42. 再び後宮へ
なんとか謁見を許され、王宮へ足を踏み入れる。そのまま衛兵に促され、王室に通された。
「どうした」
レーヴィスが執務机の向こうの椅子に腰掛けて待っていた。
背もたれに深く背中を預けていて、少々疲れている様子が見て取れる。
「重臣会議のほうはどうなりましたか」
「いや、まだだ。堂々巡りでな、いい機会だから小休止だ」
「お父さま!」
弾かれたように、ヴィスティがサーリアの手を離れてレーヴィスに駆け寄る。
「……ヴィスティ」
「嘘よね? お母さまが、そんな酷いこと……」
そう問うて、父にすがるような視線を向けた。
けれども彼はただ、哀れむように、娘を見つめるだけ。
「お父さま……なんとか言ってよ、ねえ……」
ヴィスティの懇願になにも応えられないのだろう、レーヴィスはただ、愛しい娘の頭を撫でるだけだ。
「いいわ」
ヴィスティはごくりと唾を飲み込むと口を開いた。
「お母さまに直接訊くから」
「ヴィスティ!」
「殿下!」
レーヴィスとサーリアが、彼女の決意に同時に叫んだ。
「どうして訊いてはいけないの? 本当にお母さまは私も死んでもいいと思っていたの? 私に月の君を殺して欲しかったの?」
矢継ぎ早に言い募りながら、ヴィスティはその大きな瞳から涙をぽろぽろと零していた。
幼いながらにすべてを理解して、そしてそれを誰かに否定して欲しかったのだとわかる。
レーヴィスは深くため息をついたあと、そっと彼女に話し掛けた。
「わかった。では、一緒にセレスのところへ行こう」
「えっ」
サーリアは驚いて声を上げる。
レーヴィスはヴィスティを見つめたまま、手のひらをこちらに向けてサーリアを制した。
「けれどヴィスティ。そのことはセレスに訊いてはいけない。疑われたのではセレスもいい気分はしないだろう?」
そう優しい声音で語り掛けられたヴィスティは涙を手の甲で拭き、そしてしっかりと頷いた。
「わかったわ。絶対に口にしない」
「いい子だ。約束だ」
彼女の頭をまた撫でると、レーヴィスは娘の手を引いて立ち上がる。
「そなたは自室へ帰れ。あとのことは任せて」
こちらを振り向いて、そう指示してくる。
サーリアはなにも返すことができず、ただ、頷いた。
◇
娘の手を引いて、レーヴィスは妃の部屋の前に立った。
正直、気が進まない。自分は本当に彼女の前で平静を保っていられるだろうか。衝動的に、この腰に佩いた長剣を抜いてしまうのではないだろうか。
しかし、このままではヴィスティの収まりがつかない。真相を口にして騒ぎ立てようとするヴィスティを、セレスが黙って見過ごすだろうか。
けれどレーヴィスの前でなら、セレスも娘に対して優しく接するだろうし、もしヴィスティが口を滑らせたとしても、いつものように優雅に笑って、馬鹿なことを、と否定するだろう。
目に見えるようだ。
そのとき、急に開いた扉から、侍女が顔を出し二人に気付いて驚きの声を上げる。
「まあ、陛下。それに殿下も。どうぞお入りくださいませ」
「陛下?」
扉の向こうから、華やかな声が聞こえる。セレスだ。
「どうなさいましたの。最近は急にいらしてくださることが多くございますわね」
そう言って奥の間から出て来つつ笑みを浮かべた。
「ああ、姫を王宮のほうで泊めたのでな、心配しているのではないかと思って連れてきた」
「そうでしたの」
王の訪問に、慌ただしく侍女たちが動き始める。
「殿下、昨日からお姿が見えませんでしたから、心配しておりましたのよ」
一人の侍女がヴィスティの姿を見てそう咎めた。ヴィスティは無意識なのか、繋いだレーヴィスの手に力を込める。
その侍女は、確かオルラーフからやって来た侍女の一人のはずだった。その中でも最も格上の者だったので覚えている。
おそらく、間違いないだろう。彼女がこの事件を画策したのだ。
「皆に顔を見せておいで。心配していただろうから」
ヴィスティにそう声を掛けると、彼女は不安げな瞳をレーヴィスに向けたが、しばらくして頷いた。その健気な様子にレーヴィスは栗色の髪を撫でてやった。
侍女たちに連れられ、ときどき父を振り返りながら、ヴィスティは奥の間に入っていく。
