シナリオ屋(四)
測量は最大の難関を迎えていた。
今までも難所と呼ばれるところは多々あったが、そこは中でも厳しい所で、年中波が荒く、しかも切り立った崖が多い。
彼らチームは、壁に張り付くようにしながら海面すれすれまで歩を進める。
彼らの仕事は、この国の正確な地図を作ること。
国からの命を受けて、最初は先の見えない仕事に、途方に暮れそうになる彼らだったが、いざ始めてみると、この地図を作る仕事というものはとてつもなく面白い。彼らは次第に仕事にのめり込んでいったのだった。
最速の移動手段が馬であるという時代。
もちろん飛行機などあるはずもなく、彼らは海岸線を歩いて移動し、測量し、精密な地図を作っていくのだ。
「あ!」
「舟吉!」
舟吉と呼ばれた若者が、足を滑らせて海へ落ちる。焦る仲間たち。しかししばらくすると、ガバッと水の中から舟吉が顔を出した。
「舟吉! 良かった。今、綱を引っ張ってやるからな!」
不測の事態に備えて、かれらは頑丈な命綱をつけている。岩にくくりつけてあったそれを2人ががりで慎重に、自分たちも落ちないように引いていく。
「あ! 先生! 先生の足下、少しへこんで洞窟になってます! 見逃すところだった。いやあ、落ちて良かったです」
「なに悠長な事を」
先生と呼ばれた年かさの男は、怖い顔をしつつも嬉しさを含んだ声で言う。
「頑張れ。ここが終われば、あとは楽に済ませられるところばかりだ」
「はい」
その一帯の測量は、日が落ちる前にどうにか終わらせることが出来た。何日かの宿として泊まらせてもらっている漁師の家で、出来上がった地図を見せてやると、
「へーえ、あの断崖絶壁が、こんなになってるのかー」
「鳥にでもならなけりゃあ、見ることが出来ないねえ、あっはは」
と興味津々でのぞき込んでくる。
飛行機と言う、空を飛ぶ乗り物が将来出来るなど夢にも思わない彼らにとって、それこそ鳥にでもならなければこの地図が正確に出来ているかはわからない。
「そうだなあ。こんど産まれてくるときは鳥になって、コイツが正しく出来上がってるかどうか、見てえなあ」
「ホントだ。いっそのこと、今度は皆で鳥に産まれて来ましょうや。ねえ、先生」
「ははは、私は鳥はどうも……あまり高すぎるところはねえ」
「あ、先生! 怖いんですか。あんなに高い絶壁をヒョイヒョイ登ってるのに」
「仕事の時は、怖さも忘れていますから」
少し照れたように言う先生に、皆は感心したり微笑んだり。
「それにしても、とうとう終わっちまいますね」
「そうですな」
この難関が終われば、ぐるりと一週のゴールはもうすぐそこに迫っていた。
「先生は最初から携わってるから、長いよなー」
「ええ。25の時からですから、あしかけ50年ですな。もう、そんなになるんですなあ」
「50年も! すると先生、75歳?! うっひゃあーなんと」
聞いていた漁師もおかみさんもビックリしている。
途中で入れ替わったメンバーもいる。ずっと共に歩いてきた者もいる。
「大変でしたが、楽しい50年でした。終わるのが惜しいくらい」
「俺もです……、う、うう」
感極まって1人が泣き出すと、皆に伝染してしまう。先生は「まだ終わってませんよ」と、最初に泣き出した者の肩を笑顔でポンポンと叩いて場の空気を和ませる。
「さ、もう休みましょう。明日も早いんですから」
促しながら、地図をたたんで立ち上がったのだった。
それから半年後。
ようやく地図が完成した。
それを国に収めたあと、程なく先生は息を引き取った。その顔は、1つの仕事を無事にやり終えた安心感に満ちているようだった。
「邪魔するよ、シナリオ屋さん」
「あ、先生。お久しぶりです」
その人は、見るからに先生って感じの方なんで、きちんとお名前はあるんですが、あっしはどうも先生ってお呼びしちまうんですよね。
この前の世では、なんだか立派な地図を作られたすごいお方なんです。
あっしの所には、何度か依頼に来られたことがあるんですが、「のんびりした人生にしようかと思いましてね」とリクエストされるんで、本当にのんびりと過ごすシナリオをお書きすると……。
「うーむ、なんだか物足りないですな」
とか。
「いや、やはりこのあたりは、もっとこう、スリリングに行けませんか」
とか。
で、結局すごく忙しかったり、苦労を背負い込んだりする人生になっちまうんですな、これが。
「今回はどのようなご要望で?」
まあそれでもあっしは毎回聞いてみます。
「じつは、これが最後の生まれ変わりらしくて」
「え、それはおめでとうございます」
そうですか、先生もとうとう天に帰られるんですな。
感慨にふけっていると、先生は少しもじもじしながら言ってこられます。
「今回ばかりは、もう本当にのんびり、と言うか、1度産まれてみたかったんですが」
「はい?」
「何の苦労もない、大金持ちのお嬢様に」
