十三章 ~Make Yarn~
どこかふわふわとするような所で意識が戻りつつある状態。それが今のユーリの中ではっきりとわかりだし、そして意識が覚醒しだす。閉ざされていた眼をゆっくりと開き、周りの景色を見る。それは見覚えのある様な景色に見えたが、今の地球上には恐らくまだこのような場所は無いであろう草原で、ユーリは眼が覚める。心地よいそよ風に髪がなびき、まるで今までいた世界とは別の場所に来たような感覚をユーリは覚えた。そして、ふと近くで誰かの気配を感じる。
「ようこそ、電脳世界へ」
どこかで聞いた事のある声に振り向くとそこにはウェインが立っている。
「お爺ちゃん……ここは?」
ユーリに歩み寄るウェイン。
「そうだな……これはユーリの作り上げた世界とでも言えばいいかな」
「ここが……私の作り上げた世界?」
頷くウェイン。
「この草も、向こうに見える木も、風も、柔らかな太陽の光も、澄んだ空気も、遠くで跳ねるウサギも、餌を運ぶ蟻も、湿った大地も、その総てが、今この電脳世界でユーリが作り出した、ユーリの世界。私が作った世界はこうではなかったがな……美しい世界だ」
風になびく髪を手で押さえ、その世界を見つめるユーリ。
「本当に……綺麗」
太陽に照らされた草木はその光を一身に浴び、風で揺れるたびに光を反射し自身の身体をキラキラと輝かせる。
「ああ、本当に綺麗だ……」
暫く二人は黙ったままそこに見える景色を眺める。少し景色を眺めた後、ウェインがユーリに話しかける。
「ユーリ、あの丘の向こうに海が見えるようだぞ」
「海?」
「ああ、そうだ。丘に登ろう」
ウェインはそう言うと丘を目指して歩き出し、その後ろにユーリも続く。それ程急な坂になっている訳でもなく、なだらかな坂を登りきると、そこには無限に続くかの様な蒼い空と、深く慈愛に満ちた青と緑が混ざり合ったような澄んだ海が水平線の向こうで霞み混ざり合う景色が一面に広がる。
「エイジアに行く時に見た海とは違う……」
「そうだな。地球の海はまだ汚染が残っている。この瑪瑙色の海を取り戻すには、後どれくらいかかるのか……見当もつかんな」
その景色にまた目を奪われるユーリ。
「私が幼い頃はまだこんな景色も地球には残っていた。あの瑪瑙色の海は未だに私の記憶に残っているよ」
「瑪瑙色……綺麗……本当に……」
海の色に眼を奪われながらユーリは呟く。だが突然その景色は一瞬にしてかわり、今の地球の景色を宇宙から俯瞰した映像に切り替わる。
「ユーリ、これが今の地球の状態だ」
宇宙から見た地球は大きな渦を巻く巨大な台風がいくつも見える。そして、場面は次々と入れ替わり、地球の惨状を伝える。
「これが今の地球……いやよ、こんな景色見たくない!」
ユーリはその映像を見ない様に両手で顔を覆う。
「ああ、私もこんな景色を見る為に煙突を作ったんじゃない。しかし、私の力だけではもうこの状態を抑える事は出来そうもない。ユーリ、瑪瑙色の海を、草木が光り輝く大地を取り戻す為に私に力を貸してくれないか?」
また景色は丘の上に戻り、海から反射された太陽の光を浴びるユーリ。
「お爺ちゃん。私が頑張れば……またこの瑪瑙色の海が戻って来る?」
笑顔で頷くウェイン。
「ああ、何年かかるかは解らない。だが、お前が手伝ってくれれば、必ずこの景色は戻って来る。私はそう確信しているよ」
「わかった、お爺ちゃん私頑張るよ。じゃないと私の為に頑張ってくれた人達にも申し訳ないもんね。それに、誰よりも長い命を手にいれた私しかできない事……私はこの世界を、総ての生き物の未来を紡ぐ……そんな存在になるよ」
「ああ、お前ならなれるよユーリ」
微笑みながらユーリの頭を撫でるウェイン。それに笑顔で返すユーリ。
「じゃあ、そろそろ戻ろう。みんながお前の事を待ってるよ」
「うん」
ジュピトリスが船団を編成しリングポートを順次飛び立って行く。それを不眠不休で指揮するアマルテア。そして、フェリスも軌道エレベーター建造の為、日夜現場で指揮をしている。船団の編成は順調に進んでいるが、軌道エレベーターの建造には時間が掛かっている。地球上の気候が安定しない為DNFのワイヤーがうまく降りて行かないのだ。
「ワイヤー切断。やり直しです……」
「またかい!? これで何本目だい?」
リングポートから太平洋上に建設されているメガフロートに向かってその糸は垂らされていくが、その途中でどうしても暴風に煽られて切れてしまう。その為まだメガフロートに固定されているワイヤーは無く、今は足踏み状態であった。
