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14. 胸の傷

 そして二人の背中が見えなくなると室内に戻る。すると一人の侍女がテーブルの上を片付け始めていて、それを眺めているとふいに思いついた。

 さきほどから頭に浮かんでいる疑問を彼女に訊いてみようか、と考える。


 ご正室はいったいどのような方なのだろう?


 ヴィスティの言葉を聞く限りでは、温厚な気性ではないように思われる。レーヴィスの話からも、嫉妬深いところがあるようだ。

 今まではなんとも思っていなかったが、にわかに気になり始めた。こんなことを訊くのは癪な気もするが、すっきりしたい気持ちが勝つ。


「……伺っても、よろしくて?」


 ためらいつつも侍女に背中から話し掛けると、彼女は振り向いて畏まった。


「はい、なんでございましょう」


 しかしどう質問すればいいのかわからなくなって口ごもる。侍女は、サーリアから話し掛けるのは珍しいことだからか、根気強く彼女の言葉を待っていた。

 申し訳ないような気持ちになり、意を決して疑問を発する。


「ええと……王妃殿下はどのようなお方なのかしら? あなたは王妃殿下をご存知?」

「ああ、陽の君……あ、いえ、セレス妃殿下ですか」


 少し考え込んでから、侍女は口を開いた。


「今からお話することはご内密に」


 内密? そんな大層な話なのだろうか。正室の人となりを聞きたいだけなのに。


「ええ、もちろん」


 釈然としないまま、けれどサーリアが頷くと、侍女は声をひそめて話し出した。


「セレス妃殿下は、その、お美しい方ですけれども……少しお高くとまってらっしゃるというか、はっきり申し上げて、私は好きにはなれませんわ」

「そ、そう……」


 侍女の勢いに気圧されて、思わず身を引いた。


「陛下の前ではずいぶんと可愛らしいお顔をなさっているようですけれど。ああ、私、王妃殿下の侍女もしておりましたの。ですから存じ上げておりますのよ。でも私たちのような下賎な者とは口も利きたくないといった風情で」

「下賎な者……」


 王城に勤めている侍女たちは、重臣の娘であったり、貴族であったりする者たちばかりだという。その彼女たちを『下賎な者』扱い?


「そう! そうなんですの。大国の王女かどうか知りませんけれど」

「わかりますわ」


 そう口を挟んだのは、二人の会話を聞いていたのか、他の侍女だった。

 あれよあれよという間に、全員の侍女がサーリアの周りに集まる。


「あれでは王女殿下がお可哀想ですわ」

「とても母親とは思えませんの。なにもかも侍女と乳母に任せっきり」

「ヴィスティ殿下の母親はベスタさまと言っても過言ではありませんの」


 侍女たちの不満は留まるところを知らないかのように、彼女たちの口から溢れ出る。


「……わかったわ。もう、いいわ」


 これ以上聞いていると、きっともっと酷い言葉が語られる。それは聞きたくなかったし、言わせたくもなかった。


「サーリアさま。私どもは、是非ともサーリアさまに国母になっていただきたいと願っております」

「そう……」

「影ながら応援させていただきますわ」

「それは……どうも、ありがとう……」


 他に返しようがなく、戸惑いつつもそう答える。

 その返答を聞くと侍女たちは満足したように頷いたのだった。


   ◇


 その夜、言われた通り、レーヴィスがサーリアの部屋を訪れてきた。

 応援する、と宣言した侍女たちには悪いが、サーリアにとって嬉しいことではない。

 寝所に男を招き入れ、ベッドの端に二人して腰掛ける。


「どうだ、我が姫は可愛いだろう?」

「ええ、とてもお可愛らしいですわね」


 サーリアの賛同を聞くと、男は口元をほころばせる。

 ほら。自分には見せたことのない、そんな穏やかな表情をする。


 そこまで考えて、ハッとした。

 心に湧き上がった思いもよらぬ感情。慌てて小さく首を振る。

 いや、当たり前ではないか。彼にとってサーリアは、世継ぎを産むだけの女だ。なによりも大事にしているらしい一人娘のことでは、破顔してしまうだけの話だ。

 どちらが彼の本当の表情なのかなどと、考えるだけ無駄なことだ。


「姫?」


 少しの間思案していると、それを不審に思ったのか、レーヴィスに呼び掛けられる。


「あ、いえ、なんでもありません」


 うろたえながら手を振る。彼は少し眉をひそめたが、それ以上はなにも問うてこなかった。


 そして、ふと肩を抱かれる。それに一瞬身体が震えた。

 彼が無言で唇を寄せる。唇が触れ合った瞬間に、サーリアの心がどこか遠くに離れていくような気がした。


 愛情のない触れ合い。それはなんと虚しいことだろうか。

 それが親子間の親愛の情としても、レーヴィスとヴィスティの触れ合いはなんと微笑ましかったことか。

 そしてこれから行われる行為がなんと穢れたものであることか。

 契約のために抱かれるのなら、それは商売女のやっていることとなんら変わりないことではないのだろうか。


「姫」


 ふと、耳元で囁かれた。


「すまないが、横になるだけでも?」

「ええ。あの……」

「そなたのせいではない」


 言うが早いか、身体を横たえる。

 世継ぎを欲しがっているはずなのに、なぜ抱かないのだろう? ありがたいことではあるけれど。

 ……いや、駄目だ。それではいけない。もう覚悟は決めたはずだ。世継ぎの王子を産まなければ、エルフィの民の安寧は保証されない。

 そして、死ぬこともできない。

 それがサーリアの生きる意味であるはずだ。


 サーリアはなぜかそのとき、胸の傷が痛んだのを感じた。一生消えることのない、自分自身で付けた傷。

 抱かないのは、私になにか欠けているからなのだろうか? 急にそんな不安が訪れる。


 結局、その夜も一睡もすることなく、レーヴィスは部屋を出て行った。

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