2. 嫉妬
「諸君っ! 今日が君らの門出だっ!」
一年後。広大な広場の壇上で、大柄な男性が声を張り上げた。
色黒かつ、筋骨隆々、腕が丸太のごとく太い男――ギルド長が、猛々しい声で叫ぶ。
「諸君らに多大な労力をかけて今日まで育て上げたのは他でもない! 《迷宮》の探索! そのための技能を鍛え上げた!」
エルケニウス大陸、深緑都市リエロ。そのギルド支部、中央棟前の大広間だった。
青々しく輝く空の元、五十名の新探索者たちへギルド長は言う。
「今日まで諸君らは辛く厳しい鍛錬をこなしたと思う。だがその辛さももう終わり。これからは一流の《探索者》を目指し、邁進を期待する。武術、魔術、集団戦、何でも良い、それらの技術を用い、諸君らが挑むのは、広大なる《迷宮》を攻略することであるっ!」
陽光が燦々と降り注ぎ、気候は上々、ギルド中央棟の周囲を流れる水路からは清涼なせせらぎが聞こえており、穏やかな空気を醸し出す。しかし、ギルド長の眼前に居並ぶ五十名の若輩たちは、いずれも緊張の面持ちだ。
無理もないだろう。いよいよ今日、彼らにとって初めての探索が始まるのだ。
名のある武具を求め、壮麗なる宝を求め、膨大にして強大なる魔物相手の修羅の道が幕を開ける。
「知っての通り、《迷宮》は複雑怪奇である! そして危険だ! 魔物、罠、探索者を狙う盗賊、階層を守る主! 例を挙げればきりがない! しかし諸君らに授けた技能があれば、必ずやそれを打破できると信じる! 諸君らの積み重ねた技能、一つ一つが諸君らの力となり、糧となり、輝かしい探索者への道標となるだろう!」
ギルド長の声は胃の腑にまで響く。
諸君らは探索者だと。古より続く人類の悲願のため、力を尽くせと、声を張り上げる。
「数千年前! 世界を創った神々は謎の失踪を遂げた。歴史書、古代書、口伝、いずれにも真実は伝わっていない。判っていることは数千年前、『何者か』によって神々の時代は終わりを遂げた、それだけだ! その古の遺物が、《迷宮》には隠されている!」
人々の野望の象徴であり、迷宮探索を完遂させる事は、人々の悲願と言えるだろう。
何しろ《迷宮》には失われた技術が集積し、火を、水を、雷撃を、虚空に生み出す魔術や、伝説の武具が無数に存在しているのだ。
それを阻むのは数多の魔物たちである。古代の『何者か』によって創られた、人類を襲う存在。オーク、トロール、キュクロプス、リザードマン、サキュバス、デーモン……数多の魔物たちを突破し、地上に数々の宝を持ち帰ること。それが探索者の真髄だ。
「さて。明日が諸君らの初探索ではあるが、私から忠告をしておこう」
ギルド長バッカスが、朗々とした声を張り上げる。
「決して己を過信するな! 諸君らは半年間、探索者として修練を積んだ身であるが、魔物は容易くそれを打ち破る! 岩をも砕く腕力! 火炎操る能力! 幻術を用いての錯乱! 何でもありだ。諸君らは危機を察したらすぐさま引き返せ! 撤退は恥ではない。無謀に先へ進むことこそ愚か者だ! 諸君らの命――それより大切なものは、存在しないのだからなっ!」
「けっ、馬鹿言ってやがるぜ」
居並ぶ探索者五十名の中で、ルザという少年が嘲笑した。
赤色の髪に、豹のごとき細い体の少年だ。目つきは鋭く、口は悪い。言葉を放てば、他人への嘲笑か、侮りばかり。
にやにやとギルド長を小馬鹿にしたように笑い、ルザは隣のフォードに話しかける。
「探索ってのは命かけてナンボだろうがよ。何を寝ぼけたこと言ってるんだか。なあ、そう思わないかフォード?」
苦手な部類の一人に話しかけられ、フォードは嘆息した。
「そうですか? 僕はまっとうな事を言っているように聞こえますが」
「おいおい本気か? フォードくんよ。ギルド長ってのは探索者の顔だ。勇敢なる者たちの先駆者だ。それがあんな弱腰じゃあいけない。腰抜けだな!」
