25. 愛とは
出産は、酷い難産だった。このまま死んでしまうのではないかと何度も思った。
あとで聞いたが、本当に母子ともに危険な状態だったそうだ。
そうして生まれた子は姫だった。
その上、もう二度と子どもを産むことはできない身体になったのではないかと、あとになって聞かされた。
その辺りのものを手当たり次第に投げて、暴れた。泣いて喚いて手が付けられなかっただろうと思う。
でもこの感情をどこに持っていけばいいのかわからなかった。
せめて、せめて御子が王子であったなら。王位継承権を持つことのできる王子であったなら。
レーヴィスはあんなに世継ぎを心待ちにしていたのに。
この国の誰もが、王子を待ち望んでいたのに。
セレスはもう二度と、子をもうけることができない。
なんのためにアダルベラスに嫁いできたのか。自分の存在意義とはなんなのか。
けれどレーヴィスは、セレスの手を握って慰めてくれた。
「セレスが無事であっただけで、それでいい」
「陛下……」
セレスは彼に取りすがって滂沱の涙を流す。
なんてことだろう。これから約束されていた幸せな日々が、一気に崩れ去った。
こんなことがセレスの人生に起こるだなんて、想像すらしていなかった。
◇
それからは、身体の調子もなかなか上がらなかったし、部屋から出る気にもならなくて、生まれた姫の顔を見ることもほとんどなかった。
姫はヴィスティと名付けられ、乳母や侍女頭たちが育てているという。
セレスは子の泣き声が聞こえると、耳を塞いでベッドに潜り込んだ。
「妃殿下、どうぞ抱いてやってくださいな。とても可愛い姫さまですよ」
と侍女頭が何度も部屋を訪れたが、断った。
愛しい、と思える自信がまったくなかった。この子が王子であったなら、と思ってしまうのが怖くて、顔など見たくなかった。
セレスがいなくとも数人の乳母が育てているのだから、そのほうがいいではないか、と思う。
そして、あれだけ足しげく後宮に通ってきていたレーヴィスが、ぱたりと姿を見せなくなった。
「陛下は?」
侍女頭に問うと、彼女は困ったように眉尻を下げる。
「陛下は、今はお忙しくて……」
本当だろうか。子を産めなくなった女など、もう必要ないのではないか。だからもう、優しくしなくてもいいと思っているのではないだろうか。
それを確かめたくて、セレスはヒルダを連れてこっそりと王室へ向かった。
後宮を出たとたん、すれ違う人が皆、セレスを嘲笑しているような気がして仕方がなかった。
世継ぎを産めぬ王妃など必要ない、と嘲られているような気がして仕方がなかった。
びくびくと廊下の端を歩いていると、後宮を出てすぐ、人の声がした。動けなくなってその場で立ちすくんでいると、それがレーヴィスの声だと気付いた。
慌てて柱の陰に身を隠す。
「その話はもう聞き飽きた。何度同じことを言わせれば気が済むんだ」
「何度会議を開いても、陛下がのらりくらりと躱されるからです」
「のらりくらり? 私はきっぱりと断っているつもりだが」
「セレス妃殿下では、もうお世継ぎを望めません。早急に側室を迎えるべきです」
私のことだ、と肩が跳ねた。
側室? もう? セレスが輿入れして、まだ一年過ぎたところではないか。出産だってしたばかりだ。なのにもう、側室だなんて話が出ているのだ。
血の気が引いた。足が震えた。
そんなのは嫌だ。世界で一番幸せな女は自分だと信じていられたのに。
身体を損ねたことで、一気に地獄に落とされる。
お父さまに文を出して、国に帰りたいとお願いしてみようか、こんなところにいたくない、ここでは幸せになれない、などと考え始めたとき、レーヴィスの言葉が耳に飛び込んで来た。
「もちろん、いずれはそうしなければならないだろうが」
やっぱり。彼もそう思っているのだ。
「けれど今は駄目だ」
「陛下!」
「セレスには納得してもらいたい。それまでは待とう。彼女の傷も深かろうし」
「いやしかし」
食い下がる大臣を振り切ろうとしているので、セレスは慌てて身を翻した。
ドレスの裾を思い切り上げて、駆け出す。ヒルダも黙ってついてきた。
部屋に到着すると、荒れた息をなんとか整える。
間一髪、だろうか。久しぶりにレーヴィスが部屋を訪れた。
寝所に通すと、彼はベッドの端に腰掛けて、セレスを横に座らせる。
「身体の具合は?」
「ええ、もう、かなり良くなりました」
そう返してなんとか口角を持ち上げると、彼は手を伸ばしてきてセレスの手を握った。
「無理はしなくていい。今は身体を休めることだけ考えてくれれば」
その優しい手と言葉に、じわりと涙が浮かぶ。そしてそれは、ぱたぱたと握った手に落ちた。
言ってはいけない。こんなことを言っても、彼を困らせるだけ。
なのにどうしても止められなかった。
「陛下……わたくし、側室だなんて我慢なりません」
彼は驚いたように身じろぐ。
「どうしてそんなことを」
「だってわたくし、もう、お世継ぎは望めない。わたくしが産めないのなら、側室を迎えられるのでしょう? そんなの、耐えられない……」
そしてレーヴィスに抱きついて泣いた。彼は戸惑うように、優しく抱き返してきてくれる。
「最近こちらに来なかったから、不安にさせたのか? すまない、今は忙しくて」
そうだろう。セレスが身体を損ねたから、そのことで立て込んでいるのだ。さきほど大臣が話していたように、何度も会議が開かれて、そのたびに側室を迎えるようにと進言されている。そしてきっとあちこちから、ぜひ自分の息のかかった娘を、と薦められている。
それを拒否し続けてくれているのだ。
「陛下、愛しています。だから、わたくしを離さないで」
「ああ、大丈夫だ。大丈夫だから」
そうして抱き締めてくれた。そして口づけをくれた。
◇
実際その後、本当に二度と妊娠することはなかった。なにかの間違いであって欲しいという願いは届かなかった。
一縷の望みは、完全に断たれた。
彼だけ。セレスには、レーヴィスだけなのだ。
絶対に手放さない。誰にも渡しはしない。彼の優しさはセレスだけのものだ。
愛とは、そういうものでしょう?




