33. 最悪の決断
翌朝目を覚ますと、ちょうどレーヴィスが身支度を整え、寝所を出ようとしているところだった。
「……陛下」
半身を起こし、声を掛ける。すると彼は振り向いて微笑みかけてきた。
「ああ、起こしてしまったか? 寝ていても構わないが」
「いいえ、陛下。申し訳ありません」
謝罪しながら、寝衣のままベッドから降りて歩み寄り、その肩に頭を寄せた。
「どうした?」
「……離れがたく思えて」
「そうか」
レーヴィスは短くそう返事すると、セレスの金色の髪を撫でてくる。
その手の感触に泣きたくなる。
「……お優しいのですね、陛下は」
本当は、疎ましく思っているくせに。早くこの部屋から出て行きたいと思っているくせに。
「なにを不安がっているんだ」
それらの言動を不審に思ったのか、レーヴィスがそう尋ねてきた。
セレスは顔を上げ、夫を眺める。
「不安?」
「違うのか?」
そう首を傾げて見つめられる。セレスはその瞳を見ていられなくて、目を伏せた。
「いえ、不安に思っております」
言葉にしてはいけない。口にしてしまえばまた彼は心の中で疎ましく思うことだろう。
しかし言わずにはいられなかった。
「わたくしを、愛しておられますか?」
「なにを馬鹿な」
そう返してレーヴィスは、セレスの疑念を一笑に付した。
「そんなことを不安がっているのか。何度愛の言葉を語っても、何度抱き締めても、そなたの不安が消せないなら、私はいったいどうしたらいいんだ?」
そう。レーヴィスはいつもそうやってセレスを嬉しがらせるのだ。だから今まで騙され続けたのだ。
今ならわかる。最初から、一度だってセレスを愛したことなどなかったということが。
「信じたい……けれど」
「では信じればいい」
そう囁いて、唇を合わせてくれる。
今は騙されていよう。それが幸せに思える、今だけは。
◇
ヒルダはセレスの傍に歩み寄る。彼女の主人は椅子に腰掛け、自分の金髪を弄んでいた。
「お呼びでしょうか?」
ヒルダがそう声を掛けても振り向きもせず、彼女は自分の髪を見つめたまま、命じた。
「ええ、人払いなさい」
彼女の様子にただならぬものを感じると、ヒルダはなにも訊かず、部屋の中にいる侍女たちにただちに別室へ退がるよう指示した。
そしてまた主の傍に寄り、声をひそめる。
「なんでございましょう?」
「わたくしが以前に話したこと、覚えていましょうか?」
ヒルダはすぐに彼女の言わんとしていることを察知した。
『あの女に死んでいただきたいの』
しかしそれは。
「お言葉ですが妃殿下。前にも申しましたように、あの側室がいなくなろうとも、また新しい側室を迎えるだけ。意味がございませぬ。ここは、陛下が頻繁にこちらにお召しになったことで良しとすべきでは……」
セレスは髪を弄んでいた手を離した。彼女の細い髪がはらりと落ちる。
「側室など……あの女でなければ何人いようと構わないわ」
「はあ……」
「認めたくはないけれど、陛下はいずれあの女に入れあげるようになってよ。わたくしにはわかるの」
セレスはどこか遠くを見つめたままで、一度もヒルダの目を見ようとはしなかった。その様子はうすら寒いものを感じさせるほどだ。
ヒルダはその感触を否定するように言葉を連ねる。
「妃殿下を差し置いてそのような」
「なんにしろ、邪魔なものは目の前から消し去ってちょうだい」
ヒルダの反論をひったくり、そう断じる。ヒルダは諦めてため息をついた。
「しかし妃殿下。以前の事件であちらも警戒しておりますれば」
できれば、側室殺しということは避けたかった。以前毒を仕込んだときも、殺しは目的ではなかった。
それに、薔薇の事件は自分が独断でしたこと。しかしこれは妃の命だ。
もちろん、事件が発覚しようとも自分がすべての罪を被る覚悟ではあるが、誇り高いセレスにそんな決断をさせたくなかった。それに危険性も上昇する。ここは実行不可能ということで落ち着いてもらいたい。
けれどセレスは続ける。
「ヒルダ、わからない? 一人、いるではないの。こちら側の人間で、警戒されずにあの女の元へ行ける者が」
ヒルダは誰のことかわからず首を捻る。オルラーフからやってきた三人の侍女は全員警戒されていると見ていいだろう。侍女だけではない、おそらくオルラーフと少しでも関わりのある貴族もその対象のはずだ。あの国王が信頼している者でこちら側の人間などいるはずがない。
しかし次の瞬間、慌てて顔を上げ、呆然としてセレスを見つめた。
「まさか……」
「ねえ、わたくし、もう疲れたわ」
セレスは詠うように言葉を発する。
「わたくしを苦しめるものすべて、もう、要らない」
ヒルダの目の前には、彼女の知っているセレスはすでに、いなかった。




