4. 自由を求めて
そして脱獄の決行日――。
フォードとレミリアは万全の体調で挑んだ。
夜たっぷりと眠り、気力も体力も充実している。時刻は早朝、四時。見張りの番兵はいない。朝の涼しい空気を感じながら、フォードはその確認をし、隣の牢屋へ語りかける。
「今です、レミリアさん。《金剛力珠》を」
「はい」
言われて、レミリアが翠色の宝玉を発動させる。
わずかな燐光。魔力が大気を揺さぶる気配が伝わってきた。
直後、金属をぎぎぎと曲げる鈍い音が響く。――レミリアが強化された腕力で鉄格子を曲げさせたのだ。
そして直後、鉄格子を開け、少女がフォードの牢屋の前にまでやってくる。
今まで牢屋越しに手だけ見たが、初めて全容を晒すことになる
「あ……」
レミリアは美しい少女だった。
地平に沈む夕暮れのように見事な橙色の髪。瞳は蒼穹のように美しく、宝石のごとき煌めき。
肢体は細く、白く、まるで白妖精であるかのよう。可憐さの中に高貴さも宿っており、思わず目が引き付けられずにはいられない。囚人用の薄汚れたワンピースを着せられているが、かえって儚げな美しさが目立った。
予想よりもずっと麗しい少女を前に、フォードは見惚れる。
「あ、あの、フォードさん。そんなに見ないでくださいまし」
「あ、すみません、思ったより綺麗だったので」
「はう……殿方に見つめられるのは恥ずかしいですわ」
顔を俯かせ、みじろぎする彼女の様子を見ていると、俄然やる気が湧いてくる。フォードは麗しい少女を守り通すと密かに誓いながら、予定を進めた。
「レミリアさん、僕の方の格子も」
「わかりましたわ」
強化されたレミリアの腕力が、フォードの鉄格子も曲げていく。細い腕に似合わぬ怪力。魔術具、《金剛力珠》の力は本物だ。ややもせず、フォードの前に人一人分の隙間が出来る。
「ありがとうございます。では、行きましょう」
「はい」
二人は手を繋ぎ合って、通路に出た。
暗い通路だ。埃っぽく、湿っぽく、鉄の錆の臭いが鼻を刺激する。床に血の染みが点在しており、時折聴こえる何かの音が、畏怖を呼び起こす。
「僕から離れないでください。慌てず行きましょう」
「は、はい。出口はどちらでしょう?」
レミリアの問いにフォードは考えた。
「おそらくは左ですね。番兵はいつもそちらから来ますから。きっと、待機所諸々がそちらにあるのでしょう」
「では、そちらに」
フォードたちの牢屋から見て左側の通路に、彼らは向かうことにした。
お互いの手の温もりを感じつつ、二人は薄暗い通路を進む。
光源が通路脇の松明しかない通路は、とにかく歩き辛い。番兵はランプを持っているが、フォードたちは走ることも難しい。十字をいくつも連ねたような通路は、広大だ。
他の囚人たちは死んだように眠っている。フォードたちに気づく者はいない。気づいたとしても何もできないだろう。彼らは精も魂も尽き果てているのだ。
見張りの番兵とは、途中、何度かすれ違った。
しかし幸いにも、通路には石像が妙に多い。隠れられる場所はいくつもあった。牢獄としては欠陥だらけだが、フォードたちとしてはありがたい。
「なぜこの牢獄、石像が多いのでしょう」
近くの蜥蜴の石像を見てレミリアが呟いた。
「ここは昔、石像崇拝があった神殿を改良したらしいですよ。石像の悪魔の神殿――石像の魔物を信仰対象とし、廃れた後に、今の牢獄に作り直したのだとか」
「作り直し……確かに魔物崇拝は、邪教ですものね」
「はい。囚人への威圧としては役立つから、石像だけは残したのでしょう」
《迷宮》には無数の魔物がいるが、中には畏怖を覚えて信仰に走ってしまう者も珍しくない。
特に竜種、巨人族、精霊種に畏敬を抱く者は古今東西多くおり、フォードのオルトレール家があるモルディア地方でも、竜信仰の伝説はあった。
「それと魔物の石像は罠として設置されてるのもあるので注意してください。まあここは完全に置物ばかりみたいですが。少しでもおかしな石像があれば、僕に報告を」
「はい。判りましたわ」
「それと、不審者を知らせる仕掛けがあるかもしれません。進む時は目の高さだけでなく、足元にも注意を」
「はい……それにしてもフォードさん、博識ですのね」
「いえ、故郷で少し本を読んだだけですよ。親が探索者だったので」
非道な父と母だったが、あの屋敷で得た知識が今の自分を生かしている。
