Ⅶ
果たして。
そこは、異世界だった。
異世界な感じが強すぎて、驚く間もなく納得してしまう。漫画やアニメなんかでよく見る「異世界」が、確かにここには存在していた。
神も仏も輪廻転生も運命も人間も信じていない私でも、どうやら異世界は信じざるを得ないようだ。
ぼんやりとした意識の中でそんなことを考えながら、寝そべった体勢のまま辺りを見回す。円形の部屋の壁に沿うように並べられた本棚は皆、どこまでも高い天井にまで届いており、光源は吊るされたシャンデリアのみ。薄暗い部屋だが、部屋の中心にある丸テーブルに蝋燭立てがあるのを見ると、本を読むときは蝋燭を点けているのだろうか。床は赤いカーペットで、テーブルの周りには椅子が六脚置かれている。
・・・・・・・・・。
「ここはどこっ!?」
がばっと身体を起こす。一体ここはどこなのか。まさかこれから勇者になって魔王討伐をしろとでもいうのだろうか。
「なに、ばかなことかんがえてるの。ぼさっとしてないでさっさとおきなさい。やかたのしょこだっていったでしょ。れんさまはとっくのとうにめをさましたよ」
「あ、ラピス。・・・・・・ごめん、取り乱して」
「きにしないでいいよ。そっちの、あたまのあったかいへんたいは、まだねてるんだから」
蓮は目を覚ましたが祐平は寝ている、と・・・・・・。
見ると確かに、私の隣で祐平が寝ていた。頭の温かい変態、ね。
「ここは書庫なの?」
「そう。げんそうかんのしょこ」
「げんそうかん?」
「うん、くろきむらくものやかた、おんよみしたらげんそうかん」
玄叢館。ゲンソウカン。
「こっちじゃみんなそうよぶよ。おもてのせかいではちがうみたいだけど」
「表の世界?」
「あんたたちのすんでたせかいのこと。・・・・・・あ、そうだ。こぱるのこと、しょうかいしてなかったね。あのほんだなの、うえのほうに、きんぱつのこがいるでしょ?」
「金髪の子・・・・・・いるね」
「あのこが、こぱる。・・・・・・こぱるー、おりてきなさい。おきゃくさんだよ」
ラピスが呼ぶと、コパルというらしい少女が梯子を伝って降りてきた。よく見ると、部屋のあちこちに梯子が立てかけられている。
「こぱる、このひとが、かのんおねーちゃん」
「かのんさま、ですか。いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました」
・・・・・・奏音様、とな。そう来たか。
「やかたはひろいから、ひとでぶそくでね。こぱるは、げんそうかんの、めいどでもあるの」
異世界で人手不足・・・・・・。
シビアな問題は、どこへ行っても同じなようである。
「ちなみに、こぱるは、あたしのいもうと。きんぱつようじょってわけ。のうないおはなばたけ、めをさましたら、なんていうかしら」
露骨に嫌そうな顔をしながら、祐平に不名誉なあだ名をつけるラピス。
脳内お花畑とは・・・・・・やはりこの少女、さらっと毒を吐く。平たく言えば毒舌だ。自分の妹を金髪幼女と吐かしやがった。
そしてコパルの方は、金髪金眼、それにラピスと色違いの金を基調としたロリータファッションという佇まいでじっとしている。メイドという職業柄、無口なのかもしれない。
「あたしはこのあと、しょもつのせいりをするの。このへやのむかいがわも、しょこでね。ほんのせいりがおわらないの。あたしのかんかつは、むこうのへやだしね。ここは、こぱるのかんかつだから、このあとは、こぱるからいろんなはなしをきいて。それで、じゅんびができたら、いったんあたしのへやによって。れんさまをひきわたすから」
書庫の番人にそれぞれの管轄があるらしい。しかしそうともなれば、コパルの仕事は相当多いに違いない。一人でこの部屋一個とメイドの仕事、と来たもんだ。
それにしても、蓮はラピスの部屋にいるのか・・・・・・。姉の権限でイケメンを横取りという訳か。それとも脳内お花畑を押し付けたのか? どちらであるにしろラピスは、良い姉とは言い難い。ラピスは(コパルの管轄の)書庫を出て行った。
「で・・・・・・コパル。えっと、はじめまして」
「はじめまして」
「色んな話って・・・・・・聞かせて貰えないかな」
「かしこまりました。ですが、さきにへんた・・・・・・いえ、ゆうへいさまをおこしましょう」
私は心の中で、「変態で合ってるよ!」と叫びながら、
「祐平、祐平。いつまで寝てるの。起きて」