「先代のギルド長は無謀な探索に手を出して亡くなったのでしょう? その前の何代かも同様。新米である僕たちに注意を喚起する事は、当然だと思いますが?」
「はっ、てめえはいつもそうだよな、フォード」
ルザが嫌そうに、地面に唾を吐いて顔を歪めた。
――あれからフォードは、ギルド運営の鍛錬場で修行を試みた。
と言っても、探索者としての修練が目的ではない。すでに等級三十六であり、雷紋剣を駆使した戦いから『雷迅皇子』という異名すら持っている彼にとって、学ぶべき技術など皆無に等しい。
けれどそれでもわざわざギルド修練場で、一年を過ごした理由は単純だ。『普通の感性』を取り戻す事である。
フォードは、かつて父母によって従者としての教育をされた。それを矯正するため、新米探索者と行動を共にし、回復を試みたのだ。
今では普通のやり取りとして不自然にならないまでに戻っている。常に敬語で話すという事までは矯正できていないが、後々直るだろう。
「けっ、雷迅皇子サマはいいよなぁ? あんな腰抜け共に評価され、しかもでかい探索者パーティから誘いもあるんだろ? 羨ましいねぇ、反吐が出るぜ!」
相変わらず口の減らないルザにフォードは辟易する。
フォードとしてはもう少し大人しい人間と付き合いたかったが、このルザという男、親がギルド支部の幹部であり、親の権力で優先的に強い武具を与えられているからか、雷迅皇子とまで言われるフォードへ、対抗意識を持っているのだ。
実力では遥か上、しかも別大陸で名を馳せた『オルトレール兄妹』の片割れ、さらにギルド教師陣からの受けも良いフォードは、ルザにとっては目障りな存在なのだった。
今日でようやく彼との諍いも終わりと思うと、フォードは苦笑の息を洩らすしかない。
「皮肉もそのくらいにしてほしいですね、ルザ」
「けっ。そのすかした顔が気に入らねえ……」
しかし、何を思ったのか、ルザが口調を変えて語りかけてくる。
「なあフォード。てめえ、この後宝物庫に行かねえか?」
「なぜです」
「なぜってお前、ギルドは強力な武具を保管してるからじゃねえか。噂に聞く《魔剣デアレーゼ》、大陸一の切れ味を誇る《霊剣アリベール》、巨人を真っ二つにした逸話の《雷剣ヴォルベルド》、その他、貴重かつ強力無比な武具が溢れてる。てめえも雷紋剣だけじゃ物足りねえだろ? な? 一つ、どうだ?」
つまりは、宝物庫から失敬しようということだろう。
じつにルザらしい、身勝手で最悪な発想だった。
「やめておきます。――ギルド長が厳重に保管しているに決まっているでしょう? 第一、僕ら新米が扱えるとは思えません」
「そこは俺の知恵だ。知ってるか? 宝物庫には古い金属が使われて、壁の一部が剥離している。道具を使えばそれを広げて、魔剣デアレーゼ等を捕れる」
「無謀です。絶対失敗します」
「見張りは何とでもなる。外側の壁さえなんとすりゃあ、最高級の武具が手に入る。しみったれた武器で《迷宮》に挑むより、よっぽど有意義だろう?」
「お断りします。僕は不正が嫌いなんです」
妹に一流の探索者になると誓った。
それは絶対の誓いだ。
彼女に顔向けできない事だけはしたくない。
「それにまあ、僕はルザのこと信用できませんし。どうせ失敗して見つかるのがオチですよ」
「なんだとっ」
ルザが顔を真赤にした。彼のプライドを刺激してしまったのだろう。その目には明確な怒りが浮かんでいる。
「そこの愚図っ! 何をしている! ルザ貴様ぁ、探索の初日で問題を起こす気か!」
その直後であった。雷のごとき飛んだ大音声に、ルザがびくついた。
壇上の上、ギルド長の叱責である。
「くだらん戯言をまた吐いておったのだろう? まったく貴様は、問題児だな!」
周囲から失笑が飛び交う。五十近い視線だ。衆目の前でこけにされたルザは、ぎりっと歯をすり合わせる。
「フォード、てめえ……よくも俺に恥を……っ」
