Ⅲ
自分でも忘れていた過去を思い出す、という作業は思いのほか難航する。ずっと遠くにあって見えない物を、細い糸で手繰り寄せているかのようだ。あまり強引に引っ張れば、いとも簡単に切れてしまう。
糸だけに。
・・・・・・・・・・。
ともかく、雲をつかむような作業だった。
それでもおぼろげながら思い出してきた――あれは確か、小学四年生の頃。
読書に熱中していた為だったか、暗い奴だとイジメに遭った。趣味に没頭しているだけで虐められるとは世も末だ、と思ったのを覚えている・・・・・・否、今思い出したのだが。
しかし、だからといって今更明るく振舞ったところで「調子に乗っている」などといわれるのが関の山。凄惨なイジメを耐え忍び、中学校入学と同時にイメージチェンジを図った。俗に言う「いめちぇん」だ。
だが。よくよく考えれば――否、考えなくとも分かりそうなことだが、同じ小学校の同級生たちは殆どがそのまま地元の中学校に進む。少しくらい隣の小学校のメンバーが加わったからといって、何が変わる?
そうして私は予想通り、「調子に乗っている」とイジメに遭ったのだ。くだらない。実にくだらない。
さらにこのイジメに拍車をかけた人物がいる。名前は覚えていないが、一つ上の先輩で学校一のモテ男だったと記憶している――のを、今思い出した。記憶していた、というのが正しいか。とにかくその男、同じ部活――吹奏楽部――の先輩で、何を思ったか私に・・・・・・私に、告白を・・・・・・して、きた。そして何故か、本当に何故か、オーケーの返事をした私があの時代にいる。
それが間違いだった。
学校一のモテ男と、いじめられっ子の高橋奏音が付き合っている? 冗談じゃない。別れさせなければ。あの女・・・・・・!
と。
同級生のみならず、先輩後輩まで敵に回して学校中と全面戦争、そんな日々だった。登校し続けたのは、不登校になったらこの戦争に負けたことになる、そう思ったからだ。
中学時代にあった唯一のいいこと、風花との出会いを糧にして、たった一人、時には二人で小学校時代なんか目じゃないほどの凄惨すぎるイジメを耐え忍び、耐え抜いた。
ちなみに、さっきから凄惨、凄惨、と具体的な内容をこれっぽっちも書かずにいるのは、思い出せないからだ。「辛すぎて忘れました」なんて迷信だと思っていたが、実は人間、本当に嫌なことは忘れられる。思い出せないほどに。だからこの回想シーンも重大な事実がすっぽり抜け落ちている可能性だってある――が。
思い出せないものは仕方ない。
だって覚えてないんだもん。
さてさて、では「不登校になったら負け」をモットーに掲げる高橋奏音がなぜ今ここで不登校生活をやっているのか?
簡単なことだ。
高校でも私は周りに馴染むことが出来なかったのだ。これは、私の側に責任がある。・・・・・・というのも、人間不信になってしまったのだ。風花は「あれだけ酷い目に遭ってきたんだもん、しょうがないよ」なんて言ってくれたが、逆に、風花と出会っておきながら人を信じることを止めてしまったというのは、どう考えても私の責任だ。
人と上手くコミュニケーションが取れなくて。
あいつらのせいだ、と中学時代の同級生を恨んで。
私の中で、何かが切れたのだ。大事にしてきた、拠り所にしてきた何かが。
「人生なんてそんなもんさ。結局どこへ行ったって私はこうなんだ。誰が悪いんじゃない、そういうふうに出来てるんだ。あいつらのせいじゃない、まして私のせいな訳がない。そうでしょ、風花?」
そんな言葉を風花に残して――私はこの部屋に逃げ込んだのだ。
誰のせいだったか、今なら分かる――なんて言えるほど、私は大人じゃない。今でも中学時代の彼ら彼女らを恨んでいるし、私のせいではないと今でも思っている。
何も成長していない。
そんな私が外に出る――それは世間に害虫が一匹増えることと同義。でも、そう、逆に考えるんだ。
世間が私を駆除しようとするのは、私が害にしかならない蟲だからだけど――あの都市伝説の地に行って私が酷い目に遭ったら、それはただ単に「そこにいるから」だ。
害があるという理由ではなく、そういう都市伝説だから、そういう場所だから。
それなら、そんな場所なら。
高橋奏音という人間が存在していられる。存在する資格がある。酷い目に遭っても、私のせいじゃない、誰のせいでもないから甘んじて受け入れられる。
大丈夫。
――仮眠を取って母親が仕事に出かけるのを待ち、家に人がいなくなったのを確認すると私は一通のメールを出し――そして。
閉め切った窓を開け放ち。
閉め切った扉を開け放ち。
閉め切った世界を開け放ち。
閉め切られていた家を出た。
チータスとやら。私に向き合いたくも無い過去と無理矢理向き合う機会を設けてくれてどうもありがとう。感謝していない。全くもって。
お前になど言われるまでも無く、同じ轍は踏まない。私は愚かな人間だが、そこまで愚かではない。愚かはお前だ。
今からそちらへ向かう。人の大事な親友を攫っておいて忙しいからなどという理由で出迎えも無しとは無礼者だと思う。お茶とお菓子までは望まないが迎えの者くらいは寄越すのが礼儀だろう。違うか?
それと、私が行くまでは彼女には指一本触れるな。もしも彼女に何かあったらその時は・・・お前の脳天を撃ち抜いてやる。楽しみにしていろ。
では、数刻後。
そんな、どこまでもひねくれた、私の人格そのもののようなメールを送りつけ。
ドアを開ける。
――が。
ドアの向こうに――。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・あんた達、誰?」