月と光
夜。惨憺たる逃走劇から逃げ切り、屋敷での仕事も終えて、あとは寝るだけとなった夜遅くの時間。
普段なら屋敷の皆が寝静まっているこの時間に、俺はローゼンクイーンと話すべく、ある場所へ向かった。
「『炎よ、矢となり、その力を示せ』!」
裏庭からローゼンクイーンの声が聞こえる。
ローゼンクイーンから魔法を教えてほしいと頼まれたあの夜から、彼女がここで魔法の練習をしていることには気づいていた。
だがあの日、学院の修練場で見たものを確かめるまではここに来る気にはなれなかった。
……ローゼンクイーンの魔法。今見ても、おかしな部分だらけだ。
彼女に関わるべきじゃない、と俺の中の声が囁いてくる。が、それでも俺は見てしまった。聞いてしまった。
なら、見て見ぬふりは出来ない。
「『炎よ、矢となり、その力を示せ』!」
俺の放った炎魔法がローゼンクイーンが的にしていた木の板に突き突き刺さり、木端微塵に砕け散る。
その魔法が自分の放った魔法ではないことに気づいたローゼンクイーンがこちらに振り返る。
「っ! 貴方、どうしてここに……」
「夜風に……いえ、約束を果たしに来ただけですよ」
「約束? ……あぁ、魔法を貴方に教わる約束をしていたわね」
「ええ。その話で間違いないです。ですがその前に、少しだけ話をよろしいですか?」
*
「準備がいいわね。それで、何の話?」
あらかじめ用意していた紅茶を淹れ、お互いに一口。
話す内容を反芻し、冷静に話し始める。
「一つ、お伺いします。ローゼンクイーン様、心の準備はよろしいでしょうか?」
「心の準備って、一体なんの準備よ?」
「……今から話す事は、ローゼンクイーン様の出自に由来することです。それを受け止める覚悟は、御有りですか?」
「どうしてそれを……!」
ローゼンクイーンが疑いの目でこちらを見てくる。
当然だ。彼女の過去は、きっと誰にも知られたくないことなのだから。
「申し訳御座いません、マグダ様から聞き出しました。全ての責は私にありますので、マグダ様を責めないでください」
誠意を込めて謝罪をする。
ローゼンクイーンからはどんな糾弾でも受けるつもりだ。
「ふん……」
が、彼女からは罵倒の一つもなく、何か考え事をしているようだった。
「一つ、聞いてもいいかしら」
「堪えられる範囲で、お答えします」
「どうして気づいたの? その事を知っているのはマグダとオスカル。それに義父様だけのはずよ」
「それを説明するには……今から話す事を信じていただく必要があります。よろしいですか?」
「……ひとまず話して頂戴」
俺は先日マグダに先日語った内容をそのままローゼンクイーンに話した。
今のローゼンクイーンの魔法はおかしい状態であること。
そして、ローゼンクイーンの出自から彼女に聖属性が宿っている可能性があること。
「……貴方、正気?」
「恐らくは。まだ完全にそうだと決まったわけでは無いですが」
「そう、なの……」
それら全てを聞いたローゼンクイーンは、色々な感情が混ざり合った複雑な表情をしていた。
「……それが本当だったとして、私はどうなるの?」
「もしも、それが露見したら間違いなくお嬢様は政治の道具として利用されるでしょう」
そこは隠さずローゼンクイーンに話す。
事の重大さ。そしてローゼンクイーンの今後を考える上では外せない内容だからだ。
「ですが、絶対にそんな事にはさせません。その為の私です」
「……どういうこと?」
「聖属性魔法の制御方法をお教えします。聖属性であると露見しない魔法の使い方を」
そう遠くない未来、彼女の魔法の正体が不特定多数の人間に露見する前に、それを隠す術を彼女に教える。
それが、俺が彼女対して行える最大限のことだ。
「……なるほど。あなたの言いたいことは分かったわ。でも、気になることはあるわ」
気になること。それは、恐らくマグダと同じ系統の質問だろう。
「王家に代々伝わってきて、今は失われている聖属性魔法の制御方法を、どうして貴方が知っているの?」
「……言えません」
言えない。マグダにも言えなかったが、ローゼンクイーンが相手だったとて、それは同じ。
この事を話すには、覚悟も、時間も、制約も、何もかもが足りない。
「言えない、ね……私の過去にずけずけと入り込んできて、それでも自分の過去をさらけ出すつもりはない、と」
「その通りです」
「それで、どうやってお前を信じろと?」
マグダにはどうにか納得してもらったが、あの過去の持ち主、本人であるローゼンクイーンにはそうもいかない事は予想がついていた。
なので、俺もカードを切ることにする。
秘密には秘密を。互いに、互いしか知りえない情報でお互いを縛る。
「……それでは私の秘密を一つお教えしましょう。出自についてです」
それは、俺の過去。
今の俺が、今の俺になる前のこと。
「私の本名は……レオンハルト・オブ・ナヴァール・リュウゲツ。極東に門を構える、とある家の人間です」
「リュウゲツ……リュウゲツ!? その家名は、極東の島国と同じ……!」
この国、セントリア王国から見てはるか東。
国を超え、更に海を隔てた向こう側に存在する一つの島国。