「陛下、王宮に殿下を連れていかれる際は、どうか私どもにお教えくださいませ。昨夜から自室に姿がありませんでしたので、私ども、心配いたしましたのよ」
さきほどの侍女がそのように愚痴った。国王に向かって不遜ではないかとは思うが、オルラーフ側の人間には、少々尊大なところがある。国の力関係が滲み出ているのだろう。
腹立たしさから、心配していた割には探しにも来なかったではないか、と反論したいのを堪える。
侍女の小言を、代わりにセレスが制した。
「別に初めてのことではないではないの。陛下はヴィスティ恋しさのあまり、何度か王宮に勝手にお連れになって、私どもを困らせましたわ」
そう楽し気に話して、ほほ、と笑った。
確かにヴィスティがもっと小さかった頃、懐く娘が可愛くて、勝手に連れまわしては侍女たちに怒られたものだ。
そんな微笑ましい過去が、レーヴィスの心を和ませた。おかげで少しは冷静になれそうだ。
「いつからヴィスティを?」
セレスが椅子にレーヴィスを促しつつ訊いてくる。
腰掛けた彼の横に、いつものように自分も椅子を寄せて座りながら。
「いや……ヴィスティは側室の部屋に行っていたのだが、奪い取ってきたのだ」
「まあ」
そう一言返すと、セレスは眉根を寄せる。いつもと変わりない反応。
「また、ヴィスティは側室殿のところに?」
「いいではないか。新しい人間には興味が湧くものだ」
「それに、陛下も」
そう続けて、目を伏せてみせる。その表情を見ると、内心、舌打ちしたくなる。
「それもある意味、王の務めと思わねば。愛情が誰にあろうとも」
「ええ、わかっております。……失礼いたしました」
そう謝罪の言葉を口にして、軽く頭を下げた。レーヴィスはこっそりとため息をつく。
何度、こうやって彼女をなだめて来ただろう。それはなんと疎ましいことだったか。
王妃になるために嫁いで来た以上、また身体を損ねた以上、それは仕方のないことで、自分自身でその感情を処理しなければならないのだ。非情だろうが、それが王族の務めだ。
「なにやら側室の部屋でも大変らしい。当分あちらに顔を見せることはないだろう」
「まあ、なんですの?」
セレスは身を乗り出して問うてきた。レーヴィスはため息交じりに返す。
「ベスタが倒れたらしくてな」
「まあ……。大丈夫ですの?」
そうして心配げにレーヴィスの顔を覗き込む。
「いや、まだわからない。思ったより悪いらしくて」
「ご心配でしょう」
そう労いを口にして、レーヴィスの手に、そっと自分の手を乗せた。
「母親がわりとして陛下を育てた方ですもの。お察ししますわ」
労わるように、その声音は優しく発される。
レーヴィスはその声を聞いたとき、決断した。せめてもの情けに苦しまないように殺してやろう、と。
堂々巡りの会議も、彼の一言で終わる。彼はその力を持っていた。他の者の意見など、この際、聞かなくてもいい。
「そこでお願いなのだが」
「なんでしょう?」
「ヴィスティをもう一晩貸してくれないか」
「まあ、仕方のない方。よろしいですわ」
そう了承して笑みを浮かべる。レーヴィスは、彼女の白い頬に唇を寄せた。
「そなたの顔を見たら、安心した」
「陛下……嬉しゅうございます」
セレスはレーヴィスの肩に頭を軽く乗せてくる。
「私にできることがあればなんでも仰ってくださいませ。オルラーフには万病に効くという薬草がございます。気休めにしかならないかもしれませぬが、父にお願いして送らせましょう。ベスタには私も良くしていただきました」
「そうか……では甘えよう」
そう返してから、立ち上がる。
「陛下、もう?」
「ああ、これから会議があるのだ。少しの間だったが、そなたに会えてよかった」
「私も……」
セレスも立ち上がり、奥の間にいるヴィスティを連れてくるように侍女に指示すると、レーヴィスのほうへ向き直った。
「ご心配でしょうが、どうぞお気を確かに」
「わかった。ありがとう」
そしてレーヴィスはやってきたヴィスティの手を取ると、また来たときと同じように二人で連れ立って、王宮へと足を進めた。




