Ⅱ
はて、彼の男は『俺の部屋』と言った筈だが。
ここはどう見ても──男の部屋ではあるまい?
所々に白い雲が描かれた青い壁紙といい、置かれた大きなぬいぐるみ達といい、床に敷かれたスポンジ製のタイルといい──どこからどう見ても。
子供部屋──では、ないか?
あの豪奢絢爛な廊下から一歩入っただけなのに。
まるで不釣合いな──。
「ああ、この館は昔、孤児院でね。その頃の名残でこういう部屋があって、日本人の俺としては床でごろごろしたい時も多々あるから、この部屋を俺の部屋にしてるって訳さ」
……なんだそのくだらない理由は。
別にソファの上とかでもいいだろ。
だが祐平は、全く別の箇所に、反応を示した。
「え? なんですって? 『昔』──孤児院『だった』って? そう言いました?」
目を見開いて問う祐平。
ああ、この変態のこんな真剣な表情──当初は『異世界ハーレムだ金髪幼女妹メイドだ』と騒いでいた奴と同一人物だ、などと、誰が思えよう。ラピスとコパルに見せてやりたい。
チータスは、遊具の一つであろうウレタン製の立方体クッションに腰掛け、長い足を組み──、やれやれというふうに手を広げ、言った。
「そう、そこ。それこそが暮葉の妄言なんだって。あーんな狂人の言うこと、信じてもらっちゃ困るなぁ? それとも何? 変態の祐平君は暮葉の容姿と男の浪漫に騙されて、丸々信じて暮葉の部下になっちゃったりとか──した訳?」
「なっ……」
図星を突かれた、というような表情の祐平。
──ふと、疑問が浮かんだ。
「あ、あの……そもそも、暮葉って何者? 狂人って? 創設者なんじゃないの?」
──言ってから、思った。
人格、素に戻しちゃった……。
まあ良い、別に大した問題ではない。開き直って答えを待つ。
「奏音さんの素ってそんなカンジなんだ? へ~。で、暮葉っていうのは、俺の姉貴の名前。和装でやたらと色っぽい、謎の熟女」
自分の姉を謎の熟女呼ばわりか。
ひどい弟だ……ともあれ、結局暮葉なる人物が何物なのかはよく分からないが。
「いいかい? 祐平君。この館には『鬼』も居るし『生贄』も居る。あの贅肉女が言ってることで本当なのは、『ここは異世界ではない』ってことだけ──紛うことなき『表の世界』さ。じゃあなんで暮葉はあんなことを言っているのかっていうと──」
「ちょっと待ってください!」
と、突然。
祐平が、抗議の声を上げる。何か気付いたのだろうか。
「『生贄』がどうとか『鬼』がどうとか、そういうのは後であなたの話を聞いてから考えます。でも──あなたは、暮葉さんのことを──『贅肉女』って! 言いましたね! 許すまじですっ!」
一気にそうまくし立てると──次に、私の方を、びしぃっ! と指差して言う。
「それに、奏音先輩もです! 何さらっと暮葉さんを呼び捨てにしてるんですか! あの人は美しき終焉の美女ですよ!? ちゃんと『さん』付けしてください!」
──嗚呼。
結局、小林祐平という人物から──。
「へんたい」のルビが外れることは、ないのですね。
私とチータスは、そう悟った──。
「……チータス。話、続けて」
「無視ですか! 無視なんですか!」
「…………えーっと。あ、そうそう、なんで暮葉はあんなこと言ってるのかっていうとね。暮葉は、ここが未だに孤児院である、という錯覚に囚われてるフリをして、『生贄』を逃がすまいとしてるのさ。そこで俺は、君たちに依頼をしようと思ってここに呼んだ」
「依頼?」
「そう、依頼。もちろん本気で『鬼』殺しをして欲しい訳じゃないっていうのは、ラピコパも君たちも察してくれると思ったけど」
「ラピコパ……?」
「ラピスとコパルの略さ」
部下の扱いが適当すぎる。
「俺は、『生贄』を解放したい。だけど、暮葉の部下が、少ないながらも結構頑張ってるんだ。入り口はだいたいいつも塞がれてるし、生憎この館には窓が一つもない。つまり玄関が唯一の出入り口なんだよね。だから困ってる」
ホント困ったもんだよ、とため息をつくチータス。
だが、結局、チータスは私たちに何をさせたいのか──それが、分からない。
私は問う。
「チータス。結局、なんで私たちを呼びつけたわけ? それで、私たちに何して欲しいの?」
そう──あの書庫で“ラピコパ”と話してから、ずっと氷解しない疑問が、
──あんた結局なにがしたかったの?
