表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の微笑 ~略奪された王女と独善の王~  作者: 新道 梨果子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/62

20. 夜に、棄て去る

 こらえきれない涙と嗚咽。人前で涙など流してはいけない。いけないのに。

 けれど、自分自身の意思とは裏腹に、瞳から零れ落ちる涙は留まることを知らない。


『王女たるもの、人前で涙など見せてはならぬ』


 父はいつもそう諭してきた。だから、今までどんなに辛くとも歯を食いしばり、涙を誰にも見せずにいた。


 でも。もう、いいのだ。なぜならサーリアは王女ではないのだ。もうエルフィはどこにもないのだ。

 そう思ったときに、箍が外れた。わあわあと声を上げて泣いた。だだをこねる子どものように泣いた。


 帰るところなどもうどこにもない。どこにも行けない。なにもできはしない。

 神などいないのに、どうして愛でられるだなんて言えるのだろう? 自分は無力で、なにも守れなくて、愚かな一人の人間でしかない。

 今まで抑え込んでいた感情が、涙とともに一気に溢れ出してきたような感覚がした。

 いなくなってしまいたい。なにもかも棄ててしまいたい。……死んでしまいたい。


「悪かった」


 そうレーヴィスの声がしたかと思うと、ふわりと抱き締められる感触がした。


「そう、泣くな。追い詰め過ぎた。私が悪かった」


 なぜだろう。その腕の中は温かかった。なにもかも投げ出してしまいたいほどに。

 サーリアはぎこちなく彼の背中に腕を回して、そしてしがみついて声を上げて哀哭する。

 今まで寂しかったとそのとき気付いた。父親が娘にするように、誰かにこうして抱き締めて欲しかったのだ。

 誰だっていい。それが、憎い男であっても。人肌を感じれば、悲しみは遠のいていくから。


「お父さま……お父さま……!」


 どうしてなの? 私は逃げたくはなかった。一緒に考えて、一緒に戦いたかった。

 私はいつでも、そこにいればいいのだ、と祀り上げられるだけの王女だった。微笑みを向けてくれるだけでいい、と望まれるだけの女だった。

 なんて無力で、なんて愚かな存在だろう。美しいともてはやされて、『神に愛でられし乙女』と呼ばれて、それがいったい何になるというのか。

 なにもできはしない。今、こうして、泣くことしか。


 レーヴィスはただ黙ってサーリアを抱き締めて、そして時折、背中をぽんぽんと叩いた。それにひどく安心して、涙は次第に収まってきた。このまま人の温もりを感じていたい、と思う。


「どうしてですか?」

「え?」

「どうして……抱かないのですか?」


 その問い掛けに、レーヴィスの身体が震えたのがわかった。


「私、なにも選べない。誰も私になにが起こっているのか教えてくれない。もしその親書を私が受け取っていたら、結果はどうあれ、私は自分で選べたのに……」


 自分の知らないところで事が起きて、そして事が終わる。その中心にいるのは自分なのに。


「今となっては、自分の死すら選ぶことができない」


 そう零すと身体を少し離して、レーヴィスの顔を見上げる。

 彼は哀れむような目で、サーリアを見つめていた。


「あなたが言ったのに。お世継ぎを産みさえすれば、殺してやるって」


 そうしたら解放される。すべての苦しみから。

 今まで誰もがサーリアのことを神の愛し子として大切に扱ってきた。

 違うのは、この男だけだ。彼にとってサーリアは、世継ぎを産むだけの女だ。

 きっとこの世でサーリアに剣を向けられるのは、この男だけなのだ。


「なのにどうしてその選択すら私から奪うの? 私に傷があるから?」

「傷?」

「胸の……傷」


 剣を突き刺したその場所を、寝衣の上から手で押さえる。自分自身で付けた醜い傷跡。それは彼女の胸に残ったままだ。なにかを忘れないためでもあるかのように、一生消えることはないだろう。


「それは違う」


 少し慌てたように、彼は否定した。


「ではどうして?」

「それは……すまない、私自身の問題だ」

「その問題は、解決しますか?」


 首を傾げてそう問うと、レーヴィスは困ったように眉尻を下げた。

 なんだかおかしい。頭がぼうっとしている。もうなにも考えたくない。ただただ楽なほうへと流されたい。


「お願い」


 なにもかも、棄て去ってしまいたい。


「私に、死を」


 そう懇願すると、レーヴィスは強く彼女を抱き締めてきた。サーリアは瞳を閉じ、背中に回す手に力を込める。


 もっと、身体が折れるほど、抱き締めて欲しい。

 そう願い、そしてそれは叶えられたのだ。


   ◇


 窓から差し込む陽の光に、眠りを妨げられる。


「朝……」


 レーヴィスは腕をかざして、目に飛び込む朝の光を遮った。まだぼんやりとしたままの頭でふと横を見ると、サーリアはそこにいなかった。

 そこで瞬時にしてはっきりと目が覚め、慌てて半身を起こす。


 今まで女の部屋で熟睡することなどなかった。自分自身の失態に軽く舌打ちして、少女がいたはずのベッドを眺める。そこで眠っていたことも疑わしいほどに、シーツは綺麗に整えられていた。


 昨夜、確かにこの腕でサーリアを抱いた。彼女は腕の中で微かに震えながらレーヴィスを受け入れたのだ。


 ふと、枕元に置かれた自分の長剣が目に入った。

 ぞっとする。どうしてここまで気を抜いてしまったのか。


 レーヴィスは立ち上がると簡単に身支度を整え、隣室に向かう。

 そこに彼女はいた。レーヴィスの気配に気付くと、座っていた椅子から立ち上がり、頭を下げる。


「おはようございます」


 その瞳は妙に冷めていた。


「……おはよう」


 レーヴィスはその様子に眉をひそめると、サーリアの向かいの椅子に腰掛ける。

 彼女は少し首を傾げて尋ねてくる。


「朝食はこちらで?」

「いや、王室に用意されているだろう」

「そうですか」


 今までとまったく変わらない遣り取り。昨夜抱いた女とは思えない。

 彼の知る限り、一度抱けば女は必要以上に身体を寄せてくるものだった。


「使わなかったのだな」


 そう口にすると、サーリアはこちらをじっと見つめてきた。


「使ったほうがよろしかったでしょうか」

「……いや」


 まさか、情が湧いたなどということはないだろう。そうであれば、今、そんな冷ややかな瞳を向けはしない。

 つまり昨晩のことは、彼女にとって、契約の一環でしかなかったということだ。


   ◇


 部屋を出て行く男の背中を見送って、昨夜のことを思い返す。

 無防備に眠る男にどうして剣を突き立てなかったのか。そんな風に殺されることを哀れに思ったのか。

 違う。サーリアはただ、自分の手を汚したくなかったのだ。

 自分の手で人を殺してしまうことが、怖くて仕方なかっただけなのだ。


 それだけなのだ。それ以外にはないはずなのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