「なんとか最初のワイヤーを通さないとね……もう一回最初からやるよ!」
フェリスがそう言った後すぐに通信が入る。
「キャプテン、発信元は不明ですがキャプテン宛に通信が……どうされますか?」
怪訝な顔をするフェリス。
「発信元不明? そんな事があるのかい? 今は構ってる暇はないよ、後にしな!」
そう言った直後無理やり回線が開かれる。
『ひっどーいフェリスお姉ちゃん! せっかく私が会いに来たって言うのに追い払うなんて!』
その映像を見てフェリスは茫然とする。そう、目の前にいるのはユーリだった。
「ユーリ……あんたユーリかい?」
『なによお姉ちゃん、死んだ人を見るような眼で』
「え、ああいや。すまないねぇ、悪かったよ。でもやっと帰って来れたんだねユーリ」
『うん、ごめんね遅くなって。でも、私が来たからにはもう大丈夫だよお姉ちゃん。私の身体は私が作るから』
ユーリの言葉にフェリスは改めてユーリはもう意識だけの存在になったのだと、そう感じた。
「ああ、そうだね……よし、解った。以降はユーリの指示に従うよ! みんな、いいかい、これからは煙突の建設はユーリの指示に従うように、解ったね?」
全員からイエッサー、声が聞こえそれからユーリが指示を出し始める。
「さて、ユーリ現状は把握してるかい?」
『大体の所はね』
「で、どうするんだい?」
『そうね……DNFのワイヤーは今はどれくらい有るの?』
「そうだね、かなり無駄にしてしまったからね。必要な今は一〇本分と言ったところかね。まあ、順次生産はしているから今後も増えてはいくよ」
『ふーん……まずは最初の一本ね。よし、お姉ちゃん、ワイヤーを二本分ずつ編み合わせて一本のワイヤーにして。工作艦を総動員すればできるでしょう?』
「だけど、そんなことしたら自重で切れてしまわないかい?」
『それは大丈夫、ギリギリ強度は持つはず。それに、地上に着いたらそれをほどいて行けば一気に本数が稼げるよ』
「わかった」
フェリスはそう言うとガルメシアの工作艦に指令を送る。そして、直ぐにそれは実行され、一〇本のDNFの糸は五本になり、巻き取られていく。巻き取られたDNFのワイヤーは順次リングポートに運び込まれ、それを巨大なリールに巻き付け、そこから地上とその反対側に向かってかなりの速さで伸ばされていく。宇宙側に延びるワイヤーは何の問題も無く伸ばされていくが、地球側に延ばされたワイヤーが大気圏に入ると暴風にさらされ始める。
「大丈夫かいユーリ?」
『大丈夫、まだ十分強度は持ってる。このまま降ろして!』
そのまま暴風の中を降りて行くワイヤー。かなり風に煽られてはいるが着実にその距離を伸ばしていく。
『お姉ちゃん、スピードをそろそろ緩めて。徐々に、ゆっくりとね』
ユーリの指示通り、ワイヤーの降りるスピードは緩められ、徐々に遅くなっていく。
『そう、そのまま……もうすぐアースポートに着くはず……よし、着いた!』
ユーリの言葉と同時にアースポートにいる氷上から連絡が入る。
『フェリスキャプテン。御見事です。これからワイヤーの固定作業に入ります』
「了解、これより二本目の降下作業に入る。そちらの準備は大丈夫か?」
『作業班は待機してます。いつでも問題ありません。ただ……』
氷上が言い澱むのは珍しい。
「どうかしたのかい?」
『そちらからも見たらわかるかと思いますが、かなり気象条件が悪く、メガフロートの運搬がうまくいってません。このペースで作業が進むとこちらの進捗が遅れてしまいそうです』
「そうかい……ユーリ、何とかならないかい?」
ユーリと言う名前に反応する氷上。
『ユーリ? まさか、ユーリ・ウェインですか?』
「そうだよ。ああ、まだ氷上の所には連絡が行ってないんだね」
『ははは、フェリス姉さんがあまりにも手こずってるから真っ先にここに来ちゃった。ごめんなさい氷上さん。そっちのワイヤーが繋ぎ終わったらそっちにも行きますから、とりあえずワイヤーの固定お願いできますか?』
『解った。仮固定でもいいのか?』
『構いません』
『では、後少し待ってくれ。もう少しで仮固定は完了する』
「ユーリ、直ぐにここに来たってことは、カミュとヒロキにも会ってないんだろ?」
フェリスの言葉にユーリは少し笑ってごまかす。
