26. 薔薇の花束
サーリアの懐妊が医師の口から告げられてから数日が経ち。日々やって来る贈り物に、サーリアの部屋は埋もれそうになってしまっていた。侍女たちも目録やら礼状やらを作るのに忙しい。
諸外国からのものから一般庶民からのものまで王城に贈られてくるため、これでも一旦は王宮に集められ、主だったものだけがこちらに贈られているのだ。
しかもこれは国母となるサーリア宛て、または産まれて来る御子宛てのもののみ。
王に届いたものも合わせればどれだけのものになろうか。それに、もし誕生ともなれば。
懐妊した、というだけなら特に発表したりしない。だから本来ならまだ噂程度に留まっている話のはずなのに。もう少し時間が経ってお腹が大きくなって、もう隠せないところまでくれば発表もあるだろうが、つい先日、妊娠が明らかになっただけなのに。
それなのにもう、こんなに話が広まってしまっている。
どれだけアダルベラスの人々が世継ぎを待っているのか、その気持ちがわかるようだ。
「なにかお手伝いできないものかしら?」
サーリアはどうにも居心地が悪くなってしまい、ベスタに尋ねる。
それでなくとも侍女たちには仕事があるのだ。ふいに湧いた作業に閉口しているのではないかと心配になってしまう。
「まあ、サーリアさまはゆっくりなさってくださいませ。サーリアさまがお目を通さなければならないものはこちらでまたご指示させていただきますから。あとで礼状を書いていただかなければなりませんし、今はお休みください」
「そう……」
とはいえどう見ても、この部屋で手が空いているのはサーリアのみ。元々小さな国で育ったからか、すべてを人に任せてしまうのが落ち着かないのだ。
所在なく部屋の中を歩いていると、ふと花束が目に入った。
誇らしげに咲く、薔薇の花束。その色は真っ赤で、目にも鮮やかだった。
「まあ、綺麗」
一旦は手に取ろうとしたが、勝手に場所を移動させると侍女たちが困るのでは、と思い留まった。
その姿を見たパメラが歩み寄り、花束を手に取る。
「お花ですものね。先に整理してしまいましょう。すぐに活けさせていただきますわ」
そしてにこやかに花束に視線を移したが、すぐに怪訝そうな表情に変わった。
「あら? 贈り主の名が書いていない……」
中に埋もれているのだろうかとその中に手を入れている。
そして。
「痛っ……!」
反射的にその手を花束から離し、じっと自分の指に視線を落としていた。
「えっ? どうかなさって?」
「棘が」
「棘?」
サーリアはパメラが持ったままの花束を覗き込む。確かにその花束の薔薇の棘は抜かれていなかった。
「……忘れていたのかしら?」
「そんな馬鹿な」
仮にも王城に贈ろうという薔薇の棘を抜かないなどという、初歩的な過ちをするだろうか?
否。それからは明らかな悪意が感じられた。
しかも、王宮でそれを見逃すとも思えない。ここがごったがえしているのをいいことに、いつの間にやら紛れ込ませてしまったのだ。
一瞬、しん、と部屋が静まり返る。
「いったい……誰が」
おそらく、その問いに皆、同じ人物を頭に浮かべた。王宮で紛れ込んだとは考えにくい。ならば後宮で紛れ込んだのだ。
気まずい雰囲気が流れる。
それを打ち破ったのは、ベスタの手を叩く音だった。
「憶測だけでどなたかを疑うことはできません。大事でなくてようございました。皆、仕事を続けてちょうだい」
侍女頭のベスタの指示。皆、渋々ながら、仕事に戻る。
「大丈夫? 手当てしなくては」
サーリアが花束を持ったまま呆然と立ち竦むパメラに声を掛ける。
しかし彼女は返事もないまま、ただ花束を見つめるだけだ。
「……いかがして?」
そう問い掛けた瞬間。パメラの身体がぐらりと揺れたかと思うと、どさりと床に倒れ込んだ。
他の侍女たちの絶叫が部屋に響き渡る。
サーリアは倒れたパメラの横に屈みこむと叫ぶように声を上げる。
「しっかりなさい!」
しかし、彼女は応えない。息はある。真っ青な顔色でぶるぶると全身が震えていた。
「なにをしているの! 早く医師を!」
「は……はい!」
呆然とする侍女たちに一喝すると、一人の侍女が我に帰り、慌てて部屋の外へ駆け出していった。
右手の指だ。サーリアは慌てて彼女の右手首をとって強く握り締めると、うっすらと血の滲む中指をためらわず口に含んだ。
「サーリアさま! 危のうございます!」
ベスタの声も聞かず、サーリアは血を吸い、それを床に吐き出した。それを何度が繰り返す。
その後、花束をまとめていた飾り紐を解くと、パメラの手首を縛った。
「誰か、彼女を寝所に運んでちょうだい」
サーリアの指示に数人の侍女が駆け寄った。
しかし意識を回復したパメラが、弱々しくもそれを拒否する。
「……なりません。一介の、侍女が、お妃さまの寝所を……使うなど、許されることでは……」
「なにを言っているの、こんなときに」
「でも……」
「これは私の命です。あなたはおとなしく私の言うことをきいていらっしゃい」
「……はい」
パメラは瞳に涙をうっすら浮かべ、他の侍女たちに抱えられ、寝所に入っていった。
ベスタがサーリアの傍に、水の入った碗を持って歩み寄る。
「サーリアさま。どうぞお口をゆすいでくださいませ」
「ありがとう」
差し出されたそれを手に取り、口をゆすいで窓から外に吐く。口の中が少しぴりぴりしていたが、それですっきりとした。
そのとき、女性医師が部屋に入ってくる。
「先生、寝所に寝かせておりますから」
だが医師は、少しためらいがちに返してきた。
「サーリアさま、恥ずかしながら私は毒物には精通しておりません。王宮の医師のほうがいいかと思うのですが」
「ではその医師を連れてきてちょうだい」
「男性ですので、後宮には……。侍女を王宮のほうへ」
サーリアが苛立ちを隠せず医師を睨みつけると、彼女はびくりと肩を跳ねさせた。
「この状態で患者をこれ以上動かすというの?」
「でも、陛下の許可がなければ男性は」
「ではすぐに許可を取りなさい! 今いないのなら、あとで私が許可を取ります。私は妊娠中よ? なにを心配することがありましょうか。責任は私が取ります、すぐに医師を連れてきなさい!」
「は、はい!」
恐れおののいたのか、転がるように女性医師は部屋を出て行った。




