16. 略奪の理由
羽根ペンを走らせ、手紙を書き終える。
やはり当たり障りのないことしか書けなかった。今のサーリアに、叔母に伝えられるようなことなど何もない。ただ、元気です、と。叔母さまもお元気そうでなによりです、とそれだけだ。
どうせ検閲を通る。サーリアは封筒に便箋を入れ、封をせずにベスタにそれを手渡した。
少し重い気分のまま、窓辺に手を掛けて外を眺めた。思いとは反して、空は青く澄みきっている。
「いい天気が続いているわね」
他愛なく、侍女に話し掛ける。
「そうですね」
侍女の返事に少し翳りがあったことに、そのときのサーリアは気付けなかった。
「アダルベラスは、ずいぶんと雨が降らない国なのね」
「え……」
侍女が黙り込んでしまったので、そちらを振り向く。
「いかがして?」
侍女は、近くにいたもう一人の侍女と顔を見合わせる。どう伝えればいいのか迷っているようだった。
「あの……サーリアさまはご存知ありませんでしたか?」
「なにを?」
侍女の問いに首を傾げる。その様子を見て、侍女たちは再び顔を見合わせてから、口を開く。
「私どもはエルフィに行ったことはございませんが、おそらく、降雨量はさほど変わらないかと思われます」
「え? だって……」
サーリアがアダルベラスにやって来てから、まとまった雨が降っているのを見たことがない。エルフィでは考えられないことだ。
侍女は意を決したかのように、ぱっと顔を上げ、サーリアを見据える。
「我が国は今、干ばつに苦しんでおります」
その言葉に二の句が継げなくなった。
侍女たちは目を伏せ、続ける。
「もうずいぶんと雨が降っておりませんの。夕立程度なら、降ることもあるのですが」
「各地の貯水池の水がまだありますから、飢饉とまでは言えないようなのですけれど」
「そうだったの……」
隣国でありながら、エルフィでは雨はいつもと変わらず大地に降り注いでいた。
そういった不安な情報を迂闊に他国に知られたくなかったのかもしれないが、サーリアの耳にその話は届いていなかった。
そういえば、エルフィ城が落とされた日、城外に出たとき。兵士たちが雨の降る空を呆然と眺めていた。あれはもしや、羨望の眼差しではなかったか。
「ごめんなさい。知らぬこととはいえ、無神経なことを」
そう謝罪すると、侍女たちは慌てて手のひらをこちらに向けてそれを制した。
「サーリアさまが恐縮されるようなことではありませんわ。まだ井戸の水が枯れたわけでもありませんし」
「そうですわ。それに、サーリアさまがいらしてくださるから、きっと雨も降りましょう」
「……え」
侍女たちは、自分たちの発した言葉がサーリアの心に波紋を起こしたことに気付かない。
サーリアがいるから。雨が降る。エルフィと同じように。
レーヴィスがサーリアに告げた言葉たちが彼女の脳裏に鮮やかに蘇る。
『私に必要なのは、私を愛してくれる女性よりも、『神に愛でられし乙女』だ』
『人は、弱い』
ああ。繋がった。それこそが、サーリアを必要とした理由。戦の、原因。
◇
「どうぞ、お入りになって」
いつもは憂鬱な顔をして自分を招き入れる女が、今日に限って侍女に促されることもないまま、寝所への扉を開けた。
不審に思えて、レーヴィスは腰に佩いた長剣を外すことができなかった。
「姫、なにかあったか?」
「いいえ、なにも。ただ、以前に与えられた課題の答え合わせを、と」
「課題……」
記憶を辿る。そして思い当たると、中に入ってベッドの端に腰掛けた。
「では答えを聞かせてもらおうか」
サーリアはレーヴィスの前に佇んだまま、言葉を紡ぎ始める。
「私には、雨乞いの能力はありません」
「だろうな」
そんな人知を超えた能力が、この世にあるだなんて考えているわけではない。
「わかっていて……どうして?」
彼女の声が荒くなってくる。美しい顔が苦悶に歪む。
「どうして攻め込んだのですか? エルフィが水に恵まれているのは、私がいたからではないのに」
「答えは、わかったのだろう?」
「ええ! 私がいたから戦が起こったということが!」
◇
サーリアが生まれたその年に金脈が見つかったとき、人々は口々に賛辞を呈した。
『神に愛でられし乙女の生誕を祝福なさって、神が祝儀をくださった』
『神に愛でられし乙女がエルフィに富をくだされた』
そんなことはただの偶然だ。サーリアはなにもしていない。
なのに彼女が生まれてから起きたすべてのエルフィの奇跡に、『神に愛でられし乙女』がエルフィにいるからだ、と理由付けられた。そして感謝の言葉を贈られる。サーリアにとって、それは居心地の悪いものだった。
今回だってそうだ。アダルベラスに雨は降らず、エルフィには降る。
きっとこんな噂が広がったのだ。エルフィには『神に愛でられし乙女』がいるからだ、と。
「商人や吟遊詩人が面白おかしく、あっという間に国中に広めてくれたよ。『神に愛でられし乙女』のいる国は、天災を知らず美しいとな」
レーヴィスは吐き棄てるようにそう語った。
人は、弱い。そんな噂に惑わされ、一喜一憂するものだ。
「すると、隣国であるエルフィとのこの差はなんだ、という話になった。『神に愛でられし乙女』を迎えるべきだ、と各所から意見が出てな。くだらぬことと一蹴したかったが、もう狂乱と言ってもいい状態で」
そして深く長いため息をつき、続けた。
「だから、そなたが必要になった」
「でも私を略奪したところでアダルベラスに雨は降らない! 私にはなにもできない!」
現に今も、雨は降っていない。
「雨が降らなければ人々はどう思うでしょう? 『神に愛でられし乙女』を連れてきたのになぜ? そして思い至るでしょう。王女を略奪などしてきたから神がお怒りになっている、と。あなた方のしたことは、裏目に出るのです!」
「このままだと、そうだろうな」
レーヴィスは冷めた声でそう返してくる。そんなことは指摘されずともわかっている、とでも言いたげだった。
それにカッと頭に血が上る。怒りに身体が震えた。罵倒せずにはいられなかった。
「では、課題の答えを言って差し上げますわ。戦の原因は、愚かなあなた方の政策の失敗です!」
「もちろんそれもある。が、正解、ではないな」
サーリアの語気の荒さとは対照的に、レーヴィスはいたって冷静にそう答えた。