と、祐平の頬をぺちぺち叩いた。本当は濡れティッシュを顔の上に乗せて起こしたかったのだが、水もティッシュも無いのでは仕方ない。
「う、うーん・・・・・・・・・はっ! ここはどこですか? まさか異世界? 勇者になって魔王討伐ですか! だったらパーティのメンバーは全員女の子で固めないとですね! 異世界ハーレムですよ!」
少し伸びをした後、一気にそう言う祐平。「勇者になって魔王討伐」までの思考回路がこのド変態と一緒だったと思うと、今すぐ音速、いや光速を超える速度でトイレに駆け込んで、胃の中身どころか内臓まで全部吐き出してやりたかった。
っていうか異世界ハーレムって。
ハーレムができるほどの人望もあるまい。
「ゆうへいさま、ようこそ『げんそうかん』へおいでくださいました。わたしは、らぴすのいもうとで、こぱるともうします。いご、よろしくおねがいいたします」
祐平が目を覚ましたのを見て頭を下げるコパル。こんな変態野郎を目の当たりにしてポーカーフェイスを保ったままでいられるなんて、いやはやメイドという職業はなんと精神力・平常心を鍛えられるものなのだろう。私だったらバレリーナも真っ青のターン(まわれみぎ)を決めて、館の主に辞表を叩きつけに行くところだ。
そんなメイドの苦労を知ってか知らずか(たぶん、いや絶対後者だ)、
「き・・・・・・き、金髪幼女! しかも妹! しかも・・・・・・メイドさん‼ 奏音先輩、僕、明日死んでも悔いは無いです! よろしくねー、コパルちゃん! いや、コパルたん! 君すごく可愛いね! 僕のお嫁に欲しいくらいだよ。僕のことは祐平お兄ちゃんって呼んでね!」
・・・・・・なんて期待を裏切らない奴だ。
私は無言のままコパルの傍へ寄り、頭を撫でた。「よくこの人外生物を蹴っ飛ばしたい衝動に耐えたね」というねぎらいの意味だ。コパルも意味を察したらしく、無言のまま軽く頭を下げる。
「あれ、奏音先輩もそういう趣味の方でした? コパルたんの頭なんか撫でたりして。っていうか、今ってどういう状況なんです?」
「祐平、歯ぁ食いしばれ」
「はぁくいしばってください。・・・・・・ともあれ、わたしのほうから、じょうきょうをせつめいいたします。ごしゅじんさま、つまりちーたすさまがいうには、かのんさま、あなたはしんゆうのふうかさまを、たすけにきたそうですね。わざわざごそくろういただき、ありがとうございます。では、このやかた、『げんそうかん』がどういうじょうきょうにあるのか、せつめいさせていただきます――」
コパルが言うには、この館では。
この館では、私たちの住んでいる世界――ここでは『表の世界』と呼んでいるらしいが――で噂されている通り、『生贄落札会』なるものが行われているらしい。では具体的に『生贄落札会』とはどういう物なのか・・・・・・と、いうと。
館に来た人間――自ら乗り込んでくる人、『この世の者ではない彼女』に連れてこられる人、不慮の事故で鳥居に行き当たってしまった人、過程はどうあれ館を訪れた人間――は、館内のあちこちに居る『鬼』に狙われる。そして捕まると――自らも『鬼』になるか、『生贄』になって『鬼』に喰われるか、するらしい。
「・・・・・・ん? ちょっと待って、コパル。その『鬼』になるか『生贄』になるかって、何で決まるの? あと『鬼』って具体的に、何? 『喰われる』って?」
「しつもんはひとつずつ、ですよ――ともあれ、どちらになるか、というのは、かんぜんにらんだむです。ちーたすさまのきまぐれです。あと『おに』になるとは、『いけにえ』をくわなければいきてゆけないからだになる、ということで、『くわれる』とはまあ、もじどおり、たべられる、しょくりょうにされる、とおもってくださってけっこうです。まあ『おに』だってたべなきゃいきてゆけませんからね。そうかんがえると、うすうすおさっしだとはおもいますが――かんぜんに、まんせいてきな『いけにえ』ぶそくです。ひらたくいえばしょくりょうきき、ですね。だから『いけにえりゃくだつかい』、それがへんかして『いけにえらくさつかい』なのです」
「食糧危機――ねぇ」
思った以上に命の軽い世界。人を食べなければ生きてゆけない体、どちらにせよ食われる運命の中で奪い合われる己の体。成る程『略奪会』な訳だ。
どちらの方がマシだろうか――と考えかけて、止めた。マシも何も無い。ついでに言えば救いも無いし、親友を助け出せる見込みも無い。あるのは残酷な事実と脳内お花畑と金髪幼女メイドとの攻防戦くらいのものだ。