「まあいい、二人とも心配してる。仮固定が終わるまで顔を見せてきな。こっちは取りあえず一本通っちまったから後はなんとでもなる。早く行ってやんな」
『解った。ごめんね姉さん。ちょっと行って来るね』
ユーリはそう言うと画面から消える。
「全くあの子は本当に……」
「どうしたんですかキャプテン。なんだか嬉しそうですよ?」
近くで監視していたモーゼルがフェリスに話しかけるが、その言葉を聞いて急に不機嫌になるフェリス。
「なんでもない、あんたにはかんけいないよ!」
ぴしゃりと言葉を断ち切るフェリス。その言葉でモーゼルの機嫌も悪くなり、お互い顔を見合わせて「ふんっ」と一つ鼻息を吐いてお互いに顔をそむける。
オペが終わり、もう何日かたっているが、それでもカミュとヒロキは毎日オペ室から病室に映されたユーリの状況を見に来ている。
「うん? なんか通信が入ってるぞ?」
カミュが通信機に着信を示すランプが点灯している事に気が付く。
「フェリス姉さんか?」
ヒロキがカミュに話しかける。
「いや、どうも違うみたいだな……発信元不明?」
「怪しいな……まあ、ほっとけばいいだろう」
ヒロキの言葉にカミュも頷く。
「そうだな」
カミュはそう言い、またユーリの元の戻ろうとした時、勝手に通信が繋がれる。
『ちょっと! なんで出ないのよ? まったく、フェリス姉さんといい本当に!』
突然ユーリが現れた事に二人とも無表情のままだ。あまりにも驚きすぎてカミュもヒロキも何もリアクションが取れない状態だ。
『ちょっと? どうしたの二人とも。何とか言いなさいよ!』
ユーリにそう言われようやく我に返る二人。
「え? ああ、いや、何と言うか……ユーリだよな?」
『はあ? 何言ってるの?』
「いや、あまりにもなんていうか……ほら、なあ?」
カミュの言葉に頷くヒロキ。
「ああ、そのなんて言うか……なあ?」
二人の表情に呆れるユーリ。
『本当に二人とも……私に決まってるでしょ? 他に誰がいるっていうの? まったく!』
ユーリの言葉を聞いてようやく二人とも我に返る。
「ユーリ。 良かった、本当にユーリなんだよな? 本当に良かった……ごめんなユーリ。俺、お前を守りきれなかった……本当にごめんな」
カミュがそう言うとヒロキもそれに続く。
「本当にすまなかったユーリ……俺がちゃんとしていればユーリがこんな事にはならなかったかと思うと……本当にごめんユーリ」
二人が少し眼を潤ませて話す。
『ちょっとちょっと。やめてよ二人とも。なんだか湿っぽくなっちゃうじゃない。もういいんだよ二人とも! ほら、見ての通り私は元気なんだから!』
ユーリは画面の中で少しおどけて見せ、飛び跳ねる。
「ああ、本当に良かった……良かったよユーリ……」
カミュはそう言うと画面に抱き着く。
『ちょ、ちょっとカミュ!? 何やってるのよ! ちゃんと煙突になる為に戻って来るって解ってたでしょ?』
「いや、そうだけど……それでもやっぱり嬉しいんだよ!」
画面を抱きかかえ今にもディスプレイを持ち上げてしまいそうな勢いのカミュを抑えるヒロキ。
「カミュ、ちょっと待て、それ以上やると通信が切れちまう。落ち着けカミュ」
「え? ああ、そうだな。せっかく会えたのにな」
カミュはそう言うとディスプレイから身体を離し、ようやく落ち着きを取り戻す。
『ほんとにカミュったらもう!』
ユーリはそう言いながらもどこか嬉しそうだ。そして、改めてカミュとヒロキを見つめるユーリ。
『ただいま』
「お帰りユーリ」二人は声を揃えて答える。そして、ユーリはカミュとヒロキの目の前に寝かされている自分の身体を見る。
『なんか……複雑な気分ね……』
ユーリは自分の亡骸を見つめて呟く。
『二人とも、私の事よろしくね』
ユーリの言葉に頷く二人。そこで、別の通信が入る。
『カミュ、ヒロキ。ユーリには会ったかい?』
そのフェリスの言葉に少し棘のある口調で返すユーリ。
『何、姉さん。感動の再会に水を差さないでくれる?』
『ユーリかい? 氷上から連絡が入ったよ。仮止めが終わったとね。行くんだろ?』
『ああ、そうだった』
ユーリはそう言うとカミュとヒロキに顔を向け話しかける。
『なんだか、メガフロートの方も大変みたいなの。ちょっと手伝いに行ってくるね』
そう言うや否やユーリは画面上から消えてしまう。
「行っちまったな」
カミュの言葉にヒロキが答える。
「ああ……」
『氷上さん、仮接続終わったみたいだね』
「ユーリ。待ってた」
『で、状況はどうなってるの?』
