12. アダルベラス王女
それは少女が先日、水疱瘡にかかってしまったときのことだ。
長く続く高熱と、全身の痒み。少女にとってそれは耐えがたい苦痛だった。
幼い頃にすでに罹患していた者ならいいが、そうでない者も侍女たちの中には結構おり、少女の周りはいつもにも増して静かだった。
寂しかった。もしやこのまま死んでしまうのではないかと思ってしまうほど。
「お母さま……」
朦朧とする意識の中で、母を呼んだ。
普通の家庭の親子がどんなものであるかは知らないが、王女である少女は母に甘えることが許されなかった。
でも、今なら。病気で苦しんでいる今なら、母もきっと優しく頭を撫でてくれるだろうと思ったのだ。
見かねたベスタが少女の母を呼んでくれた。
しかし呼ばれた王妃は、少女の全身の発疹を見るなり吐き棄てたのだ。
「まあ、なんて汚らしいのでしょう」
そのときの周りの状況や、皆がなんと応じたかは覚えてはいない。
けれど、母のその言葉だけは今でもはっきりと思い出せるのだ。
◇
「お母さまは、私がお嫌いなの。私が女だったから……私のせいで世継ぎが望めなくなったから……」
そう続けて、少女はまたぼろぼろと涙を零した。
違う、とすぐさま返事してあげられればよかった。しかし、病気で苦しむ娘にそんな言葉を投げかける母親がこの世にいるのかと、言葉を失ってしまったのだ。
サーリアは手を伸ばし、なるべく優しく王女の栗色の髪を撫でる。
「お世継ぎを望めなくなったのは、誰かのせいではありません。ましてや殿下のせいだなんてありえません」
「でも……」
「殿下のせいではありません」
それだけは断言できた。そんな馬鹿な話があるはずがない。
けれど王女はそれだけでは悩みを払拭できないのか、さらに続けた。
「それにね、お母さまは汚らしいものがお嫌いなの。私がもっと美しかったら、お母さまも私をお好きになってくださったのかも」
これが本当に、こんな幼い少女の頭を悩ませていることなのだろうか?
大国アダルベラスの王女。はた目にはこれほど恵まれた環境はないだろうと思われるのに。
サーリアは少し考えてから、そして少女を覗き込むようにして問い掛ける。
「殿下は私を美しいと仰ってくださいましたね」
「え、……うん」
「では王妃殿下は私を好いてくださっているのでしょうか」
突然のサーリアの質問に、少女は答えられず口ごもる。
「それは……」
「こうは考えられませんか? もしや妃殿下は、殿下に妬いていらっしゃるのかも。あまりに可愛らしいから」
そう悪戯っぽく話すと、少女は涙顔で笑った。
「お父さまを取られるかもしれないって?」
「そう」
「私が可愛らしいから?」
「そう。私が保証しましょう。殿下にはいずれ、近隣諸国の王子たちがこぞって求婚なさいますわ」
「……それはそれで大変だわ」
少女は真顔でそう返してくると、鼻の頭に皺を寄せた。
しばらく無言で二人は見つめ合い、そしてどちらからともなく、声を出して笑い合った。
ひとしきり笑って、そしてその笑いが収まった頃、サーリアはぱんと両手を合わせて、こう持ち出した。
「そうだわ、殿下。こんなところではなんですから、私の部屋にいらっしゃらない?」
「え」
「そうなさったらいいわ」
言うが早いかサーリアは立ち上がり、手を差し伸べた。
少女は一度は手を伸ばしたが、すぐにその手を引っ込める。
「でも……」
「敵情視察は必要でしょう?」
察して理由を与えてやると、少女はぱっと顔を輝かせ、手を伸ばした。
「そうね。月の君のお部屋がどんなものなのか、私が見て差し上げるわ」
◇
「まあ! ヴィスティ殿下でしたの!」
部屋に帰ってきたサーリアを見て、侍女たちは一様にほっとしたような表情を浮かべたが、同時に彼女の背後からこっそりと顔を出した少女を見て、驚きの声を上げた。
同じ後宮内にはいるが、場所的に二人の妃の部屋は対極に位置する。まさか王女殿下の泣き声だとは想像だにできなかったのだ。
「殿下は独断で視察に来られていたのよ」
サーリアが笑みを浮かべてそう話すと、侍女たちはすべてを察したらしく、頷いた。
今日ここに来たことは、王妃の知らぬことと。
「なにかお出しして差し上げて」
「かしこまりました」
サーリアの指示に侍女たちは礼をすると、もてなしの準備を始めた。
◇
「見まして?」
「見ましたわ」
お茶や茶菓子の準備をしながら、侍女たちは炊事場でこそこそと話し合った。
なんだろう、とパメラもその輪の中に入る。
「どうかしたんですか?」
「パメラもあとで見に行ったらいいわよ。本当にびっくりしちゃうもの」
先輩侍女が興奮気味にそんなことを話す。
「王女殿下が来られたんですよね?」
「もちろんそれも驚いたけど。それよりもなによりも」
続けて、侍女たちは自分の頬に手を当てて目を閉じた。
「サーリアさまが」
「微笑んでいらしたわ」
うっとりとして、そう語る。
「あんなに柔らかく微笑んでいらっしゃるなんて」
「女の私ですら、少し惚れ惚れしましたわ」
頬を紅潮させて、ほう、と息を吐く。憧れてやまない殿方にでも会ったのか、という表情だった。
微笑みひとつでそこまで絶賛されるようになるとは、いくら美女であってもありえないのではないか、とパメラは首を傾げる。
いつも硬い表情をしているから、少し大げさに見えているだけなのではないか。そりゃあ、美しいには違いないだろうけれど。
「あれでは陛下のご寵愛を一身に受けるのはサーリアさまに間違いないでしょうね」
「じゃあ、こちらが正室になるのも時間の問題かしら?」
「事実上はね。なんといってもあちらは後ろ盾がお強いから」
「でも、お世継ぎをあげてしまえば国母はサーリアさまだわ」
「そうなると、私たちの扱いも変わるかも?」
「なるわよ、きっと!」
興奮気味に侍女たちが口さがなく話し合っている。
その勢いに、パメラは少し気圧された。
「しっ。口を慎みましょう。王女殿下がいらっしゃるのに」
一人の侍女が人差し指を口元に当てて窘めると、周りの侍女たちも慌てて口元を押さえた。
「ほらっ、パメラも見てきなさいよ」
お茶とお茶菓子が乗った盆を押し付けられ、パメラは首を捻りながらも、炊事場を出て客室へと向かった。