28. 解決策
「気を付けていたつもりだったのだがな」
その夜、レーヴィスが訪れ、サーリアの話を聞くと深いため息とともにそう零す。
「けれど、事は起こってしまいましたわ」
「……そうだな」
そう返すと、また大きくため息をつく。その憂鬱を隠す気はなさそうだ。珍しく、眉根を寄せて考え込んでいる。憎まれ口のひとつも出てこない。
侍女たちは言った。陽の君を、陛下が罰することができましょうか、と。
アダルベラスとオルラーフ。無駄な争いを避けるため、王族同士で婚姻関係を結ぶ、といつかレーヴィスが語った。つまり逆を言えば、いつ争いが起きてもおかしくない関係性ということだ。
そして今現在どちらの力が強いのかとなると、それはオルラーフなのだろう。それはそうだ。アダルベラスは今、干ばつに苦しんでいる。
だからオルラーフの王女であったセレスを罰することができない。
そこで、ふと思う。この人は、なぜサーリアにセレスについての話をしたのか。
話をしようではないか、と言った。後のためにも知っておいたほうがいいだろう、と言った。
考え込んでいるレーヴィスをじっと見つめる。
エルフィでは誰も、サーリアになにも教えなかった。アダルベラスから親書が届いたということすら。サーリア自身のことなのに。
考えるがいい、と彼は言う。それはある意味、彼にとって正義なのではないのか。誰かに決めさせるのではなく、自分で考えろ、と。意思を持った一人の人間として。
サーリアはふるふると首を振った。
……いや。それこそ考えすぎかもしれない。結局自分は、いくら考えたって、この後宮に閉じ込められてなにもできないままではないか。
「しかしそなたも大したものだ」
「え?」
ふと声を掛けられ、顔を上げる。
感心したように、まじまじとサーリアを見つめてくる。
「ずいぶんと冷静だったようだ。普通は侍女たちと一緒になって騒ぎ立てるものだ」
それが、適切な処置をし、侍女たちを一喝して医師を呼びに行かせ、さらにそのあと、侍女たちに他言無用と告げた。
「……一度棄てた命だからかもしれません」
「なるほど」
そう一言返してきて、それ以上はなにも訊いてこなかった。
「なにもかも、私の許可がなければ動かない。それはいいことなのか、悪いことなのか」
「え?」
「いや、なんでもない」
そう誤魔化しを口にして、苦笑する。そして思いついたように続けた。
「ああ、警備の者を何人か寄越すことにする。こちらに届けられる荷物もすべて確認させよう。解決策とは言えないかもしれないが、なにもないよりはましだろう」
サーリアは満足すると頷いた。その様子を見て、レーヴィスは皮肉げに口の端を上げる。
「どうせ、万全な解決策など期待していなかったのだろう?」
「……え?」
「私の耳に入れられればそれでいい、と思っているのだろう」
その推測を聞いて、サーリアは軽く頭を下げた。
レーヴィスの言う通りだった。とにかく彼の耳に入れる。それでいい。あとは彼の態度次第だ。
「できる限り頻繁に、妃殿下の元にお通いくださいませ。こちらは棄て置いていただいて構いませんわ。それでこちらの安全が保証されましょうに」
「つまらぬことだ。我が妃ほどでなくとも、もう少し嫉妬してくれてもよいものを」
そう零すと、彼はおどけたように肩をすくめた。
◇
ヒルダは苛々としながら報告を待っていた。
部屋から出て廊下に立って、側室が住んでいる宮の方角を眺める。側室の様子は、人の出入りから判断するしかない。
側室が入宮するときに何人か侍女を募集していたから、オルラーフの息がかかった貴族から紹介させて間者を送り込もうとしたのだが、ことごとく失敗に終わった。
要は、アダルベラス王はオルラーフをまったく信用していない。
はあ、とため息が漏れる。
だいたい私はあの男が気に入らない、と思う。
セレスが輿入れしたときに、彼はにこやかに相対していた。傍からは完璧な対応に見えただろう。実際、セレスは舞い上がっていたようだった。
だがヒルダが知る限り、セレスに初めて会った男は、違う反応を見せたものだった。
頬を紅潮させて、大事な宝物を扱うように、うやうやしく接する。美しいセレスに気後れする男だっていたものだった。それは国内でも国外でも一緒だった。
年若い王など、どうせ傀儡に決まっている。セレスに夢中になって、オルラーフの血を引く世継ぎをもうけ、いずれはその力を掌握する。オルラーフの重臣たちはそれを狙っていたように思う。
ところが蓋を開けてみれば、まったくの逆だ。
夢中になっているのはセレスのほうで、世継ぎは生まれず、間者を送り込むことさえままならない。
