……結局、なにもしていない」


 なにか行動を起こしているようで、でも実のところ、なにもしていない。

 いつも逃げて、そして待っているだけ。なにかを、待っているだけ。

 誰もが弱くて愚かだった。そしてそれはサーリアも例外ではない。


『死にたがりは戦場の最前線に出すに限る』


 レーヴィスがそう言った。


 神は、私になにかせよと告げているのではなくて?

 私にはしなければならないことがあるのではなくて?

 サーリアはすく、と立ち上がる。そして涙を手の甲で、ぐいっと拭った。

 だから、生き残っているのではなくて?

 そう、思った。


 そのとき、巣から白い鳥が飛び立った。

 ひらりと白い羽根が一枚、サーリアのほうに舞ってくる。それを手を差し出して受け取ると、そっと握り締める。


 私には、三人の天使のご加護がある。私は神に愛でられている。

 いや、そうでないとしても。必ず手繰り寄せてみせよう。私にはできると、信じてみよう。

 そう自分に言い聞かせながら、彼女は前に歩き出した。

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