36. ヴィスティの手土産
「ヴィスティ殿下、どちらへ?」
こっそりと自室から出ようとしていると、背後から声を掛ける者があった。
ヴィスティはびくりと身体を震わせてから、恐る恐る振り向く。
そこには、セレス付きの侍女の一人が立っていた。
「あの……」
ヴィスティは慌てて言葉を探す。早く言い訳しなければ、疑われてしまう。
「お散歩に行くの。中庭に鳥の巣があって、気になっているから」
上手く話せたか自信がなかった。しかし侍女が笑顔を見せて頷いたから、誤魔化せたと思った。
が、それも一瞬。
「そうですか。でも私は存じ上げております。側室殿のところへ行かれるのでしょう?」
「えっ」
図星を指されたものだから、すぐさま否定できなかった。
なにか弁解しようと口を開いたのを、侍女が手のひらを出して制する。
「困ったものですわね」
両の腰に手を当てて、こちらを覗き込んでくる。
ヴィスティは言い訳するのは無駄と知ると、俯いて次の言葉をびくびくしながら待った。
「手土産も持たず、あちらで馳走になってばかりでは、面目も立たないというもの」
けれど、どうも風向きが違う、とヴィスティは顔を上げる。
「止めてもそうやって内緒で出掛けられるくらいなら、仕方ありません。少々お待ちになっていてくださいませ」
そう声を掛けると、侍女は踵を返して自室に戻っていく。ヴィスティはなにがなんだかわからないまま、ただ、彼女を待っていた。
しばらくすると、侍女は手に箱を持って現れる。
「急なことで、いただき物しかございませんでしたけれど、焼き菓子です」
そうして箱をヴィスティへ差し出す。ヴィスティはおずおずとその箱を受け取った。
「……いいの?」
そう上目遣いで訊いてみる。侍女は肩をすくめて返してきた。
「駄目と申し上げても出掛けられるのでしょう? 妃殿下には内緒ですわよ。私も内緒にしておきますから」
「うん……」
なにか釈然としないものを感じながらも、ヴィスティはサーリアの部屋に向かって歩き出した。
本当にいいのかしら、と何度も振り返る。
箱を持たせてくれた侍女は、姿が見えなくなるまで、じっとこちらを見送っていた。
◇
ヴィスティがサーリアの部屋の入り口からひょっこりと顔を覗かせた。
もう慣れたもので、以前のように驚く者はいない。
「いらっしゃいませ、殿下」
そう侍女たちが出迎えている。
その声に応えるように、サーリアは座っていた窓辺の椅子から立ち上がる。
「ようこそお越しくださいました、殿下」
サーリアがそう歓迎すると、ヴィスティは安心したように笑みを浮かべた。
「月の君、お腹は大きくなってきた?」
「まあ、殿下ったら」
侍女たちがくすくすと笑う。待ちきれない、という気持ちが溢れ出ていて可愛らしいのだ。
「そうですね、まだ大きくはなっていないかと思います」
自分で気にすれば、大きくなってきたのかしら、と疑問に思うくらいだ。
「そうなの……」
少しがっかりしたように、肩を落としている。
そのとき一人の侍女が、ヴィスティの持った箱に気付いた。
「あら、それは?」
「あ、どうぞ」
そう言いながらヴィスティは箱を差し出す。
「これは……なんでしょう?」
「えっと、お土産です。焼き菓子だって」
「……妃殿下からですの?」
不審に思ったのか侍女が眉根を寄せる。けれどヴィスティはふるふると首を横に振った。
「ううん、お母さまは知らないの。内緒よって」
「さようでございますか」
侍女は納得したように頷いた。
後宮内ならば安全だろうと、ほとんど自由に動いてはいるが、ヴィスティにはヴィスティの侍女がいることはいるのだ。その侍女の誰かが持たせたのだろう。
「急なことだったから、いただき物しかございませんでしたけれど、って」
「まあ、お気遣いいただいて……サーリアさま、殿下から手土産をいただきましたよ」
サーリアも今の話は聞いていた。
最初は訝しんだが、それなら大丈夫だろう。通常、こうした手土産は持ってきた本人にも出すものだ。
自分の娘に毒物を持たせるなんて、そんな母親がいるはずがない。そう思った。
それに、まさかこんなに堂々と。
「ではありがたくいただきますわ。どうぞ殿下もご一緒に」
そうしてヴィスティを客用の椅子に促す。
侍女が、受け取った箱をテーブルの上で開いた。
「まあ、美味しそうですこと」
それは手の込んだ焼き菓子で、ひとつひとつに砂糖で色とりどりの小さな装飾が施されているお菓子だった。
「じゃあ適当に見繕ってお出しして差し上げて」
「かしこまりました」
侍女が箱を持って給仕場に下がろうとする。
「あ、でも……」
パメラが戸惑いがちに侍女を呼び止めた。
「え?」
呼ばれた侍女は首を傾げて待っているが、パメラはどうしよう、とおろおろして箱とヴィスティを見比べている。
さすがに王女殿下が持ってきたものを毒見するのは失礼に当たるのではないか、と迷っているようだった。
すると、控えていたベスタが近寄ってきて腕を伸ばす。
「失礼」
彼女は言うが早いか、ひとつを手に取った。
「殿下には申し訳ありませんが、お毒見を」
「まさか」
サーリアは苦笑して口を挟む。
「殿下自身が持ってきてくださったのよ? 殿下が口にするかもしれない物に……」
「念のためですわ。私もまさかとは思いますが、こういったことを怠っていては、侍女としての仕事を果たしていないと思われてしまいますもの」
それに、とベスタは笑いながら付け加えた。
「美味しいものを一番にいただくのは、中々に気分の良いもので」
その冗談に皆が笑う。では、とベスタが一口、口に含んだ。
「ま、美味しゅうございます」
口元に手を当て、口を動かしながらそう感想を漏らす。
その様子を見て、箱を持った侍女が給仕場に退がる。そしてしばらくしてお菓子を皿に乗せ、お茶と一緒にテーブルに持ってきた。
そして腰掛けて待っていたヴィスティとサーリアの前にそれらを置いていく。
「お気遣い、感謝いたします」
そう礼を掛けられて、ヴィスティは笑みを浮かべた。ベスタの指示で、また一人の侍女が見張りに扉の外に立つ。
それは、とてものどかな光景のように思われた。




