27. 疑惑
医師と、彼女を追いかけて行った侍女の背中を見送ったあと、大きく息を吐いた。
「サーリアさま、ありがとうございます」
振り向くと、ベスタが頭を垂れている。
「なんの礼かしら」
「本来なら、私がしなければならないことをすべてしていただきました」
その答えに、苦笑が漏れた。
「田舎育ちというのは、意外なところで役に立つものでしょう?」
「はい?」
サーリアの発言にベスタは顔を上げる。
「エルフィにいた頃は、よく馬に乗って遠乗りに連れていってもらったものだったわ」
「馬……ですか」
どこに話が繋がるのだろうかと思っているのだろう、ベスタは目を瞬かせてサーリアの話を聞いていた。
「意外?」
「……正直申し上げて。楚々とした方ですのに」
ベスタの返事にサーリアは口の端を上げる。
「エルフィは、自然とともに生きてきた国。王族であれ誰であれ、遠乗りに行っては森の中を散策するの。自然はいつも人間の味方ではない。私たちは共存しているということを学ぶ」
思い出す。エルフィの美しい山。小川のせせらぎ。鳥のさえずり。
懐かしい、平和な風景。
「私は一応王女であったから安全な場所を皆が選んでくれたけれど、毒虫や蛇がいるような山中にもよく行かされた。だから咄嗟に動くことができたのでしょう」
だから、別に感謝されるほどのことではない。ただ、近くにいたから身体が動いたまで。
「でも、もうお止めになってくださいな」
ベスタは眉根を寄せて窘めてくる。
「サーリアさまお一人の身体ではないのですから。ご懐妊中のお身体に障ったらと思うと生きた心地が致しません」
「以後は気を付けるわ。でも大丈夫。彼女を見たでしょう? 即効性の毒だわ。私はこうしていられるのだからもう大丈夫」
「でも……本当に助かりました。彼女も感謝していることでしょう」
「感謝されるようになればいいのだけれど……」
そのとき、侍女と初老の男性医師が部屋に飛び込んできた。
サーリアは医師に早足で歩み寄る。
「先生、あの……」
「ああ、話は聞きました。詳しくは後ほど伺いましょう」
一刻を争うと判断したのか、医師はサーリアに口早にそう告げると、寝所に駆け込んだ。
その姿を見ながらサーリアはベスタに問う。
「薔薇の棘に毒を仕込むとは、どういうこととお思い?」
「……え? それは……」
「推測だけれど……。葉や茎に枯れたような跡はなかったのよ。棘は影響を受けたのか、少し変色していたものがあったわ。つまり、棘だけに毒が塗られていたと思うの」
「ああ」
「そう都合よく毒のある棘に刺さるものかしら。きっと、棘のひとつにだけ毒が塗ってあったわけではないのだわ」
「……ええ」
余すことなくすべての棘に、ひとつひとつ丁寧に毒を塗っていく。それは、その作業を行う者にも危険が及ばないだろうか。ふとしたはずみに自分自身に刺さってしまうことだってあるだろうに。
その光景を思い浮かべると、作業を行う者の執念はいかばかりかと想像してしまう。
それに、そこまでしたところで、サーリアが必ず手に取るとは限らない。いや、サーリアが手にする可能性のほうが低い。こうした贈り物は必ず侍女が一旦整理するのが通例であるのだから。
「毒殺が目的ではない気がするの。そう……その苦しみを、思い知らせることが目的のような……あるいは、警告」
ベスタは言葉をなくして、ただサーリアを見つめていた。
サーリアは寝所のほうに視線を向けた。そしてそのまま言葉を紡ぐ。
「ベスタ、陛下に取次ぎを。用件は伝えなくともよいから、ただ私が目通りを希望していると」
「かしこまりました」
ベスタが部屋を出て行くのと入れ替わりに、寝所から医師が出てくる。
サーリアはその傍に歩み寄った。
「先生」
医師は安心させるように頬を緩ませると、彼女の肩に手を乗せて口を開く。
「大丈夫ですよ。症状から見てそう毒性の強いものではありません。あれで実は致死率は高くない」
ということは、やはり、警告の意味合いが強いと考えるべきだろう。
「こう言うのも変な話だが、割と出回っているものでね。解毒剤がありましたから、そちらで処置しておきました。明日の朝にはもう歩けるようになるでしょう」
サーリアがほっと息を吐くと同時に、しかし、と医師が続けた。
「毒性が強くない、というのは健康体に対してだね。もし身体の弱っている人や、……妊娠中の女性ならわからない」
サーリアは一旦開きかけた口を閉じる。なんと返していいかわからなかった。
「大事にすることですよ。あなたはどうも、自分の身体を軽んじているのではないかと思うからね」
「それは……」
「以前、私は戦場であなたを診たから。あのときは本当に参ったよ。それに今回も自らが毒を吸い取ったそうじゃないか。もちろん、処置としては適切だったけれども」
「そうでしたか……」
サーリアが目を伏せると、医師は肩をぽんぽんと叩く。その仕草はとても優しかった。
「しかし、礼を言っておこう。お陰で大事に至らなくて済んだからね。それから大丈夫のようだがあとで一応、後宮の医師に診てもらうといい」
そう話したあと、部屋を出て行こうとする。サーリアはその背中に呼び掛けた。
「ありがとうございます」
それはなにに対しての礼だったか。医師は振り返ると、ゆっくりとひとつ頷いた。
「……それから先生、このことはどうかご内密に」
「もちろん」
そう答えると、医師は退室していく。
それと同時に侍女たちがサーリアの周りに集まってきた。そして不安げに問うてくる。
「私たち、これからどうしたら」
「もしサーリアさまの身になにかあったら」
「無事だったからよかったものの、もし命に関わることだったら」
数々の問いがサーリアに浴びせられる。しかし的確な答えがサーリアに出せるはずもない。
「とにかく皆、落ち着いてちょうだい。このことは陛下にご報告申し上げて、しかるべき措置をとっていただきますから」
「でも……」
そう零して一旦は口をつぐんでしまった侍女が、意を決したように顔を上げた。
「陽の君を、陛下が罰することができましょうか」
その疑問に、誰も二の句を継ぐことができなかった。
「……王妃殿下とは限りません」
サーリアはやっとの思いでそう返答した。
そう、推測でしかない。証拠など何もない。けれど彼女しかいないと皆が思っていた。
もちろん、サーリア自身も。
「でも、オルラーフは薬学が発達した国ですもの、元々は暗殺用の薬を開発するために、そのようになったと聞き及びます」
「毒なんて手段、オルラーフ出身の陽の君に違いありませんわ!」
「それに、今サーリアさまに害をなそうとする人間なんて、陽の君以外にいるわけがありませんもの!」
「口を慎みなさい!」
食い下がる侍女に、一喝する。
「滅多なことを言うものではありません。いいこと? このことは他言無用。はっきりするまでは誰のことも疑ってはなりません」
サーリアの下命に、侍女たちも不承不承、頷いた。理屈ではわかっているのだ。そうしなければならないことは。
サーリアは下唇をぎゅっと噛む。
許せない。許せるはずがない。けれど確証もないまま騒ぎ立てても、こちらが不利になるだけだ。
納得できないままなのか、侍女の一人が呟いた。
「はっきりするまでなんて……いつまでたってもはっきりなんてしないに決まっているのに」