「自業自得です」
「――話が逸れたな、諸君。であるからして、諸君らの健闘は、人類の悲願につながる! 栄えある若人たちよ! 古の神々の謎を解くため、人々の発展のため、諸君らには多大な――」
ギルド長バッカスの言葉もろくに聞かず、ルザはむっつりした顔のまま、ギルド長を、そしてフォードの横顔を、殺意すら滲ませ、睨んでいた。
「クソっ!」
ギルド長の演説が終わり、新米たちが、準備に宿舎へ向かう頃。
ルザは荒れていた。
――ちっ、フォードのせいで恥をかかされた。
――あいつ、俺がギルド幹部の息子ってことにまるで敬意を払わねえ。俺より格上だからと、敬わねえ。それがむかつく。
ルザにとってフォードは、極めて目障りな存在だった。
いつでも冷静で腕が立ち、ギルドの人間にも好印象。雷迅皇子の異名を持つ、最強の生徒。奴がいるおかげでルザは比較対象としてルザは使われる。もちろん、引き立て役としてだ。
何とかして、奴の顔に泥を塗ってやりたい。
ルザの瞳に、嫉妬と、憎悪と、敵意が宿っていた。
† †
「ルザくぅん、本当にやるの?」
――深夜。ギルド中央棟の一角。
宝物庫の側面に当たる廊下で密やかな声が交わされていた。
「当然だろ? フォードのやつに痛い目を合わせないとな」
「きゃはっ、ルザくん悪どいー。いけない人だぁー」
笑ったのはルザの取り巻きのである。巻き髪の少女ペール、長身のコルバ。どちらもルザの手下である。
ギルド幹部の息子であるルザのおこぼれを預かろうと、計画に加担にしたのだ。
「じゃ、行くよ。[我、風を操りし者なり。神の名の元に、風神の加護を請う]!」
祝詞、と呼ばれる言葉が唱えられる。
『魔術』の発動だ。人間は『魔術具』と呼ばれる装備を使うことで、特殊な力を行使することができる。
小さくは火の玉を放つものから、強力なものとなると、都市一つを壊滅できる魔術も存在する。
フォードが妹から託された雷紋剣も魔術具の一種。
ルザ達の計画はいたって単純。
宝物庫に忍び込むことで、フォードをはめる算段だった。まずルザが宝物庫の壁――剥離している箇所にバールを合わせる。経年劣化した壁は、少し力を入れただけで剥がれ落ちる。そうして崩した箇所から、風の魔術で引き寄せれば、容易く強奪が可能だった。
予定通りに事を運ばせ、宝物庫の壁に穴を開けたルザ達は、宝を引き寄せる。
「おおっ、すげえ!」
「お宝、お宝!」
風で宝を引き寄せると、来るわ来るわ宝の山。床に無造作に置かれていた金貨、銀貨、篭手、剣の類、煌めく財宝の数々がどんどん引き込まれる。
「急げペール。見張りが万一、この部屋を覗いたら終わりだ」
「わかってるよルザくん――あ、取れたよ、すごーい、綺麗なアミュレットっ!」
「よし、十分だ。手はず通りにしろ!」
計画の肝である『仕掛け』も忘れない。
ルザが懐より取り出したのはフォードの頭髪である。そしてフォードが愛用する腕輪。加えてペールが使った、《風》の魔術の短剣も置いておく。
さらにルザは、決定的なものを加えるべく、懐から小瓶を取り出した。
「コルバ。てめえはこれを飲んで、ギルド内を適当に走れ」
「うん。フォードの走り方は知っている。歩幅もね。精々真似させてもらうよ。雷迅皇子様のね!」
くふふ、と醜悪な笑みを浮かべ、コルバがその小瓶の中を飲む。
するとまたたく間に、長身のコルバの背丈が縮んだ。輪郭が変わり、肌の色が薄まり、目つきが変わって――利発そうな少年へと、様変わりする。
「僕は、フォードです。皆さんの計画はこれで完璧ですね」
「すごーい、似てる!」
「《相似霊薬》の効果は完璧だな!」
思い描いた他者へ変身するという霊薬である。容姿、声、体臭、全てを再現させるというものだ。ルザはギルド幹部である父に頼み、調達していた。
さらに、ルザが場別の小瓶を取り出す。そして喉に通す。たちまちその姿が、陽炎のように、空気へ溶け込むかのように、消失していく。
