表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の微笑 ~略奪された王女と独善の王~  作者: 新道 梨果子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/62

52. 出陣

 王室に入ると、レーヴィスは悠然と机の向こうの椅子に腰掛けていた。

 そして彼も将軍と同じように、甲冑を着込んでいる。


「やれやれ、通すなと……避難させよとあれほど言ったのに、誰も役に立たないな」


 彼はどこか愉快そうにそう発した。


「私を笑いに来たか。女一人懐柔させることもできぬ王と」

「……いいえ」

「ならば、なんだ? エルフィにそなたを帰さなかったことでも非難しに来たか?」

「いいえ」


 サーリアは首をブンブンと横に振る。なぜだか無性に泣きたくなった。


「ああ、そうか。エルフィに侵攻したときからの、すべてが許せるはずがないものな。それは申し訳ないと思っている。私に王の器がなかっただけという話だ」


 彼は皮肉げに口の端を上げ、自分自身を鼻で笑う。


「甘かった。私は本当に甘かったよ。ここまで自分の甘さを呪ったことはない」


 彼は肘を机の上に乗せ、両手で顔を覆った。


「セレスもその侍女たちも、全員、暗殺しておくべきだった。その道があることは知っていたのに。甘すぎたその結果が、これだ。たった四人を殺すことをためらったがために、いったい何人死ぬことになるのか」


 そして大きく息を吐く。

 必死で自分を落ち着かせようとしているが、それが上手くいっていないように、サーリアには見えた。

 レーヴィスはぱっと顔を上げると、机上に拳をドンと叩きつける。テーブルの上に置いてあったペン立てがその衝撃で揺れて倒れた。


「おかげで、私一人の首で済む話ではなくなった!」


 彼の身体が震えている。それは、恐怖からのものではないのがわかった。

 怒っている。自分自身に。

 サーリアは対して、静かな声音で告げた。


「あなたの甘さは、それだけではありません」


 レーヴィスはゆっくりとサーリアのほうに顔を向けてくる。


「……なんだ」

「私を殺しておかなかったこと」


 その言葉に虚を突かれたのか何度か目を瞬かせたあと、彼は呆れたように首を小さく横に振った。

 サーリアは構わず続ける。


「今からでも遅くはありません」

「そなた……なにをしにきた」

「私は、あなたに契約を果たしてもらいに」

「契約……?」


 レーヴィスは訝しげに眉根を寄せる。そして思い至ると、両の手のひらを上に向けた。


「残念ながら、そなたが契約を果たしていない。世継ぎを産むことが条件だっただろう」

「でも、あなたしかいなくて」


 最後まで、言わなくてはならない。泣き出しそうな自分を心の中で叱咤しながら、彼女は続けた。


「もう、わかったでしょう。私を愛しているのは神ではありません。私はいないほうがいい。お世継ぎは……他の方に。どうぞあなたの手ですべてを終わらせて」


 サーリアの願いを聞き終えると、レーヴィスはゆっくりと立ち上がり、彼女に歩み寄った。

 そして前に立つと、じっと目を見つめてくる。


「……今、死を願うと?」

「ええ」


 サーリアは彼の瞳に魅入った。その瞳の中に自分自身が映されているのが見える。

 自分自身の身体が震えるのを感じた。それは決して死への恐怖からくるものではない。

 もしやこれは歓喜に打ち震えているのだろうか?

 自分自身でも理解できない感情が身体の奥底から湧いてくる。そのことに彼女自身が驚愕した。


 殺されるなら、あなたの手で。その、剣で。一度失うはずだった命をもう一度あなたに委ねたい。

 ああ、それはなんと甘美な誘惑であることか。


 彼はサーリアの想いを知ってか知らずか、銀の髪を愛しそうに撫でた。何度も何度も、優しく、労わるように。

 そしてふと、一瞬だけ自分の唇を彼女の唇に触れさせた。それは今までのような、すべてを奪うような口づけではなかった。

 サーリアは目を瞬かせ、彼を見つめる。彼は柔らかく微笑んでいた。


「残念だが……それはできない」

「まだ、お世継ぎを産んでいないから?」

「いや、もしもう産んでいたとしても、それだけはできない」

「なぜ?」

「愚問だな」


 そう返して小さく笑う。

 サーリアは両腕を伸ばして、レーヴィスの頬を両手で包み込んだ。

 彼は少し驚いたように、こちらを見つめ返してくる。

 サーリアは背を伸ばし、手に力を込めて、顔を近付ける。そして彼の唇に自分の唇を触れさせた。

 するとレーヴィスが腰を抱いてきたから、サーリアも首に腕を回して、お互いにむさぼるように唇を合わせた。

 唇が離れたとき、レーヴィスは不思議そうに訊いてきた。


「……なにも持っていないのか」


 その質問の意味がわからなくて、首を傾げる。


「いや、わからないのなら、いい」


 苦笑しながらそう話を打ち切ると、ゆっくりと身体を離す。

 今まで確かに腕の中にあった温もりがなくなって、急に心もとない気持ちになる。

 ふと彼が、思いついたように口を開いた。


「私からもひとつお願いがあるのだが」

「……なんでしょう?」


 サーリアは彼の言葉をただ待った。

 彼は笑う。こんな場面に似合わない笑顔だ。


「そなたの微笑みが見たい」

「え?」

「今、ここで」

「今?」

「そう」


 戸惑う彼女の肩に彼はそっと手を置く。


「見るすべての者を幸せにするというその笑顔が見たいと、最期にそれくらいを願っても罰は当たらないと思うが」

「……最期」


 その言葉を口の中で小さく呟く。


「もし、我が国が敗れ去るようなことがあれば、私の首はここへは帰ってこないから」


 彼はまるで他人ごとのようにそう言ってのける。

 おぞましい想像がサーリアを襲った。そうだ、彼女の亡き父と同じ。敗戦国の王の末路。

 そう、父も願った。微笑んでくれないか、と。

 彼女はその想像を打ち消すように、二、三度首を横に振る。


「……ずいぶんと弱気なことを仰いますのね」

「そうか? ……いや、そうかもしれない」


 でも、と彼は続けた。


「我が国の敗北はエルフィにとって願ってもないことだろう?」


 サーリアはその指摘に弾かれたように顔を上げる。彼は片方の口の端を持ち上げた。


「もちろん、負けてやる気はさらさらないが。全国民の一生が掛かっている」


 なんと返事していいのか、わからなかった。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。もうなにもかもがわからなくなってきてしまった。


「私の、最後になるかもしれない願いを聞いてはもらえないか」

「……こんなときに……」


 笑えるはずがない。

 サーリアは目を伏せる。もう限界だと思った。やはり殺してもらわなければ。


「無理か」


 彼は短くそう零すと、彼女から離れて扉に向かって歩き出した。


「どこへ?」


 サーリアが慌ててその背中に声を掛けると、レーヴィスは首だけ振り返って口を開く。


「どこへ、とはこれは異なことを……大きな戦になる。出陣するに決まっているだろう。そなたの微笑みを見ることができなかったのは心残りだが」


 そう語ると、背を向けて片手を上げ、今度こそ部屋を出て行った。

 部屋の外で出兵の準備をしていたのであろう、将軍や衛兵の声が聞こえ、そして遠ざかっていく。


 一人部屋に取り残され、サーリアはその場にへたりと座り込んでしまう。

 そのとき、胸の傷跡がずきずきと痛むのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