気が休まらない休養日 体を休ませられない彼
工房から出た後は、ギュールスは再度道具屋へ行く。
手に入れたかった呪符や道具の代用品を手に入れるためである。
ロワーナは自室に戻るが、途中でエリアードに面会するため、彼の部屋に立ち寄った。
「魅力ある人材は手元に置きたいのは誰だってそうだろうな」
ロワーナはギュールスの名を伏せて相談を持ち掛けていた。
「だが上に立つ者がその人材の見方を変えたり、人材の活用する目的を変えたりすれば、その重要度も変わる。さらなる要職に登用されることもあれば退任もすることもある。お前や私だって今の役職の辞令が出るかもわからん」
一番上の立場の者がころころと変わったり、その者の主義主張があっさりと変わったりすることがあれば、下の者もそれに合わせた人事異動が必要になってくる。
「私の役職は、皇帝の次期後継者の立場が確定した者でなけれは務まらん。だがお前の場合はやや違う。最低限皇族を維持するための護衛を中心とした目的を持つものだからな」
しかしエリアードは、ロワーナが上げたい話題はギュールスの事であることは察することはなかった。
ロワーナが近衛兵師団の団長の役職についてから、一般論的な話題として何度も皇帝である父や軍の元帥である兄に議論を持ち掛け、相談してきた話だからだ。
「まぁ役職から外れて肩書すべて失っても、要人であることには変わらない。となると護衛は必要だが、それなりに信頼がある者でなければならないし、周りがお前と護衛の者の間に信頼関係があると思われていなければならん。暴行未遂すら起こさせないように、な」
そう言うとエリアードは立ち上がり、次の予定の仕事の場に向かう。
「忙しい合間を縫って会ってくれて、つくづくありがたいと思ってる」
「なぁに。可愛い妹のためだ。それにそれぞれ仕事がある。しかも互いに深く関わりがあるにも拘らず、そんな話をする機会も少ない。これくらいなんでもない。いや、むしろ重要なことで、濃密な時間だった。何かあったら遠慮なく連絡してこい」
公的な立場で比べると、兄妹の間ですでにとてつもない格差が生じている。
しかしそれでも家族としての結束は固いことを、上の立場に立つ者の口から出た。
ロワーナはそんな兄を心強く、頼りがいのある存在であると感じている。
ギュールスの工房を出た後の行き先は資料室。道具作りのための資料を借りて持ち出したのでその返還のため。
資料を戻した後、何の気なしに室内の資料を見て回る。
膨大な量だが、この国のほとんどことを何も知らないギュールスにとっては、関心がある内に拘わらず彼には必要な知識がそこら中に存在している。
床の上から天井の下までの高さの本棚が部屋中に並ぶ。
そのすべてに目一杯並んだ資料の背表紙を指でなぞりながら流し読みをするギュールス。
ふと目についた単語でその指が止まる。
「……魔族生態一覧?」
気がはやる思いを抑えながら落ち着いてその資料を引っ張り出し、近くの椅子に座り机の上でそれを開く。
「……なんだこれ……? スライムとか、オークとか、スケルトンとか、じゃ、ないのか? 初めて見る物ばかり……」
真っ先に目に飛び込んできた、魔物の描写と思われる姿は傭兵時代には見たことのない物ばかり。
馬車に用いられる車輪が大きくなった形状。その真ん中に目が一つ。
岩石から髭のような触手が生えて、それが宙に浮かんでいる物。
綺麗な花。その真ん中に牙をむき出しにしている口が一つ。
球体にまんべんなく足が生えている物。
「誰かと思ったらギュールス君じゃないかー。勉強熱心だねー。おぉ、私らが相手にした魔族もいるねー」
そう言いながら誰かがギュールスの後ろからのしかかる。
「ナ、ナルアさん? と……アイミさん……」
「調べ物の邪魔したらまずいじゃないですか。ナルアさん」
「あ、いや、調べ物って言うか、ちょっと気になったもんで……その、えーと、ナルアさん、えーと、重いんですけど」
「ほほぅ、よくぞ言ってくれたねぇ。私の体重が重いと?」
「あの、そうでなくて……。あ、いや、意外と重いんですね」
後ろから覆いかぶさるナルアは、ギュールスが資料を読む邪魔になるくらいに重心をかけるが、ギュールスは真顔でその重さを推し量り、素直にその感想を言う。
新人へのいたずらが、逆にナルアの胸に深く突き刺さる。
「……なんだと……?」
「ここで凄むのもどうかと思うんですが」
異様な殺気を抑えようとアイミはなだめようとするが遅きに失した。
「ちょっ! ぐ、ぐるじ……っ、あ、あなれ……」
「どう見てもナルアさんが悪いでしょうよーっ! ちょっと、締めすぎっ! ナルアさんてぱーっ」
図書館などと違い、ここで閲覧する者はまずいない。
研究資料になる物が多く、ここの利用者は研究室や自室に持ち込んでじっくりと目を通したい者ばかり。
大騒ぎになるとさすがに管理人から叱り飛ばされ追い出されるかもしれないが、この程度のじゃれつきでは目をつけられるだけでお終いにしてもらえる。
「まったくもう……。変に絡むからでしょうよ」
「一応我々も体型と体重は気にするもんだぞ? 乙女心も理解しておけ」
「食って栄養になる物なら考慮しますが」
「「食えるか!」」
騒動が終わっても、資料を読み続けるギュールス。
一般的に知れ渡っている魔族の能力ならば、それも多くの者から知られている事項だが、初めて見る魔物の姿の数々の描写が多くある。
その能力も火炎系と氷結系だったり光と闇だったりと、有り得ない組み合わせも多い。
今後も見たことのない魔族と対面することがあるかもしれない。
前もって予備知識として仕入れておく必要がある。
しかし。
「んー……無駄な努力とは思うよ? 一例として覚えておくのは悪くないと思うけど」
「え?」
努力を励ますどころか、アイミがそれを止めかねない言葉を口にした。
ナルアも頷いて同意する。
「傭兵部隊に回す魔族は、ゾンビとか骨の連中とか、……スライムとかでしょ? 彼らの勝率が高い相手をそっちに回してんのよ。こいつらの方は何というか……別格ね。見た目でどんな攻撃してくるか分からない。どんな属性を持ってるのか分からない。同じ姿や能力の敵が頻繁に出てこない」
「その場で判断してその場で作戦立てて、どんな時でも必ず殲滅すること。だってこいつら、まず命を奪うことを狙いにするからね。そのあとで私達を餌にする。ギュールスは魔族とのハーフだけど、こいつらはそんなことしないから」
そんな魔族がいるという話は今まで聞いたことがなかった。
昨日出撃した魔族も、見たことのある生き物に似た姿の魔族だったが。
「小柄だったのが幸いしたのよね。ギュールスの手柄にケチ付ける気はないわよ? でもそれを補って余りある数の多さだったから、まともに相手をしたらやっぱり苦戦は免れなかった。圧勝できたのは間違いなくギュールスのおかげ」
ナルアはにっこりするが、ギュールスは後ずさる。
「抱きしめられると体がつらいので勘弁してください」
「ギュールスにトラウマ植え付けちゃったよこの人……」
「他人事みたいに言うな!」
ナルアの自業自得である。