「あはっ、ルザくん凄ーいっ、視えないよっ」
「姿が視えねえってのは、面白いだろ? ひはっ」
「やーん、エッチぃこと駄目~」
ルザに胸元を揉まれ、けらけらとペールが笑う。
ルザが仕様したのは姿を透明にする《隠蔽霊薬》――効力が続く限り、何者もルザの姿を捕捉することはできないだろう。
同じ物をコルバに渡した後、ルザはペールへと告げる。
「次はお前だ、ペール。しくじるなよ」
「はいはーい。任せて」
最終段階へ計画は移行する。ペールが自分の服をはだけさせ、下着を露出させ、大ききな胸を晒すと、
「きゃあっ、やめてっ、酷いことしないで! いやーっ!」
大声で、ペールは叫びを上げる。同時、フォードに扮したコルバが、窓枠に手を当てた。
やや遅れて、部屋に武装した兵士三人が駆け込んで来る。
「なんだ、どうした! 曲者か!」
「ご、強姦魔がっ! あっちへっ!」
焦燥の顔を浮かべる彼らに、ペールがはだけた服のまま叫ぶ。
兵士らは見ただろう。
窓から逃亡しようとする、フォード(コルバ)の姿を。
月明かりの中、少女の服が乱れている様を。
そして壁の一角、宝物庫に面する壁に、侵入の穴が空いていることを。
「ぞ、賊が宝物庫に侵入! 強姦の恐れもあり! 追え、追えっ!」
兵士の一人がたちまち大声を発する。
婦女暴行という、卑劣な仕打ちの犯人を追うために。
宝を強奪しようとした、最悪の犯罪者を捕らえるために。
夜闇の中、フォードを捕らえよという怒号が、ギルド内に飛び交った。
「違います、僕はやっていません!」
翌日。ギルド東棟、聴取室。フォードの荒々しい怒声が響き渡っていた。
「貴様、ふざけるなっ! 貴様が盗んだのだろう! 昨夜、報告があった。貴様がギルド宝物庫から金品を盗み、逃亡した証拠はいくつも出ているっ! いくら否定しようと無駄だぞ!」
荒々しい拳が、聴取室のテーブルに叩きつけられる。
「違います! 僕ではありません!」
反射的にフォードは立ち上がろうとするが、魔術の腕輪に自由を奪われ、身動きを封じられてはそれも叶わない。
「いったい、何を考えて宝物庫へ忍びこんだ? 貴様が強奪したものは魔剣デアレーゼ、霊剣アリベール、雷剣ヴォルベルド! 貴重な魔術具多数と金貨、銀貨、五十六枚が貴様の部屋から見つかったのだぞ! これをどう説明する!」
「知りません、僕ではありません。昨晩起きたら、僕の部屋にあったのです!」
「嘘をつくな!」
再びテーブルが叩きつけられ、フォードの顔が屈辱に染まる。
フォードとしては、冗談ではない事態だった。昨夜、部屋で探索の準備をした後、睡眠していたら、いきなりドアを蹴破られ、兵士に詰め込まれた。そして拘束され部屋を調べられると、まったく記憶のない魔剣、霊剣、雷剣……数々の魔術具や金貨などが、ごろごろ出てきたではないか。
どういうことだと当惑している所に、逮捕されてしまった次第である。
まさかギルド職員を殺すわけにもいかず、反抗の意を律していたら、『減霊凰薬』と呼ばれる弱体化の薬を飲まされ、彼の能力は激減していた。
「しかも婦女暴行未遂だと! 貴様、強奪を目撃された腹いせに、ペール嬢を襲ったのだろう? 彼女は今、飯も喉を通らぬ有様だ。 恥を知れ!」
「違います! 僕じゃありません!」
ギルド職員の拳がフォードの頬を殴打する。
熱く激しい痛みがフォードの口の中に広がった。
「協力者は誰だ? あれだけの計画、貴様一人とは思えんが?」
「僕は知りません! 何かの間違いです!」
そのとき新たな職員が、聴取室に駆け込んで来た。
「部長! 新たな証言が得られました! フォードはオルトレール家にいた当時も、街でたびたび盗みや婦女暴行を繰り返していたそうです!」
「ほう?」
職員の報告に、フォードは青ざめた。
――そんな馬鹿な!
