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月の微笑 ~略奪された王女と独善の王~  作者: 新道 梨果子


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29. 王者

 サーリアは、後宮を出て数歩歩いたところに設置されている長椅子に腰掛けて、待っていた。

 ぜひ二人きりで、と願い出てそれがなんとか叶ったのだ。

 後宮でもなく、だからといって後宮から離れるわけでもない。ちょうどいい場所ではあるのだろう。二人きり、とはいえ、すぐそこに人通りもある。ついてきた侍女たちも、少し離れて控えている。


 腰掛けたまま頭上を見上げる。大木が枝を伸ばし、木漏れ日が心地よい。

 ふと、その枝のひとつに目を留めた。


「まあ……」


 その枝には鳥の巣と思しきものがあり、そこから白い羽の小鳥が顔を覗かせていたのだ。

 以前ヴィスティが話していた鳥の巣は後宮の中庭にあるという話だから、それとは違う巣なのだろう。

 でもきっと、同じ種類の鳥だ。小鳥は羽が白くないということだったが、あれからずいぶん日が経っているためか、ほとんどが白で覆われた鳥だった。成鳥になるときっと真っ白になるのだろう。


 エルフィ王城にも、こんな風に鳥がいくつか巣を作っていた、と懐かしく思い出す。

 サーリアはすっと、右手をくうに伸ばした。


   ◇


 まったく陛下もあの側室にお弱くていらっしゃる。

 そんなことを思いながらゲイツは後宮の方角へと歩を進める。

 しかし実際のところ、中々足が進まなかった。エルフィ王を斬ったことは後悔などしていない。いやむしろ、武勲として誇らしく思えている。

 しかしあのときのあの王女の表情……あの、王の首に向けられた微笑み。あれを思い出すと今でもぞっとする。

 完璧な彫像。侍女たちの間では、当初はそう揶揄されていたらしい。今では限られた者には微笑みかけることもあるという話だが……。


 あれは、魔性だ。人らしい感情というものをあの瞬間に棄てた、魔性の者。決して『神に愛でられし乙女』と呼ばれる者ではない。そう思えた。


 ふと、足を止める。視界に美しい光景が飛び込んできたのだ。

 それは一枚の絵画を思わせた。

 銀色に輝く髪が風になびき、そのたおやかな身体に木漏れ日は降り注ぐ。彼女は周りの自然とともに柔らかな日差しの中で、芸術のように存在していた。


 しばらく言葉を失くして見つめていると、その絵画の中の美女は、ふと右手を空に伸ばした。

 すると、どうしたことか。白い羽を持つ小鳥が巣から羽ばたき、その細い指を止まり木とするではないか。

 それはまるで、夢の中の光景だった。

 ふと小鳥はそこにいるゲイツの気配に気付いたのか、羽を広げて飛び立つ。

 そして美女はゆっくりとこちらを振り向いたのだ。


「ご足労願いまして申し訳ありません」


 そう言葉を発すると軽く会釈する。生きてしゃべったことが意外に思えてしまう。

 ゲイツはそれにより現実に引き戻され、彼女の元へ歩み寄る。


「……あの」


 咄嗟に言葉が出ない。

 どうしたものかと思っていると、サーリアが自分の座っている椅子のすぐ横を指し示した。


「どうぞお掛けになって」

「いや……それはご辞退申し上げます」

「そう」


 妃の一人であるサーリアの隣に、たとえ将軍といえども座れるはずがない。彼女もそれは理解したようで、無理強いしてくることはなかった。


「では手短に申し上げます」


 サーリアの凛とした声がゲイツの耳に響いた。


「私の知りたいことはただひとつ。エルフィの民は安寧に暮らしておりましょうか」


 その質問が来るであろうことは王から聞かされて知っていた。答えはすでに用意されている。


「もちろんにございます。我々は駐屯しておりますが、目的は支配ではなく統治。もとより恐怖による支配をするつもりは毛頭ございませぬ。それは叛乱を引き起こす元になりますれば。それに国母となるサーリアさまの故郷、我々が無下に扱うことなどできますまい」


 すらすらとゲイツの口から述べられる口上を聞くと、サーリアはすっと立ち上がる。

 そして彼のほうを振り向くと、背筋を伸ばし、唇を動かし始めた。


「その言葉に偽りはあるまいな?」


 ゲイツの身体がびくり、と震えた。なんだ……?

 妙な威圧感があった。なにかが忍び寄ってくるような、そんな違和感を覚える。

 空気が、変わった。今しがた、空気が変わったのだ。

 それはなぜか。切り替わったのだ。今、サーリアは自分自身を切り替えた。それがわかった。

 王者がそこに立っている。


「未来の国母たるこの私に、忠誠を誓うといい。もう一度聞く。その言葉は真か」


 その深い海色の瞳がゲイツをじっと見つめている。


「は、あの……エルフィ国民は元々が穏やかな気性のためか、兵士と談笑する姿を随所に見られるほどで……しかも商魂たくましく、商売人などは兵士相手に繁盛しているようで……かくいう私も気に入った店があり、そこの店主に先日も、姫さまはご息災かと訊かれまして」


 私はなにをべらべらしゃべっているのだ、と焦る。意思とは裏腹に、口をついて出てくる言葉たち。まるで弁明しているかのようだ。落ち着け。落ち着かなければ。


「よろしい」


 サーリアはゲイツの話を聞くと、満足げに頷いた。


「ともかく将軍たるあなたがそのように感じているのなら良うございました。陛下もエルフィの民の安寧は保障すると仰っておりましたし、恐怖による支配はするつもりがないというその言葉、信じましょう」

「感謝します」


 そう礼を述べて頭を下げてから、にわかに屈辱感に襲われる。

 たとえ未来の国母とはいえ、自分から見れば小娘にしか過ぎないこの女性に、はずみで頭を下げることになろうとは。なんたる屈辱。なんたる敗北感。どんな戦であろうとも、こんな思いにかられたことなどただの一度もなかった。勇猛と称賛され続けた自分に頭を下げさせるなどと……。

 その思いを打ち消すように、ゲイツは再び頭を上げる。

 そしてそこに、この世で最も美しい瞳を見た。冴え冴えとした月の光のような、視線。


「あなたの働きに期待しております」


 サーリアがそう囁く。魅惑的な、声。

 知っているのだ、と思った。この女性は自分の美貌がどれほどの効果をもたらすか、知っていて演出しているのだ。

 そしてゲイツはその美貌に魅入り、抗えない。


「……御意のままに」


 全身から冷や汗が流れ出るような感覚がした。


「退がりなさい。今日のことを感謝します。また呼ぶこともありましょう」


 ゲイツは一礼すると踵を返す。

 アダルベラス王たるレーヴィスの前でも、ここまでの威圧感を覚えたことはない。


 彼女の傍から離れることに安堵した。

 それから、最も彼女に伝えてはならない事柄を舌に乗せなかったことに。


 やはり、あれは魔性の者なのだ。もし彼女が本気を出して力を発揮すれば、アダルベラスなど呑み込まれてしまうのではないか。彼女を閉じ込めることに成功したのは幸運だった。

 その思いがゲイツの胸に刻み込まれた出来事であった。

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