4. 戦利品
「姫さま!」
背後から呼ばれて、振り返る。侍女たちが隠し扉から出てきたところだった。
王族しか知らぬ通路をさまよいながらも、なんとかあとを追ってきたのだろう。
彼女たちは広間の惨状を見て、言葉もなく表情を凍らせる。そして、首のない王の遺体に目を止め、顔を歪めて絶叫した。そして二人は抱き合って泣き崩れる。
こんな凄惨な光景を見せてしまった、とそのことが悔やまれた。
「ひ、姫さまをどこに……!」
それでも彼女らは気丈にも顔を上げ、震える声でそう呼び止めてきた。
サーリアを両脇から抱えていた兵士たちが振り返る気配がしたから、自分も首だけを彼女たちに向けて口を開く。
「私は大丈夫。お前たちはおとなしくしていなさい。そうすれば助命されるわ。アダルベラスの将軍がそう誓っていたもの。まさか約束を違えたりはしないでしょう」
そうでしょう? と兵士に挑発的に確認すると、彼らは胸を張って頷いた。
「でも、でも、姫さまが!」
「大丈夫よ。私は戦利品だそうだから」
「姫さまあ……」
返す言葉を失ったのか、彼女らは抱き合って声を上げて泣き続けた。兵士たちは彼女らを一瞥もしない。
そう、戦利品。将軍は確かにそう口にした。王女をアダルベラスに連れ帰ることが与えられた命だと。
侍女たちは、『神に愛でられし乙女』をアダルベラスが欲している、と言っていた。
まさか、本当に?
侍女たちの泣き声を背に、広間を連れて出される。そしてふと、足元に目を止めた。
エルフィの兵士が倒れていた。いつも広間を守っていた兵士だ。彼の血が廊下に広がるように飛び散っている。
彼のことはよく覚えている。彼は毎朝、父に挨拶に向かうサーリアに深く礼をして、小さな声で「おはようございます、姫さま」と声を掛けてくれていた。
彼の挨拶を聞くと、今日も一日が始まったと思えたものだ。
私のために、死ななければならなかったのね。
サーリアはそのことを胸に刻むと、ごめんなさい、と呟いた。
廊下を見渡すように眺める。倒れているのはほとんどがエルフィの兵士だ。
「歩け」
脇を抱えている兵士にそう急かされ、小さくため息をついて足を踏み出した。
見知った顔を何度も見る。誰も彼も、血にまみれて倒れていた。流れ出た血の上を行く。まだ新しい血は、歩くたびにぴしゃりと音をたてた。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
なんのために? 私のために。
どうしてどうしてどうして。
どうしてあなたたちが死んで、私が生きているの?
歩を進めるたびに、そんな思いが湧き起こる。
私は、生きていてもいいの?
城の外に出る。夜は明け始めていたが、厚い雲が空を覆っていて辺りは暗い。
頬になにか当たる感触がして見上げると、雨が降り出したところだった。
この雨が、血に汚れた城を洗い流してくれるだろうか、と思う。
両側の兵士たち、そして辺りにいるアダルベラス兵たちも、空を見上げた。
「雨……」
「雨だ……」
兵士たちの呟きが聞こえる。彼らはただ呆然と、空を眺めていた。
殺戮を繰り返した彼らにも雨が降り注ぐ。鎧に付いた血が洗い流されても、その手に残る感触は決して流されはしないだろう。そう強く思う。
「サーリア殿は、こちらに」
小さな馬車が用意されていて、その前で将軍が待っていた。そちらに言われるがまま歩を進める。中に乗り込むと、奥に追いやられるように座らされた。目の前に将軍。扉側に兵士が二人。
扉が閉まると、馬車はゆっくりと進み始める。
「ん?」
窓の外を見ていた将軍が身を乗り出すように身体を動かした。
「いかがなさいました」
兵士二人が将軍の視線を追うように、窓の外を窺う。
「うわっ」
「鳥が」
サーリアには、見なくとも外の光景がわかった。
彼女が城を出る際には、いつも鳥がサーリアを見送るかのように何羽も何羽も追ってくる。多いときには空を覆うほどにやってくるのだ。
その光景を見て、皆は笑顔とともに話す。『神に愛でられし乙女』だと鳥たちもわかっているのだろうと。そのお姿を一目だけでも見ようとやってくるのだと。
雨が降りしきる中、それでも鳥たちは来てくれた。もしかしたら別れの挨拶なのかもしれない。
その驚愕の光景に、三人は目を奪われているようだ。
そのときふと、脇にいる兵士の腰にある短剣が、目に入った。
◇
「あっ!」
兵士の慌てたような声に将軍は振り返る。
しかし時すでに遅し。王女は剣を自分の胸に深々と突き刺したあとだった。
「畜生! 止めろ!」
その声に応じて馬車が止まる。将軍は慌てて立ち上がり、倒れ込んだ王女を抱え起こす。
あまりのことに呆然としている兵士が、怯えたように言い連ねた。
「け、剣を奪われました。突然のことで……あの、まさか、自害するとは思わず……」
「言いわけはよい! 医師を呼んで来い!」
「はっ!」
新たな任務を命じられた兵士は、転がるように馬車から駆け出していった。
それを見送ると、将軍は王女に視線を移す。
「くそっ、『神に愛でられし乙女』が死んでしまっては元も子も……」
そう呟くと、王女の胸に突き刺さったままの剣の柄に手を掛ける。
どうする? 迷ったのは一瞬だった。
「ゲイツ将軍?」
少女の脇を固めていたもう一人の兵士が、将軍の行動を不審気に眺めて、そしてその手に力が入ったのを見ると叫んだ。
「将軍!」
「黙れ」
一言そう告げると、思い切りその剣を引き抜いた。将軍は飛び散る血潮を全身に浴びる。
王女は声にならぬ叫びを上げ、身体をびくんと痙攣させて、そして再びぐったりと倒れ込んだ。
「なにをなさる! 殺すおつもりか!」
馬車の扉から乗り込みながらそう声を上げたのは、息を切らせた医師だった。
彼の姿を見届けると、腕の中の王女をゆっくりと床に寝かせる。
「致命傷じゃない。時間が経てば剣も抜けにくくなるだろう。これ以上、王女の傷を広げるわけにはいかないのだ」
「しかし!」
「そなたが飛んで来るだろうと思っていた。早く止血を」
指示されるまでもなく、彼は王女の傍らで治療に入っていた。
将軍はその様子を一瞥すると、馬車を出て大きく息を吐いた。雨が身体を濡らしていく。
そのときのことは見ていなかった。しかし間違いない。
王女は一瞬、躊躇したのだ。だから急所を外した。剣は骨で止まっていた。まだ、生きたい、と思っているはずだ。
だとしたら、帰って来る。
「まったく。陛下になんと報告すればいいのか……」
この王女は自分に不幸をもたらすだろう。
そんな漠然とした不安が、胸の中に湧き起こった。