交差点から離れた後の道の一つ
軍部の所属ではない親衛隊は、避難民たちの傷を癒した後で帰還した。
元近衛兵第二部隊と第三部隊は、そんなに交流をもったことはなかったのだが、何度か一緒に魔族を相手に戦ったこともある。
そんな彼女たちの表情は暗い。どれだけの力のある者だったか、それだけでも十分知っていたからだろう。
元第一部隊の面々は落ち込むどころではない。
しかしロワーナは懸命に自分で自分を支え、帰還を報告をする。
それでも兄であるエリアードには、彼女の異変には気付く。
しかしロワーナは「何でもありません」という返事を繰り返すのみ。
そこまで言うのなら何でもないのだろう、とロワーナの報告を聞き、それを見たロワーナは彼の執務室から退室した。
共通点が多い。
それだけでギュールスと同一人物であると断定はできない。
ミアニムとの国境で立ち並んでいた第一級ランクと見なされた魔物の列。
その一体の上に佇んでいたあの人物がギュールスであるという確たる証拠は今のところはない。
ただの思い込みに過ぎない。
混族の存在だって、ギュールス一人だけとは言い切れない。
同一人物ではない。
違う存在だと信じたい。
ミアニム国民の救助の現場でそう思い込みたがっていた隊員を、ロワーナは叱責した。
思い込みによって、情報を正しく認識できなくなることもあるからだ。
しかしロワーナは今現在、誰よりもそのことを望んでいた。
人のことは言えないではないか。
自嘲の思いを持ちながら、彼女は自分の執務室に戻る。
そこには親衛隊十五名全員が揃っていた。
彼女らは口々にロワーナを労わった。
「ふ……そんなにみんなに心配させるような顔をしているか?」
「してます」
エノーラが即答する。
そして沈黙。
ロワーナは力ない笑みを浮かべ、椅子に座る。
「……ギュールスに関して言えば、いろいろと思いは尽きない。そしてそれをここで口にしても、誰も明解な回答を出せるはずもない」
ロワーナは椅子の背に持たれながら腕組みをして目を閉じる。
誰もが彼女の苦悩を感じ取っている。
「だが忘れちゃならん。我々は今、占拠されたミアニム辺境国の解放のために出撃したのだ。そしてその目的は避難民の救助。それにおいては皆、文句のつけようのない活動をしてくれた」
「……占拠の目的は、何だったんでしょうか……」
「それについては、もうじき国軍が戻るそうだ。その報告を解析したら出撃した全部隊に通達するそうだ」
再び沈黙。
彼はどこにいるのか。
あの人物は彼だったのだろうか。
だとしたらなぜあそこにいたのだろう。
いったい彼に何があったのか。
誰もが、心と頭の中はそんな答えの出ない疑問が渦を巻いている。
しばらくするとノックの音が外から聞こえる。
ロワーナが返事をすると、エリアードの部下が入ってきた。
彼からの指示で報告書を持ってきたという。
「うむ、ご苦労」
彼が退室してからその報告書に目を通す。
「……どのようなことが報告に上がってます?」
エノーラが待ちきれず、ロワーナに尋ねる。
「……魔術師と思しき人物が三人。同時にあの魔族が九体現れた。最後に……青い体をもつ者が現れた、と」
ざわつく親衛隊。
ロワーナはそれに構わず、続けて報告書に目を通す。
魔族はオワサワールとの国境の内側に現れ、国内の方を向く。
青い人物がその中心人物だったようだ。
レンドレス共和国からこの国を占拠するために来たと言う。
全員一か所に集まるようにと命令口調で指示を出す。
言うことを聞けば、全員の命と財産。可能な限り健康も保証する。
ただし抵抗する者には容赦はしない。
こちらの筋書き通りに周りが動いてくれるのならば、我々全員同時に姿を消すことで解放とする、ということを呼びかけた。
単身できたのなら、酔狂人か何かと思われて終わりだっただろう。
だが魔術師と魔族がその人物に従って動いている。
その人物の言うことに従う以外の行動を起こそうとする者はいなかった。
辺境の小国とは言え、全国民が一か所に集められるには移動時間が必要になる。
そのための移動はこの魔族が補助する。ただし解放後は自分達で移動せよとのこと。
移動時に無抵抗の者が数人けがをした。
そのけが人は全員治療を受け、そんなに時間をかけずに青い人物と魔術師たちが完治させた。
国民達が一か所に集められた後、青の人物は国の代表に、友好国であるオワサワール皇国へ援軍要請を出すよう命じた。
隙を見て逃げ出す者はいた。
青い人物はその逃げる者達を見て、それはやむなしということで見逃したようだ。
ただし国外に出たらどうなるかは分からないとも言っていた。
その後のことはロワーナが知っての通り。
ちなみに青い人物の名前については報告にはなし。
特徴については、ロワーナ達の方が詳しい。
その程度のことしか書かれていなかった。
ロワーナの机の上の通信機に、外部通信が機能する。
回線を開くと、いきなりロワーナの安否を気遣う声が入ってきた。
「リ、リューゴ殿下?」
「あぁ。ミアニムが占拠されたと聞いて、いても立ってもいられなくなってな」
唯一レンドレスと隣り合わせの国であるため、ロワーナの元へ駆けつけるわけにはいかなかった。
ミアニム占拠は本当は誘導で、レンドレスの侵略の本命はガーランドである可能性も捨てきれなかったためだ。
もっともミニアム占拠の一報がガーランドに入った時点では、占拠したのは何者なのかは判明することは出来なかったが、他にそのような真似が出来る者はいない。
どのみちレンドレスへの監視を緩めるわけにはいかなかった。
「それと父上に問いただしてようやく合点がいったが、知らぬは自分ばかりなりで恥じ入るばかりだよ」
何のことかとロワーナはリューゴに尋ねると、ロワーナとの婚約の話である。
同盟国としての相互援助の関係をより強化するための対外的な理由の一つとすべく持ち上がった政略的外交の一つ。
その計画がリューゴにだけは聞かされていなかった。
「結婚はないと言われたことよりも、自分だけ除け者扱いされた方がショックだったね。ま、愚痴はここまでにしとこうか。反レンドレス同盟存続には私も賛成だからね。いや、有り難いと言った方が正しいか」
不快な思いもしただろうに、それに恋人ごっこというのも人生の刺激になってなかなか悪くない、と笑い飛ばす。
今後の相互支援については、やはりガーランドとレンドレスの地理的条件は変わることがないため、戦力的にオワサワールに割くのは難しい。
だがリューゴは、同じようなことが起きたらば同盟外の友好国にも呼びかけ、オワサワールへの援助を依頼し、間接的にでも応援する意思をロワーナに伝え、通信を閉じた。
リューゴに対しては不信感もあったのだが、そういう事情があったのなら納得がいく話であった。
しかしそれでもギュールスの件を打ち明けられる相手ではない。
重く大きい何かの塊が心の中に憑りついて離れてくれない。
ロワーナはそんな苦しさを感じ始めた。