「確か人肉って、美味しくないんでしたっけ? 酸味が強いとかなんとか」
「さすが呑気だねぇ、脳内お花畑。人肉もそうだし、基本的に肉食動物の肉全般が美味しくなかったと思うよ。たまに犬の肉とかって話は聞くけど」
「そうなんですかー。奏音先輩は物知りですね」
・・・・・・こんな話を聞いた直後とは思えない、牧歌的な会話。もしかしたら理解が追いついていないのかもしれない。祐平もそうだし、私もだ。きっと別室にいる蓮もそうなのだろう。
「ちなみに、コパル。私達はどっち?」
知ったところで救いが無いことには変わりないが、念のため質問しておく。
「あっ、いうのをわすれていました。もうしわけありません」
「いや、いいよ。で、どっちなの?」
「・・・・・・どちらでもありません」
・・・・・・・・・何だそれは。
例外? 特例? ちょっと気味が悪い。
「かのんさまたちは、いちおう、ちーたすさまのおきゃくさま、というかたちでいらっしゃっています。だから『おに』におそわれることもありません。このくっそきみわるいやかたのろうかを、どうどうとかっぽしてくださってだいじょうぶです」
客人扱い、か。
成る程。
堂々と闊歩――この、クッソ気味悪い館の廊下を。・・・・・・あれ?
おしとやかにるべきメイドに、あるまじき言葉遣いだった。
・・・・・・・・・・・・。
「え、じゃあ何? 私たちどうすればいいの? そのチータスって人に会えばいい訳?」
「いえ、かのんさまとゆうへいさまには、べつのしごとがあります」
コパルが言うには、その内容は――。
マップ無し! 装備無し! 食料配布無し! ついでに一切助力無し(スタート地点除く)!
名付けて『リアル鬼退治』、もちろんきびだんごなんてありません! 『鬼』百人殺せたら風花は無事生還します! いえーいっ‼
・・・・・・平たく言えば、殺人の依頼である。
「え、ちょ、待ってコパル!何、殺人犯になれって?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちーたすさまは、そうしろと」
この沈黙の長さが、事の大きさとイレギュラーさを何よりも雄弁に物語っている。
・・・・・・・・・・・・。
「百人、ですか・・・・・・。僕はともかく、奏音先輩には無理・・・・・・でもないと思いますよ」
「そうだよね、無理に決まってるよね! ・・・・・・あれ?」
「かつてのクラスメイトたちだと思えば、何とか――痛あぁぁぁッ!」
本気で殴った。グーの拳である。もちろん拳で鼓舞した訳ではないし、そんなつまらないことを言う気もない。・・・・・・もう言っているが。
「祐平。世の中には言っていいことと悪いことがある、なんて言う気はさらさら無いけどね、それを言っていい人と悪い人はいると思うんだ」
「・・・・・・すみません」
私は祐平を謝らせた割には無視し、コパルに尋ねる。
「――コパル。一応確認だけど、三人で百人殺せばいいんだよね? 一人百人ってことはないと思いたいよ、私は」
「はい。もしとちゅうでもしめんばーがふえても、とにかくかのんさまごいっこうで、ひゃくにんです。われわれのしょくりょうききかいしょうのためにも、がんばってください」
「・・・・・・そうは思ってない顔だね」
「そりゃあそうですよ。なんでこんな、むえきなせっしょう・・・・・・いえ、たいりょうぎゃくさつのようなまねを、ちーたすさまはごめいじになったのでしょうか」
「それは知らないよ。会って聞くしかない」
「ですね・・・・・・では、かのんさま、ゆうへいさま。あぶないめにあったら、いつでもしょこまでおいでください。ここにあるほんで、さんこうになるかもしれないものもあるかもしれません。どうか、ごぶうんを」
「ありがとね、コパル」
「僕に幸せをありがとう、コパルたん」
「ゆうへいさま、しんでください・・・・・・あ、やば」
またしてもメイドにあるまじき失言をしたコパルに見送られながら、私たちはよく訳の分からぬままに書庫を出て行ったのだった。
ついでに余談だが、「どうか、ご武運を」なんて一度は言ってみたいし言われてみたい、憧れの格好いいセリフだが、平仮名で書かれるとダサいことこの上ない。
例えるなら武藤さん家に生まれた北斗君、小学校に入学して大きな平仮名で「むとうほくと」と書くようなものだ。武藤北斗って格好いい・・・・・・よね?
「ところで奏音先輩。蓮先輩のこと、回収しないんですか」
「あっ・・・・・・」
忘れてた。