あの胡散臭い笑顔の裏で、アダルベラス王は何を考えているのかわかったものではない。
今このアダルベラス城内でセレスの完全な味方と呼べるのは、ヒルダを含めた、輿入れのときについてきた侍女三人だけだ。
その侍女の一人が廊下の向こうから歩いてきた。ヒルダは壁につけていた背中を上げ、そちらに身体を向ける。
「動きがありましたか」
侍女は近寄ってきて、声をひそめて報告を始めた。
「はい。最初は女性医師が、そのあと男性医師が入っていきました」
「男性? では誰か倒れたのは間違いなさそうですね」
「ええ、でも帰りは落ち着いた様子でした」
「ならば倒れたのは側室ではないのでしょう」
側室が倒れたのなら、もっと騒ぎになっていてもいいだろう。
そして誰も死んではいない。死んだら遺体が部屋から出てくるはずだ。
「私、騒ぎ立ててやりましたの。男が後宮にいるって」
「あら」
「そうしたら、陛下の許可は取っている、の一点張りで。何度理由を訊いても、答えてはくれませんでしたわ」
「それで?」
侍女は誇らしげに胸を張った。
「また男が入ってきてはいけないから、見張りをさせてもらうって宣言しました。これでやりやすくなりますわ」
「そう。よくやってくれました」
侍女にはいくらかの報奨を与えて下がらせる。
ヒルダも自室に帰る。部屋に入って扉を閉めて、ふう、と安堵の息を漏らした。
「無事だったか……」
死ねば死んだで構わない。流産したならそれでも。しかし、それは目的ではない。
おそらく、このことで警戒した王が妃を蔑ろにすることはあるまい。ご機嫌とりに頻繁に訪れるようになるだろう。当面はそれで充分。
できればなんの証拠もないまま妃が犯人だと騒ぎ立てて欲しかった。そうすれば今度はこちらが被害者の顔をして責められる。
「そこまで望むのも無理な話か……」
そう呟いて部屋の中ほどにあるソファに座り込んで身を預ける。
これでいい。王が妃のほうを向いてくれればそれで成功と思っていいのだから。今はとにかく、セレスを落ち着かせることだけを考えよう。
お可哀想なセレスさま。オルラーフの誇りであるセレスさま。彼女の悲しい顔などもう見たくはない。
けれどさすがに世継ぎをもうけないまま、だなんてことは不可能だ。アダルベラス王を失脚させたいわけではない。セレスの夫である彼には、国内での力は付けておいてもらいたい。
アダルベラス王には、ただ、セレスを大事にして欲しいと思う。側室よりも、世継ぎよりも。それだけだ。
「あの女は死んだの?」
ふと、今まで誰の気配もなかった部屋に女の声がして、ヒルダの身体をびくりと震わせる。
いつ部屋に入ってきて、そしていつ背後に回ったのだろう。
セレスがヒルダの後ろに立ち、詠うようにそう問うた。
その様子に自分の主とはいえ、背筋が寒くなる。
「……妃殿下」
「死んだの?」
「いいえ、妃殿下」
首を横に振りそう否定すると、セレスは深く落胆のため息を吐いた。
この計画は、セレスはなにも知らないはずだった。しかしこうして側室の生死を聞くということは、なにか勘付いていたということだろう。
ヒルダは覚悟を決めて立ち上がって諭す。
「妃殿下。だいたい、今の側室が亡くなっても、次の側室を迎えるだけでございましょう。何人殺しても根本的な解決にはなりませぬ」
その弁明を聞き、セレスは侮蔑したような視線をヒルダに向けてきた。
「幼い頃からわたくしを見てきたというのに、なにもわかっていないのね」
「……は?」
「陛下が側室を迎えられるのは、もちろんわたくしにとって面白いことではありません」
「ええ……」
「思えば、陛下が侍女や令嬢たちにお優しいのなんて、当たり前のことだったわ。国王ですものね。もう、わたくしったら。その程度で嫉妬などと、わたくし、ずいぶん余裕を失っていたのねえ」
物憂げにそんなことを話している。
「でも正室たるわたくしが身体を損ねてしまったのですから、側室を迎えられても詮無きことと、最近は考えるようになったのよ?」
うふふ、と笑って楽しそうに続ける。
「わたくしも、大人になったでしょう?」
「え、ええ……」
なんだろう。セレスの様子が……おかしい。
「わたくしが嫌なのは、あの女だから。あの女に死んでいただきたいの。ヒルダならわかってくれると信じていてよ?」
それだけ告げると、セレスは退室していく。
彼女の背中を見送ったあと、呆然とその残り香を嗅ぐ。
今ここにいたのは、本当に自分の主人だっただろうか?
お可哀想なセレスさま。オルラーフの誇りであるセレスさま。
今ここにいたのは、本当に、ヒルダの知るセレスだっただろうか?
急に寒くなってきたような気がして、ヒルダはぶるっと身体を震わせた。