と言うわけで、今回のシナリオは、生涯苦労知らずのお嬢様と言う設定で書かせて頂きました。
出来上がったのをお目にかけると、先生は「もっと苦労が多くてもいいのに」という感じで、今度は違う意味でもじもじなさるんでさあ。けど、さすがにそこをグッとこらえておっしゃいます。
「良い出来です。では、これでお願い出来ますかな」
「へえ」
あっしはそう返事したんですが、どうも引っかかることがあって。
と言うのも、シナリオを書くときに、とりあえず前世の一生を見せてもらうんですが、うまく隠したつもりなんでしょうが、1つだけ心残りを抱えていらっしゃる。
けど、経験上あんまりずばり言うと、かたくなになってうんと言ってくれないことがあるので、ちょっと手を使わせてもらうことにしやした。
「先生。最後の一生ってことで、あっしからプレゼントができるんです」
「ほう」
あ、これは本当です。最後の生を迎える方には、シナリオ屋から1つだけプレゼントを贈ることが出来るんです。もちろん断ることも自由ですし、プレゼントって言っても、物じゃなくて幸せだとか楽しみだとか、ですがね。
「なので、中身は言いませんが、贈らせて頂きます。楽しみにしてて下さいまし」
「わかりました。ありがとう、今までシナリオ屋さんには難癖ばかりつけていたのに」
「いえいえ」
笑顔でお見送りするあっしに軽く会釈すると、先生は娑婆へと降りていかれました。
時は過ぎて、ここは娑婆世界。
今日は絶好のフライト日和。
お嬢様は、人生で初めて飛行機の窓際へと座ります。
今までは高いところが怖くて、いつも窓のないところに座っていたのですが、お友達から、
「飛行機の窓から見る景色は、それはもう素敵よ~。ちっとも怖くありませんわよ~」
と、お勧めしていただいたので、今日は決心して窓際に座ることに決めたのでした。
飛び立つときはドキドキで、ばあやの手をきつく握っていましたが、水平飛行に入るとようやく落ち着きました。けれどやっぱり怖くて、窓の外はチラっとしか見ていません。
ですが。
「皆さま、いま、右手に美しい海岸が見えておりますが、ここは……」
そのアナウンスが流れると、お嬢様はなぜだか引き寄せられるように窓の外を覗いてしまいました。
そして。
「!」
はるか下に見える、海と陸をわける海岸線。それを見た途端、お嬢様は窓に顔を押しつけて目を皿のようにして海岸線を凝視します。隣に座るばあやが驚くほどに。
しばらく声もなくそれを見つめていたお嬢様の目から、なんと涙がポロポロとこぼれてきたので、ばあやはまたまた驚きました。
「お、お嬢様。どうされました。そんなに怖かったのですか」
そんなばあやの声は、今のお嬢様の耳には全然届いていないようです。お嬢様は少し人が変わったようになると、小さな声でつぶやきました。
「最大の難関、断崖絶壁の線。同じだ。ピッタリ一致してる。あれは本当に正しかったんだ」
「え?」
「なんて美しい……」
お嬢様はそのあと、延々と続く海岸線を、嬉しそうに熱心に眺め続けるのでした。
それから幾日か立ったある日のこと。
「邪魔しますよ」
ふらりと顔を覗かせたのは、くだんの先生です。
旅立つ前に立ち寄って下さったんでしょう。
「あ、先生。最後の人生、ご苦労様でした」
「いえいえ」
そう言って手を振る先生は、手を下ろすときちんとお辞儀しながらおっしゃいました。
「シナリオ屋さん。プレゼント、しかと受け取りました。いや、本当に感激しました。まさかこの目で見られるなんて。出来ればチームの皆にも見せてやりたい。私たちの地図に間違いはなかったと、確認させてやりたいですな」
「ははあ、さすがは先生ですな、お優しい。まあ、それはおいおい考えまさあ」
あっしが言うと、先生は少し驚いた風でしたが、そのあと本当に嬉しそうに笑って。
「よろしくお願いいたします。シナリオ屋さんのお節介のおかげで、心残りなく天に向かえます。どうもありがとう」
またキッチリお辞儀をされました。
「お節介はないですよお」
あっしはすねた振りをしたあと、クスッと笑うと、天に向かう先生を元気にお見送りさせて頂いたのでした。
「それでは道中お気をつけて。まいどありい!」
あ、それからね。
先生たちのお作りになった地図は、その時代の技術では考えられないほど正確で美しいと言うことで、今でも大きな博物館に展示されているんだそうです。
了
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
飛行機から陸の形を見たとき、「地図と同じやん~!」と思ったことはありませんか。
私は何度かあって、そのたびになぜか感激してしまいます。
今回のお話しはそんな思いから浮かびあがりました。
シナリオ屋さんのお話はちょくちょく続きますので、またどうぞお越し下さいませ。