――あり得ない! いったいどうしてこんな事に?
「はっ、やはりだったな。どんな証言だ」
「同じ街出身の《探索者》五名から証言を得られました。当時十四歳の娘、十七歳の貴族、その他、いずれもうら若き乙女を襲っていたそうです。――隊長、もう確定でしょう。彼は有罪です!」
† †
「上手くいったぜ親父! フォードの野郎は有罪、牢獄送りだ」
夜間。ギルド東棟の一角。柔らかな椅子の上で赤髪の少年がにたりと笑みを漏らす。
ルザと、その父、グレスである。
「ふははっ、我が息子ながらじつに悪どい。お前のその気風、ますます俺に似て愉快よ」
グレスは笑う。子が子なら親も親。醜悪な笑みが親子の口元に浮かんでいた。
ギルドとは、《迷宮》の探索者を補佐する組織である。
その役割は依頼の統括、装備、魔石、住居の優遇、探索者育成……多岐に渡る。
地下に広がる《迷宮》を探索者が進む上で欠かせない補佐組織だが――しかし当然、人間が運営する以上、抑えきれない暗部も存在する。
その内の二人が、ルザとグレスである。父グレスは、若い頃から他人を蹴落とし、権力者へ媚を売り、時には暴力や裏の人間も使って上へ駆け上がり続けた悪党だった。
その出世に犠牲となった同僚は数知れず。関わった事件は百を超える。賄賂によってもみ消した事件は多数――とっくに裁かれてもおかしくない下衆だが、そこは神算鬼謀、様々な手段で回避していた。
その結果が、ギルドの幹部という地位である。
そして、その悪辣な血は、息子のルザにも脈々と受け継がれていた。フォード一人を罪人に仕立て上げたところで良心の欠片も疼かない。むしろ、邪魔者がいなくなって清々していた。
「関係者に口をあわせてくれたこと、感謝するぜ親父」
「なに、可愛い息子のためだ。たかが一言二言告げるだけで金貨五十枚の報酬なのだからな。真実とは虚しいものだ」
関係者に金を渡し、事実を捻じ曲げたのもグレスのおかげだった。《相似霊薬》や《隠蔽霊薬》、嘘の証言をでっちあげさせたのも父グレス。フォードは幾多の偽りの証言にはめられ牢獄行きが決まっていた。
「おっ、見ろよ親父。フォードの奴だ」
豪奢な窓の外には、手枷をはめられた少年フォードの姿が見える。
松明を持った兵士に手錠の縄を引っ張られ、うなだれていた。
哀れな事に、彼は多数の視線にさらされている。新米探索者、ベテラン探索者、ギルド関係者。多くの人間が侮蔑の視線を向ける中、フォードは中央道を歩かされている。
犯罪者の見せしめ、というところだろう。
彼の体は『減霊凰薬』という魔術具で弱体化され、一般の人間並と化している。
憔悴したフォードの顔を見ていると、ルザの中で得も言われぬ幸福感が湧き上がってくる。
「くっく、いい気味だな、フォード!」
こうして、フォードはルザとグレスの奸計に嵌められ、牢獄に送られた。
† †
「う……」
フォードは呻きながら目覚めた。
すえた臭いが鼻腔を強く刺激している。
床は冷たく硬い石。視界には、埃と塵と錆びた鉄の格子だ。
エルケニウス大陸、ガルグイユ監獄。第五層、独房七十八部屋。
フォードが大陸の東の監獄へ投獄され、一日が経っていた。
散々職員に殴られ、連れ回されたせいで体の節々が痛みを訴えている。
投獄の黒幕は、ペールなどルザの取り巻きの名前が出た事から、ルザだと判っていた。
あいつなら冤罪を作り上げる事などわけもない。