セントリア王国とは全く異なる人種と生活様式を内包するその国の名はリュウゲツ。
そして、その国を守護する国の主。その一族の名もまた、リュウゲツ。
「貴方、リュウゲツ家の嫡子だったの!?」
「嫡子とは少し違うかもしれませんが……まぁ、一応」
「一応、って……リュウゲツ家には嫡子以外の子供はいなかったはずだけど……」
流石リヒテンベルク家長女。他国のお家事情にも多少通じているようだ。
……彼女の認識は間違っていない。俺が異端なだけなのだ。
「そんな貴方がどうして、セントリア王国内の一領主の執事なんかやってるのよ」
「それ以上はまだ答えられません。いずれ、お話しできるかと」
「……なるほど。お互いに込み入った事情、と言うわけね」
今の俺から出せる最大限の情報だ。
このことを知っているのは、この国ではカーツ教官とフィーネだけ。
もし仮にこの情報が広まったら、俺の立場そのものが怪しくなる。それだけの秘密だ。
「いいわ。あなたの事は信用してあげる。でも、一つだけ条件があるの」
「なんでしょう?」
ひとまず信用は勝ち取れたようだ。
条件、と聞くと少し身構えてしまうが、可能な範囲でなら受け入れるつもりだ。
「貴方、曲がりなりにも国を治める家の子息なんでしょう? なら、対等な立場じゃない。その敬語、外して頂戴」
その条件は、意外なものだった。思わず口を開けてしまうほどだ。
……確かに、国の跡取り同士で、身分を隠していると言う共通点がある以上、立場は対等かもしれない。
だが、今は執事という仕える身。その要求は飲み辛い。
「ええと、あくまで執事の立場ですので……」
「なら、私と二人きりの時だけで構わないわ。もし敬語を辞めないようなら……」
「辞めないようなら?」
脅すつもりだろうか?
仮に脅すとしても、先ほどの秘密を暴露する、と言う線は自分の秘密も暴露される危険性がある以上薄い。
近しいものに危害を加える、と言う線も、ローゼンクイーンが知りうる俺の近しい者はこの屋敷で働く者なのだから、それも難しい。
と、すると大した脅しでは無いだろう。敬語を辞めろ、と言う要求を呑む義理は――
「明日からメイド服を着てもらうわ」
「分かった。分かったからその物騒な考えを改めてくれ」
なんと恐ろしい脅迫を考えるのだ。
俺の精神と外聞に対して最大限のダメージを与えてくる強烈な一手だ。
「起きたら自分のクローゼットにメイド服しか入っていない恐怖を味わってみる気はない?」
「すまん、俺が悪かった。ほら、これでいいだろ?」
敬語を辞めたことを最大限アピールする。
明日からメイドとして働くなんて、真っ平御免だ。
「それでいいのよ」
舌打ちをして、少し残念そうにするローゼンクイーン。
……彼女、本気だったな。
「それで、本当に聖属性魔法について教えてもいいのか? 必要なら……」
「ええ、どんなことでも覚悟の上よ。遠慮なく指導して頂戴」
必要なら記憶を封印する、とその言葉を言う暇もなく間髪入れずローゼンクイーンがそう答える。
……エメラダと言い、彼女と言い、俺とは違って強いな。
「分かった。なら早速始めよう」
*
「まずは詠唱からだ。俺は聖魔法を使えないが、復唱してくれ」
「よろしくお願いするわ」
中庭に戻り、聖属性魔法の制御に入る。
流石に俺は聖属性魔法を使えないが、詠唱する事だけならできる。
「『聖なる炎よ、その穢れなき力で、人の業を裁け』……ゴフっ!」
詠唱を行っただけなのに、身体中の魔力が暴れまわり、吐血してしまう。
……どうにも、俺は聖属性魔法とひどく相性が悪いらしい。
「『聖なる炎よ、その穢れなき力で――」
一方彼女はタクトを構え、俺に続いて詠唱を始めている。
正しく指示された魔法に、血筋によって格付けされた魔力。
「――人の業を裁け』!」
結果、彼女が行使した魔法は――
「……っ!」
地形を変え、辺り一面を吹き飛ばしかねないほどの威力を持っていた。
「『起動、空間固定、魔力接続。障壁展開、実行』!」
急いでナイフに仕込んでいる記述魔法を彼女の前方に起動させる。
空属性の障壁魔法。普段使っている風属性の障壁よりも数段階上の堅牢さを持っている魔法だ。
その障壁の強度を上げるべく、俺も手のナイフに魔力を込める。
轟音が響き渡り、障壁魔法と彼女の放った聖属性魔法がぶつかり合う。
その威力は凄まじく、ものの数秒で障壁魔法を破られてしまうことは明白だった。
「っ!」
と、そこでローゼンクイーンが倒れる音が聞こえる。
この魔法を放ったローゼンクイーンは気を失ってしまったようだった。
術者が気を失ったことで、聖属性魔法も霧散するように消えていった。
的やそれを吊るしていた木などの、彼女から障壁までにあったものは全て跡形もなく消え去ってしまった。
もし、これであの魔法が消えなかったら……。
「……危なかった」
俺の配慮が足りなかった。彼女の持つ魔力がそこまでの物だとは、完全に想定外だった。
もっと、段階を踏んで制御の方法を教えないと駄目だ。
魔力が完全に空になったローゼンクイーンを介抱しながら、俺は聖属性魔法の強大さを身に染みて感じていた。