「巨大台風の影響でメガフロートを固定するのに時間が掛かってる。更に言うと、メガフロートどうしが波に煽られて接触して破損している物も出てきている。このままでは建設を続けるのが難しい状態だ」
そう言われてユーリは海の状態を眺める。
『台風がこの辺りを抜けて行くにはどれくらいの時間が掛かるの?』
「ちょっと待て、気象班に確認する」
氷上は気象班に連絡を入れて確認する。
「この台風がこの辺りの海域を抜けるのは後半日くらいかかるようだ。それに、この台風が抜けても次の巨大台風が直ぐにまた迫ってくる。恐らくこの台風が抜けてまた半日くらいすれば次の台風の暴風圏にかかるようだ」
『そう……とにかく、半日は何もできない状態だね。解った、じゃあ、これ以上この状態で何かをしても作業は上手く進まないよ。メガフロートの結合作業は一旦作業は中止して』
「しかし――」
『いいから。それまでの間にもっとできる事があるから。とにかく、リングポートから来るワイヤーの固定。それと、海洋レンズを作って氷上さん』
ユーリの言葉に少し黙り込む氷上。
「海洋レンズ? ユーリ、それは何だ?」
氷上の疑問にユーリは答える。
『海中に沈める事で波をある程度制御できるようになるよ。メガフロートの材料を使ってできるんじゃないかな。とにかく、時間がないから直ぐに作らせて。詳しい資料は直ぐに送るから、それを下に凹型の物を海中に沈めて。そうする事で波が穏やかになるはずだから』
そう言ってユーリは氷上のコンピューターと、メガフロートの製造現場にそれを送る。その資料を見て氷上は納得する。
「なるほど……確かにやってみる価値はあるかもしれないな。早速作らせる」
『とにかく、急がして!』
氷上はさっそく造船所に海洋レンズ製造の指示を送る。
「ユーリ」
急に声のトーンが変わった氷上。
『何? どうかしたの?』
「いや……良かったよ戻って来れて」
『ありがとう』
少し照れながら微笑むユーリ。
『ユーリ!』
またフェリスから連絡が入る。
『もうお姉ちゃん! また? 今度は何?』
『アマルテアが過労で倒れた。物資の受入の管制をユーリがやってくれないか?』
『もう、本当に忙しいったら無いわね。ちょっと待ってて、すぐ戻るから』
『頼む』
『じゃあ氷上さん、行くけど後は大丈夫?』
「ああ、何かあったらまた連絡する」
『うん、何かあればすぐに駆けつけるから』
「頼りにしてるよユーリ」
少し微笑んで何かを思い出すユーリ。
『ああ、そうだ氷上さん』
「うん?」
『カミュとヒロキの事よろしくね。私がこれからはずっと着いていられるわけでもなさそうだから』
「わかった。二人の事は任せておけ」
『ありがとう。じゃ、行くね』
「ああ、またな」
それからのユーリは目が回るほどの忙しさが続いた。アマルテアに続いてフェリスも一時だが倒れ、氷上も現場には立っていたが、それでも明らかに過労の為仕事の処理能力は下がって行く。そんな中、ユーリは三人のサポートを続けるが、それでも仕事の処理能力が落ちて行く状態になりつつあり、軌道エレベーターが完成する頃にはあきらかにユーリの処理能力は飽和状態になりつつあった。もちろん、メルキゼデクも力を貸してはいたが、メルキゼデク自信煙突の稼働状態が常に一〇〇パーセントを超えている状態で、その殆どが煙突の制御でその処理能力をいっぱいまで使っていた。
「ユーリ、少し休め。後は俺たち二人が何とかする」
その状態を見かねたカミュとヒロキがそれぞれ現場に出る事になる。
カミュは氷上のサポートでメガフロート建造に、ヒロキはフェリスと共に煙突建造をサポートするようになる。それによってユーリは送られてくる物資の管制と赤道方向と直角に交わるリングポートの建造に力を注ぐことができるようになった。
そして様々な人達の協力のと犠牲の下、建造開始から約一年後ようやく二つ目の煙突が完成するに至り、それから煙突が稼働を始める。
「ようやく完成したな」
カミュが完成した二本目の煙突を見ながら呟く。
「ああ、ようやくだな……」
ヒロキがそれに答える。
もちろんまだ煙突が稼働しだしただけで、まだ地球の環境は落ち着いたわけではない。これから温暖化物質の排出を行って、地球環境が元の状態に戻るまでにはさらに時間が必要だろう。それでも、これ以上悪くなることは恐らく防げるだろう。
そして地球は再び再生への道筋をたどる事になる。