これだ。
暮葉が『生贄』を手放すまいとしているのは分かった。
チータスが『生贄』を解放しようとしているのも分かった。
だが私たちに何をさせたかったのかは──分からない。
「簡単さ。俺に協力して欲しいんだ。具体的には、暮葉の部下の注意を逸らしてくれさえすればいい。俺の部下は、残念ながら暮葉側に顔が割れてるからね。ただ、強制はしないさ。俺の話、祐平君は暮葉の話も踏まえた上で──どちらにつくか、決めてくれれば結構」
成る程。
理解はした。
だが、ここでまた一つ、疑問が浮かぶ。
それは、「『生贄』を解放したら『鬼』はどうなってしまうのか」ということ。
コパルの話だと確か、『鬼』は『生贄』を喰わないと生きてゆけない体だった筈。
つまり、『生贄』の解放は、イコールで、『鬼』の──……。
「……飢え死に」
「うん? どうした、奏音さん?」
「『生贄』を解放したら……『鬼』は」
するとチータスは「ふっ」と乾いた笑い声を立てて、天井を仰ぎ、言った。
「そう、そうなんだよ……。言わなきゃバレないかなー、って思ったけど、流石にそんな訳ないよねぇ、うん。結局ね、俺側についても暮葉側についても犠牲は出るのさ。『鬼』の数は約百人。俺が最初に『鬼』百人殺せって言ったのは、実はそういう暗喩も含んでるんだ。でも、『鬼』は殺さないと、人を食い続けるから」
だから、君たちの手で。
『鬼』を殺して、伝説に終止符を打って──。
──全てを、終らせてくれないか。
そう言ったチータスの声が震えていたのは、きっと気のせいだろう……。
「個人的にはね……祐平君。君なら、暮葉を説得出来るかな、と思ってるんだ。一番良いのは、俺も姉貴も、互いに納得して全て終らせることだからね」
そう続けたチータスに、だが祐平、
「チータスさん。暮葉さんは……なんで、『生贄』を逃がしたくないのか、考えたことはありますか? 暮葉さんにも何か思惑があるのかもしれないじゃないですか」
「…………」
「姉弟で、話し合ってみませんか?」
思わず。
思わず私は、驚愕のあまり──蓮に目配せを送った。
──蓮、蓮、祐平がまともなこと言ってる……ッ!
それを受け取り、蓮も深く頷いた。
──こいつ、脳内にお花畑以外のものが入ってたんだな。
ああ、そうそう、そういえば、まだ蓮に殺しかけたことを謝っていないではないか。
あとで謝ろう。許してはくれないかもしれないが……。
ただ、何となく。
昔だったら「別に蓮になんか許してもらわなくても」と思っていただろうに、今の自分が「ちゃんと謝って、許して欲しい」と思っていることが──少し、不思議だった。
と、ここで、チータスの部屋に入ってからずっと黙ったままだった蓮が、初めて口を開いた。
「悔しいが確かに祐平の言うとおりだ。ここは──いっそ、お前らの部下も含めた全員で話し合ってみるってのはどうだ? 腹割って話し合ったら、案外協力し合えるかもしんねえだろ。なっ、奏音、どう思う?」
突然話を振られてうろたえる。
私は、少し考えてから彼に応じた。
「そうだね。話し合いは文明の基本だもんね」
「そうか、じゃあ決まりだな。どっか、俺たちとお前ら姉弟とお前らの部下が全員で話せる場所、案内してくれチータス。そこで全員で、隠し事も恨みっこもナシで話し合いだ」
「えっ……う、うん。なら食堂かな。俺は部下を呼んでから行くから、君たちは先に行ってて。場所は分かるだろ? あ、祐平君、君は暮葉──姉さんを呼んでくれないかな」
少々押され気味に──だが満更でもなさそうにチータスは頷き、一足先に部屋を後にした。祐平も暮葉を呼びに、渡り廊下のある方へと向かう。
──蓮と二人きりになってしまった。
何だか気まずくて──。
「あ、あの、蓮」
「……気にすんな。これで貸し借りゼロ、過去の云々とか諸々とか、全部チャラだ」
「う、うん、でも」
すると蓮は、「あー、なんだ、その……」と、一瞬口ごもり。
そして、ぶっきらぼうに、
言った。
「せ……先輩命令だ。引き摺るな。気にするな。そして忘れろ」
その時答えた私の顔は──きっと。
あの日と同じように、赤かったに違いない──。
「────、はい」