本来ならルザへの怒りが湧くがはずだが、冤罪によるショックは大きく、虚脱感で疲弊した状態だった。
石製の床に横になりながら、フォードは鉄格子を見る。
パンが落ちている。硬いパンだ。村で食べられるような粗末なものをさらに粗末にした粗悪品。味なんて追求せず、ただ空腹を減じるためのものだ。
鉄のベッドが壁際に備えられ、四つの脚のうち一つが壊れている所々が錆びており、しかもネズミが這っている、とてもそこで眠る気にはなれない。
壁には血文字。以前収監されていた人の血だろうか。「番兵のクソが」「我に力を」「逃げたい逃げたい」「いつか脱獄してやる」などと、願望や恨み言が書き連ねてある。
窓は一応あったが、高い場所だった。大人が跳んでも届かない位置であり、日差しもろくに差さない。風が少し来るのだが、腐った肉のような臭いがはびこってくて、鼻がもげそう。
フォードは思う。どうして自分はこんな所に……。本当は、今頃宝や武具を求めて冒険しているはずなのに。未知の光景や神秘の景色に感動していたはずなのに。
あまりの理不尽さに、冷たい床の上で嘆息するしかない。
「はあ……」
とはいえ、いつまでも寝ていても仕方ないだろう。
現状の打開策を考える。残り少ない、頭の栄養を振り絞る。
監獄は、逃げられる構造ではないだろう。
鉄格子は固く、殴っても蹴っても自分が痛くなるだけ。
壁は分厚い。とても破壊できない。窓はベッドを縦に起こして踏み台にすれば、じつは届くのだが、フォードの肩で止まってしまう。関節を柔軟に外せる奇術師のような人でないと抜け出せない。
ならば、腹が痛い、死にそうだ、などと嘘をでっちあげて番兵を呼び、気絶させて鍵を奪うか?
これも駄目だ。番兵はやる気のない人間ばかりらしく、投獄された人が叫んでも、ろくに取り合わない。つい先ほど離れた牢獄で病気の発作を起こした罪人がいたが、「助けて!」という叫び声は、無視された。彼は今も、死の淵にいるだろう。
「……駄目ですね。このままでは死にますね」
まるで他人事のようにフォードは呟く。
人間にとって一番大事なことは、絶望しないことだ。
たとえ悲劇が起こったとしても、どこか皮肉げに構えるか、客観的な視点で言えば、意外と気が落ち込むことはない。
どれほど傷を受けようと、拷問されようと、『フォード』という少年を傍から見た『別の人間』という視点で、思考を巡らせて、心と体を別離させるのだ。
そうして自分の事をまるで他人事のように思考する――妹が死んでフォードが身につけた、生きるための知恵だった。
「……まったく、面倒な事です。僕に奇跡が起きて、壁をぶっ壊せるくらい強くなりませんかね」
そんな奇跡は三流劇でも起こらないだろう。大地震が起きて牢獄もろとも崩壊する姿を祈った方がまだマシだ。
しかし、するとどうしよう。何ができる? 何が必要だ? 牢獄官はフォードのことを「禁固五十年」と言っていた。
ろくな取り調べもなく、確定した刑罰だった。そんなものに従事してここまま終わる気などない。そろそろ動かねば。
――そう思っていた矢先だったからこそ、フォードは掛けられた声に、驚いた。
「あの、大丈夫ですか?」
拙作をお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
無双シーンは8話からとなります。