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13. 見せたことのない表情

 テーブルの上には、少女の味覚に合うであろう甘い茶菓子が置かれた。

 実際のところ、それらは侍女たちが休憩の際に歓談しながらつまむものなのだろう。

 サーリア自身は普段はこういった茶菓子は口にしない。だから用意などはなかったはずで、急遽、彼女らのおやつが使われたと思われる。


「ありがとう」


 サーリアはそれを察して、茶菓子を出したパメラに微笑みかけた。


「い、いえ」


 パメラは一瞬身を引いたあと、ぱたぱたと奥に引っ込んでしまった。

 やはり急な客人に、慌ただしくさせてしまったのだろうか。サーリアを訪れる人など今までいなかったから、不測の事態の対応は難しいのかもしれない。


「月の君は」


 ふとヴィスティが呼び掛けてくる。


「噂とはとても感じが違われるわ」

「噂?」

「そうよ。もっと冷たい方かと思っていたわ」


 決して微笑まない側室。いつも冷めた瞳をした彫像のごとくの容貌。

 それは、彼女を「月の君」と称したことに顕著に表れているようにも思われた。


「そう。私は冷たい者かもしれません。今こうして殿下に笑いかけているのも演技かもしれませんよ。お気を付けあそばして?」


 ふふ、と笑いながらおどけてみせると、少女も笑顔を見せた。

 実のところこの少女の前では、辛い過去もひと時だけ忘れられるような気がしているのだ。

 エルフィとアダルベラスという国の垣根を越えて。


「いかがです? 視察の感想は」


 ヴィスティは用意された茶菓子を頬張りながら、サーリアの質問に反応して、きょろきょろと辺りを見回す。


「えっと、素敵なお部屋よ」


 そう慌てたように感想を述べる。そもそも視察など方便なのだから、さして特別な感想は出て来ないのかもしれない。


 そのときだ。


「おや、小さな客人がいらっしゃるようだ」


 その声に、部屋にいた全員が入り口のほうに顔を向けた。

 レーヴィスが扉にもたれかかるようにして、こちらを眺めている。


「お父さま!」


 ヴィスティは言うが早いか椅子から転げるように立ち上がり、一目散に駆け出して父親の足に飛びつくように抱きついた。


「どうした、我が姫。なぜここに?」


 彼は目を細めて少女を抱き上げ、その髪を撫でる。


「ずいぶんと久しぶりだな、ヴィスティ」

「つい三日前にはお会いしたわ、お父さま」

「そうだったか? もう一月ひとつきは会っていない気がする」

「お父さまったら」


 嬉しそうに、その首にぎゅっと抱きつく。それを受けて、はははと声を上げて笑いながら、レーヴィスはくるくるとその場を回ってみせた。きゃっきゃっとはしゃいだ声を出して、ヴィスティはさらに首に抱きついている。


 唖然とする。レーヴィスがそんな風に子どもと対するとは思ってもみなかった。なんと微笑ましい父と娘のじゃれ合いだろうか。


 父も、サーリアが幼い頃はあんな風だったと思う。人目も憚らず、サーリアを抱き締めてくれていた。いつしか父娘の距離は遠くなってしまっていたけれど。

 子どもの頃の記憶を思い出したからなのか、自分で自分を抱くように、右手で左腕の肘の辺りを触ってしまっていた。

 そのとき、ふいに気付いてしまう。もう、いない。抱き締めてくれる人は、もういないのだと。サーリアは、一人だ。

 そう考えているうち、急速に身体が冷えていく感覚がした。


 ヴィスティは明るい声で父親に話し掛けている。


「あのね、中庭をお散歩していたら月の君に会って、それでご招待いただいたのよ。お菓子もいただいたわ」

「それはよかったな」


 答えながら頬をすりよせている。

 この男も父親なのだ、と思うとなにか複雑で不思議な感情が湧いてくる。


 サーリアは小さく息を吐くと椅子から立ち上がり、二人に歩み寄った。

 その顔を見ていた侍女たちが落胆した表情を浮かべていることには、サーリアは気付けない。


「いかがなさいました、陛下。急に来られるなんて」

「いや、妃の侍女たちが姫を探していたからな。もしやと思って」

「陛下自ら?」

「もちろん、そなたの顔が見たいというのもあった」

「……戯言を」


 サーリアの言葉にレーヴィスは特に返事はせず、皮肉げな笑みを浮かべた。


「お父さま? 月の君はとても柔らかくお笑いになられるのよ」


 ここで起こったすべてをしゃべりたいのか、少女は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 その報告にレーヴィスは少し目を瞠り、娘の顔に視線を移す。


「微笑んでいただいたのか」

「そうよ」


 そしてこちらを振り返ったかと思うと、口を開いた。


「ありがとう」

「え?」


 突然にレーヴィスの舌に乗せられた感謝の言葉に面食らう。


「ヴィスティに微笑んでくれて。そなたの微笑みは見る者を幸せにするというからな。我が姫に幸せをくれたのか」

「そんな……」

「私も見てみたいものだ。笑っているところなど見たことがない」


 それは無理だ、と心の中で思う。さすがにそんな気にはなれない。


「お父さま、それはお父さまが意地悪ばかりされているのよ、きっと」

「そうか?」


 ヴィスティの指摘に、レーヴィスは苦笑する。

 そしてふいにこちらに空いた手を伸ばしてきた。まったく予想していなくて、避けることができなかった。

 人差し指を立てて、サーリアの眉間を何度か擦る。


「なっ」


 慌てて飛び退いて、自分の手で眉間を隠す。それを見てレーヴィスは、にやりと口の端を上げた。


「私の前では、いつもそこに皺を寄せている」


 眉間に手を置いたまま呆然とその姿を眺めていると、ヴィスティがこれみよがしにため息をついた。


「ほらあ、月の君が困っていらっしゃるわ。意地悪してはだめ」

「そうか、我が姫がそう言うなら今度から気を付けよう」


 そう感情の乗っていない軽い声を出しながら、ヴィスティを両腕で抱き直す。


「また来る」


 そして短くサーリアにそう告げた。それはたぶん、今夜、渡って来るという意味だろう。

 娘の前だから、それだけしか口にできなかったのだ。


「……お待ちしております」


 低い声でそう答えると、レーヴィスは軽く頷き、そして背中を向けた。


「では部屋に帰ろうか、ヴィスティ」

「またね、月の君。楽しかったわ」


 レーヴィスの背中越しに、ヴィスティが手を振ってくる。


「ええ、殿下、また」


 笑顔になって、そう手を振り返す。彼は背中を向けたままだから、見られてはいないだろう。

 二人の背中を見送ったあと、ため息が漏れた。


 自分だって、私に見せたことのない表情をしていたくせに。

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