「そうなのですか? わたくし、フォードさんのような頼もしい殿方と会えて良かった。ふふっ」
レミリアが手を強く握り締めてくる。
向けられる好意的な声と視線に、なんだかフォードはむず痒くなった。
美少女に信頼を向けられるのは光栄――しかし油断は禁物だろう。
石像が身を隠してくれると言っても番兵の恐怖が消えることはない。もしも鉢合わせしたら厄介なことになるだろう。
雷紋剣と金剛力珠があるが、地の利は番兵たちにある。フォードは減霊凰薬で能力が弱体化している。二人は一定間隔で、安全を確認しながら進んでいった。
「あっ、番兵が三人……隠れてっ」
屈強そうな三つの影が曲がり角から近づいてくる。
フォードは近くの石像の影にレミリアを押し込み、自分も隠れる。
「あ、フォードさ、」
「しっ。見つかります」
幸い、番兵たちは猥談しながら歩いており、二人に気づくことなく通り過ぎていった。
しかし直後、戸惑いの声が少女の口から。
「あの、フォードさん、胸に、当たってます」
「……え、なんです?」
「フォードさんの手が、わたくしの……」
見れば、フォードの右手がレミリアの豊かな胸に添えられていた。むにゅん、と柔らかな感触。少女は恥ずかしそうに、頬を赤らめた。
「うわ、す、すみません、夢中で」
「いえ、わたくしも迂闊でしたわ。いえ、そんなこと考えてる場合ではないですわね」
「そ、そうですね」
慌てて手を引っ込める。薄闇で少女の大事な所に触れてしまった事にフォードは慌てる。
気のせいかはあはあと緊張の吐息をレミリアがするだけで、フォードの心音も高まってくる。少女の匂いまで気になってきた。まずい、こんなこと考えてる場合ではないのに。
「い、一度周囲を見回して先進みますね。レミリアさんは背後の警戒を」
「あ、は、はい」
束の間の騒動も、牢獄の静けさに潰されるかのように消えていく。
フォードが前、レミリアが後ろを開会する形で前進する。
薄闇と静音とわずかな松明光の中で、二人の結ばれた手だけが勇気の源。
浅い呼吸と極度の緊張にまみれ、フォードは五度目の曲がり角を確認する。番兵が一人、欠伸をしている。――よし、問題なし。雷紋剣にて先手必勝、一気に突っ込んで――。
「ん? なんだてめえ、どこから――ぐっ」
這うように忍び寄ったフォードの一撃が、番兵の意識を刈り取った。
雷紋剣の斬撃は麻痺を呼び込み、彼の自由を奪い去る。
後は簡単だ。短剣の柄を首筋に当て、フォードは相手を気絶させた。
「すごい……鮮やかですわ」
レミリアが驚嘆しているが、それで終わらない。
フォードは気絶させた番兵の腰元から短剣を抜き出すと、自分のものとする。
「短剣を? 予備ですの?」
「いえ、僕は元々、双剣使いなんです。それと――」
少し周囲を見渡した後、フォードの視線がレミリアの橙髪にいく。
「レミリアさん。髪を譲っていただけないでしょうか」
「え? ……まさか、食べるのですか?」
フォードは思わず大声を上げそうになった。
「いやいやいや。なぜですか。僕は変態ですか。じゃなくて、投擲用に短剣を改良するんです」
慌てて説明する。丁寧に、真摯な口調で。
「短剣の柄と柄を糸で結べば、投げても回収しやすいでしょう? 僕は一刀を投擲に使い、もう一刀で斬りかかる戦法が得意なんです」
「あ、なるほど。それで髪を糸代わりに」
勘違いにはにかんで、レミリアは自分の金髪を差し出した。
フォードがそれを雷紋剣で数十本、斬り取り、繋ぎ合わせて六メートルほどにする。
そして雷紋剣と奪った短剣の柄に巻く。これで片方を投擲しても回収ができる。
「ありがとうございます」
「わたくし、自分の髪を渡すなんて初めてですわ。とっても新鮮」
「すみません。綺麗な金髪なのに、こんな事に使って」
「いえ。でもフォードさん、じつはわたくしの故郷では、女性の髪を貰うという事は、嫁にもらうと同義で……」
「え!? いや、あのっ、そんなつもりはっ」
すると、くすくす、と楽しそうにレミリアが笑いだした。
それで担がれたのだと、フォードは悟る。
「あのですね、レミリアさん」
「あ、すみません。ついフォードさんをからかいたくなって」
「勘弁してほしいですね。心臓に悪いですよ」
「……うふふ、ごめんなさい。でもわたくし、あなたでしたら本当に……」
「え?」
レミリアは顔を俯かせ、柔らかな笑みを浮かべると、フォードの体に寄り添ったのだった。